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20:恋愛なんてすべからく陳腐でいい

 関さんと息子のタクミくんの暮らしが落ち着いたのは、タクミ祖母が退院するちょっと前くらいのことだ。あんな目にあったのに、タクミ祖母はユウコさんと同居するでもなく、また以前どおりの、一人暮らしで配信をする生活を送るらしい。

 ユウコさんは今回の事件ですっかりおびえてしまい、

「タクミの身の安全のために、母とは距離をおくわ」

と言い出した。

 つまり、ユウコさんが母親を拒んだのだ。

 ユウコさん自身も幼いころから、思慮の欠けた母親のせいで迷惑をこうむることがあったという。子供の頃の暗い記憶がよみがえってしまうのだろう。


 虐待されたわけでも、放置されたわけでもない。親子でも人間同士なので、合う合わないというものはある。以前にタクミくんに話したとおりのことだ。

(僕の母親みたいにね)

 ──ゲームの中でちやほやされる方が、己の子供よりも大事だったひと。

 アラタくんの中にも、母親という大きな傷があり、その傷はずっと癒えないのだ。だって埋めようのない欠落だから。

 体に負った傷は治る。

 違和感が残っていて、ずっと舌の先で上口蓋をさぐっているせいで、傷がそこにあるような錯覚が続いていても、それは心の問題だ。キスをするたびに関さんが気にするアラタくんの『傷』はふたりが抱えている過去の記憶が生んだまぼろしだと思う。


 キスをするたびにふたりして「傷が残っているね」「そうだね」と声をそろえて笑い合うのは、関さんとアラタくんが共犯者だからだ。

 母親の罪をつまびらかにして、彼女をくるんでいた繭を無理矢理に剥いだ。オンラインゲームの中でみんなにちやほやされる『メイちゃん』は、そうして存在を許されなくなった。子供だったアラタくんがそう意図したわけではない、そのはずだ。けれどモニターの向こうで母親を独占する『誰かさんたち』が妬ましかったのは事実で、今も心にずしりと重い感情をわきあがらせる。

 ──僕だけを見て。愛して。触れて。お母さん。こっちを向いて。

 そう願った相手は、もう、この世にいないのだけれど。


 引越し先は2LDKのマンション。新築ではなく、建てられてから十年ほど経っているが、川沿いで駅からも近く、周囲も静かな地域だった。タクミくんも転校しなくてすんだし、やっと穏やかな日々に関さん親子は戻れる。

「引っ越し祝いしなきゃね」

 アラタくんもいっしょに、ということで、関さん、タクミくんとで引っ越し祝いの食事をした。関さんが気に入っている、山小屋風の老舗洋食店。タクミくんはていねいに作られたシチューやハンバーグなどをたくさん食べ、珍しく屈託なく笑っていた。ようやく緊張が解けたのかもしれない。


 ストーカー騒ぎのせいで、アラタくんが関家に関わっているのがすっかり日常になってしまった。一緒に洋食をいただきながら、アラタくんはぼんやり考える。こんな風に、家族と外食したことあったっけ。祖父母とはある。父親と継母とは数度。じゃあ、母親とは。

 ──考えるまでもなく、なかった。

 母親は食事の支度の時間さえ、ゲームに使いたかった。居心地のよい世界に浸り続けるために、子供アラタくんだにかける時間を、手間を、削りに削った。コーンフレークと牛乳。アラタくんのごはんはそんなものばかりになった。菓子類を与えておけばいいと思っていたのか、それだけがたくさん買い込んであった。


「アラタさん大丈夫?」

 タクミくんの声でふと我に返る。関家に泊まる際は、ユキノリさんの部屋に布団を敷いてアラタくんは寝るのだが、今夜はタクミくんがゲームをしようというのでタクミくんの部屋に自分のノートPCを持ち込んでいた。

「ああ……ごめんね、ぼんやりしてた」

「仕事忙しそうだもんね」

 ゲーム内のギルドには、アラタくんとユキノリさんの同僚が多数在籍している。だから繁忙期にはログイン人数があからさまに減ってしまうのだ。しかし、現在プロジェクトはひと段落している。なのでアラタくんは首をふって否定した。


「別に平気だよ。ただちょっと、僕は関家にお邪魔しすぎかなとか思って」

「そんなことないでしょ。むしろ我が家がアラタさんに面倒かけすぎなんだよな」

 ストーカー事件もあったというのに、タクミくんは被害者としてのダメージをほとんど見せない。見せようとしない、というのが正しいだろう。タクミくんはひょうひょうとしてはいるが、その内面をあまり周囲(そこにはユキノリさんも含む)に窺わせないところがある。だから、あのストーカーに追われている瞬間はそうとうに切羽詰まっていたのだろう。

 

「アラタさんは、父さんのどこが好きなの?」

 モニターに目を向けたまま、タクミくんがそう尋ねた。どこか予期していた、その問いにアラタくんは答えを探す。

「そう訊かれるとめちゃくちゃ陳腐な答えしか出ないね」

「ひねりだして!」

 無理だよ。アラタくんは笑い顔をつくった。恋を語る時にふさわしい面持ちってどんなんだろう、と思いながら。

「運命だから」

「めちゃくちゃ陳腐だった」

 落胆させたようで申し訳ない。アラタくんは、タクミくんの反応のほうが面白かったので、ほんとうの笑みをこぼしてしまった。

「いや、恋愛なんてすべからく陳腐でいいと思う」



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