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16:好きなひとにやさしくされる、ということ

 タクミくんのストーカーはその後も時折、姿を現した。そのたびにウィークリーマンションを変えたが、そもそも同じ学校に通っているのだから、後をつけられたら仮の住居を特定されてしまうのは当たり前なのだ。


「ばーちゃんのおかげで気持ち悪い思いしなきゃならないのもうやだ」

 さすがに弱音を吐きたくもなるのだろう。父親かアラタさんが必ず家にいてくれるように仕事のスケジュールを調整してくれているのも、タクミくんにはもどかしかった。


 それなのに、今日も祖母は元気に朝六時から生配信している。都営住宅の薄い壁で朝っぱらからアコギをジャンジャカ鳴らして何曲か歌ってからゲーム配信が彼女のモーニングルーティンだ。化粧もバッチリしている。隣人の人は騒音に対して苦情など言わないのだろうか、と音声オフのまま画面を数秒眺め、タクミくんはすぐにアプリを閉じた。チャット欄には何の応援コメントもなく、累計視聴者も一桁、しかも五人だ。配信する意味あるんだろうか。本人にはあるんだろうな。


 一日中、朝も早くからゲーム配信しながらしゃべり続け、配信しながら食事をつくり、食べ、満腹になれば昼寝して、そして起きたらまた夜までゲームを配信しながらしゃべる。何をそんなに、誰ともしれない他人に向けて話すことがあるんだろう。娘である母親ともろくに連絡をとらず、孫であるタクミくんにろくにLINEすらよこさず。この間、ネトゲのキャラを貸せと祖母が言ってきたときにタクミくんはさんざん怒ったので、連絡してこなくてよいのだが。


 すごいな、とタクミくんは思う。

 虚空に向けてしゃべり続ける熱意。祖母の、たまにやってくる配信荒らしをする匿名の人物に対して怒り狂う熱意も、それでも挫けずに何年も顔出しでゲーム配信を行い続ける体力も気力も。普通なら、荒らされるのが分かり切っているから、顔も出さないし年齢も性別もばれないようにふるまうはずだ。


 現在よく遊んでいるネトゲ内で、タクミくんが子供だとバレないようにしているのは、未成年者のプレイが推奨されない(保護者の同意があれば可能だ)ゲーム内で不要ないざこざを起こさないためだ。通常はそういう風にふるまうものだと思うが、祖母はただただ突進していき、トラブルを起こす。

 そして、「礼儀がなってない」「連続チャットやコメントはエチケット違反」などと自分の基準を相手に押し付けて、被害者になろうとする。祖母の乱暴な物言いや、よく起こすヒステリーのどこに礼儀があるのだろう。謎すぎる。

 しかし、実際の加害者は祖母でもあるのだ。配信中、無神経にふるまい、毒舌を吐き、好き勝手なことを言い、ゲーム内での暗黙のルールを守らず、誰かに迷惑をかけても謝罪などしない。きちんとした子供よりも性質が悪い。祖母はそういうプレイや問題行動をくりかえし、あちこちのゲームでアカウントを停止をくらっている。タクミくんはそう知っていたが、まさか自分に火の粉がかかってくるとは予想もしていなかったのだ。予想はできたのに。


 彼女は不惑過ぎてから、交通事故で足が不自由になり、車椅子生活になった。気が強いくせにメンタルの病を持つ祖母は、障がい者である、という武器を得てしまったので、ある意味無敵なのだ。だから、ユウコさんやタクミくんに対しても、傲岸な態度を取ることがある。他人にも当然そうだ。




「今日もおばあさんは元気に配信中なの?」

 父の仕事が佳境に入ると同時に、アラタさんが交代でマンションに『帰って』くるようになった。早朝に仕事場から戻ってきたらしいアラタさんが、リビングのソファで寝ていたのを、タクミくんがむりやり父のベッドに追いやった。どうせ、タクミくんが家にいるあいだはふたりが同時にこのマンションにいることはレアなのだから、ベッドくらい使うといい。


 眠そうな様子もなく、タクミくんの登校時間の一時間前に起きてきたアラタさんが、トースターにパンを突っ込み、紅茶を用意し、目玉焼きを焼いてくれる。ふしぎだ。好きな人が、他人なのに、朝からごはんをつくってくれる。なんでかって? 母親の会社の社員だから、だと思う、たぶん。

「配信してんじゃないかな。イライラするからチャンネル登録してないし、必要以上に見ないようにしてるけど」

「それがいいよ。血縁だって、結局は血がつながっているだけの他人ってこともあるしね」


 焼きたてのきつね色のトースト。ぷるんとふるえる黄身が半熟の目玉焼き。ミルクたっぷりで甘さ控えめの紅茶。そんな朝食をとりながら、アラタさんの長めな前髪からのぞく顔をちらちら眺める。

「アラタさんも、親となんかあった系」

「うん。だから多少の悩み相談は聞くよ。ただの愚痴はお断りするけど」

 アラタさんの明確な態度は気分がいいくらいだった。

「悩みかぁ。完璧な親を持てる子供って、世界中探して何パーセントくらいだと思う? そもそも完璧な親の条件って何?」

「むずかしい質問だね」


 アラタさんは自分用に淹れたストレートの紅茶を一口飲んで、スティックシュガーを一本だけ入れた。タクミくんは、おいしい朝ごはんをひたすら食べる。幸福だな、と思った。好きな人がいて、父親はまあまともで、自分はそこそこ幸福だ。恵まれている。

「大人になると、親も『人間』だし『子供』だったんだなとは思う。でも、許せないことは、忘れられないから、折り合いをつけていくしかないんだよね」

「小学生に『折り合い』とか言う?」

 じっとアラタさんはタクミくんを見つめ、頬をゆるめた。笑ったのだ。


「小学生だけど、タクミくんは『わかってる』から。かわいそうだなとも思う」

「アラタさんに『かわいそう』って言われるのなんかうれしい」

「へんな方向に目覚めないでね」

 もうとっくに、芽はでているのかもしれない。タクミくんは黙って食事をたいらげた。すべてを食べ終えるのを見届けたアラタさんが「僕も出社するから、送っていくよ」と申し出てくれる。


 うれしいな。タクミくんは思う。父親が根回ししてくれていて、それでアラタさんが自分に優しくしてくれている。ストーカーもうろついているし、母親はメンタル不安定だし、祖母は非常識だし。だから、優しくされている。

 そうだとしても、好きなひとに優しくされることはいいことだ。

 だって朝がこんなに幸福で、学校に向かう足が軽い。

 スニーカーのひもを丁寧にむすんで、タクミくんは玄関のドアを開ける。

 マンションの廊下に、アラタさんがたたずんでタクミくんを待っている。

 ちょっと不幸で、同時に、幸福な朝。



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