14:タクミくんにも自我はじゅうぶんにある。
二十代のころに土田さんにさんざん叱られたにも関わらず、ユウコさんは未だにたまにやらかす。本人に自覚はないが、土田さんや、ユキノリさんいわく、『やらかしている』のだそうだ。
やらかすというのは、ネトゲで問題行動を起こしては揉め事にいたり、それが外部の掲示板やSNSに漏れて、第三者に好き勝手詰られたり、なんなら界隈のまとめサイトにのせられたりする。よくある話だ。
MMOで長期間同じメンバーと遊んでいて、人間関係が煮詰められていくと、トラブルは起きやすい。最悪、誰かと恋人関係になっただの寝ただの別れただの寝取っただの、そういう生臭い方向にシフトしていく。
ユウコさんは、自分では賢くふるまっているつもりだった。ギルド内でも、フレンドとのやりとりでも、ノートリアスモンスター狙いや特定高難易度コンテンツ攻略の固定メンバーによるサブギルドでも、ネトゲ用に作ったTwitterアカウントでも、上手にかわいい猫耳キャラでお姉さんキャラの『ユキノちゃん』を演じきっていると信じていた。
ときどき、仕事での忙しいワタシを匂わせたり、会社で必要な人材をネトゲアカウントで募集した。あるときは、ゲームイベントの裏方に頼まれて参加したので、ユーザー側で参加しているフレンドがいるかもしれないので、「今日はかつての先輩に誘われて東京ゲームショウのお手伝い! こんな服装でいるよ♥ 探してね♡」と囀ったりもした。
そうすることで、
「ユキノちゃんはゲーム業界人なんだー、すごいね」
とか言われたりして、気分がいい。
そうなの、私、ゲーム業界人なの。すごいでしょ? しかも社長なの。えらいでしょ?
ゲームしかしないと思われるのも嫌なので、時にはカフェで仕事してますよ、みたいなツイートや、映画を観に来てます報告、糖質抜きダイエット報告とかして『意識の高いユキノさん』ぽさを演出する。完璧である。
ほめてほしい。えらいといってほしい。みとめてほしい。
そうされないと、ちっとも自分がいいものに思えないから。
ねぇ誰か、言ってくれないかな。
ユキノさんは、ユウコさんは、とてもがんばっている、かわいい、やさしい女の子だよって。
そんな『ユキノさん』がバツイチ子持ちであるというアピールのために、週末、ユウコさんのマンションに来て勉強している息子の後ろ姿を撮影した。SNSにアップしようとしたところでタクミくんに察知され、スマホを奪い取られてデータごと削除された。
「肖像権侵害だからな⁉︎ 自分が産んだ子供にも基本的人権はあるんだぞ」
「後ろ姿くらいいいじゃない、タクミは意識過剰なのよ」
「へー」
言いたいことがとてもあります、という顔をしているのに、タクミくんはそれ以上何も言わない。そういうところは、ひどく父親似だとユウコさんは思う。十二・三年ほど一緒にいたはずなのに、結局ユウコさんはユキノリさんのことを全く理解できていなかった気がしてならない。
だって、ユキノリさんは何も言ってくれなかった。言わないのに理解してくれ、では無理がある。
「タクミのそういうところ、ユキノリさんそっくりで嫌いだわ」
つぶやきは、思いのほか大きく響いた。いつも背中ばかり見せている息子は振り向いて、じっとユウコさんを凝視している。
「わかってんなら、さっさと解放してやればよかったんだよ」
声がわりさえしていない少年の声が、ユウコさんを詰る。
「子供が、わかったようなくちをきかないで」
「ガキでさえわかるようなこと、ずっと無視してきたのは、あんただろ。父さんをずっと、俺を人質にして引き止めてたんだから」
ことばは出なくて、出たのは手だった。そして、頬をひっぱたかれた勢いで床に転がったタクミくんは、ただただユウコさんを見つめていた。そこに怒りはなく、憐れんでさえいるようだった。目の前にいるのは、自分が生んだはずの、小学生の、十歳の男の子のはずだ。なのに彼は、ひとりの人間として、はっきりとユウコさんを否定した。そのツケとして、ユウコさんが暴力をふるうことさえ予測していた。
「あ、あ……」
「べつに児童相談所とか警察とか行かないから安心すれば」
タクミくんは立ち上がると、窓際に行き、ジーンズのポケットに入れていたスマホで自分の顔を何回か撮影した。どうして、とユウコさんがぼんやり思う間に、息子はさっさと自室に行き、そして大きなスポーツバッグをかかえて戻ってくる。
「オレ、もう父さんのところに帰るわ」
「週末は、おかあさんの、ところに、いる、約束よ」
タクミくんは、ふうとため息をついた。おとなの男みたいな様子だった。ユウコさんは知っている。彼女と付き合った男たちがよく、そうした。彼女に呆れたり、疲れたり、対処に困ったり、とにかくユウコさんを持て余したときに、彼らはため息をついた。
「母親に叩かれたって、父さんにも、なんならネトゲのギルドの顔知ってる人にも送った」
「どうして……!」
「オレは母さんのアクセサリーじゃないよ。わかりやすく言おっか? オレはあんたのレア装備じゃない。母さんにとっては、父さんはEXレア装備なんだろ、他人に自慢できる」
ユウコさんは反駁できる言葉をもたなかった。目の前の子は何をいっているの? 思考が止まり、理解を拒否する。
「もういいよね? そろそろ父さんもオレも、母さんやばーちゃんに面倒かけられんの終わりにしていいよな?」
「な」
なにいってるの。あなたと私は親子で、一生のつながりがあって、つまりは。
──逃げられないのに。
ユウコさんの喉元まで、石のように重いものがこみあげてきた。目をそらし続けてきた事実だ。ユウコさんはずっと、母親を放置してきた。障害があり、障害年金を受けられるのを幸い、生活に余裕があるのをごまかして、世帯を分け、母親が意地っ張りで見栄っ張りなのを利用し、放ってきた。
そのツケが、これか。ユウコさんは目の前の十歳の子供を呆然と見やった。きれいな顔立ちだから、きっとそのうちすごくモテるようになるだろう。そっけないくせに、どこか優しい性質も、女の子を惹きつけるだろう。その成長が楽しみで、自慢だった。
「……残りの荷物は?」
「父さんと相談して連絡する。どのみち、ばーちゃんのせいで今、仮住まいだし」
仮住まいをしているトラブルの経緯はこうだ。ユウコさんの母親が、毎日やっているゲーム配信中、ふと思いついてそのまま通販サイトにいってプレゼントを選び、送信するまでを配信したらしい。
住所も名前も電話番号も出ているPC画面をそのまま配信する配信者なんて、ユウコさんの老母(老母といっても五十八歳だ。まだ還暦にも至っていない)くらいだろう。ある意味チャレンジャーだ。
その過疎配信を見た何者かが、興味をもってタクミくんを付け回した。たぶん、今こうやってユウコさんに対して、容赦ない物言いをしているのは、そのストレスもあるのだろう。
ユウコさんは母親を怒らなかったし、配信をやめさせようともしなかった。
でも、どうしてユウコさんばかり責められなきゃいけないんだろう?
ユウコさんは知らず、声に出していた。
「あたしばっかり、みんな、いじめる」