002.近衛騎士ベイリン
侍女のベスに頼んでベイリンにお話しできる機会を設けられないか尋ねてもらいましたが、どうも明日でなければ暇が取れないようです。賢王ホロウが死の床についてから妙に活発に動くようになった政治家たちを警護するため、近衛騎士たちは次々に舞い込む依頼に忙殺されるようになったようです。『お話』は早い方がいいのですが致し方ありません。
賢王が定めた「法」によれば近衛騎士は王と王族を守る役目を担っていますが、政治家たちは賢王ホロウの居ぬ間に、己のもつ権力を悪い方向へ使って近衛騎士を酷使しているのです。それは政治家という貴族に私兵を持たせないようにした賢王ホロウの失策とも言えるでしょう。
しかし、わたくしにはホロウ王がそのようなことに思いが至らなかったのが不思議でなりません。わたくしにも思いつくことですから、賢王ホロウが思いつかないわけがないでしょう。だから、この状況には何か意味があるとわたくしは考えております。
わたくしが近衛騎士であるベイリンに直接のお話が出来るのもこういう状況ですから、容易になっています。もちろん、第一王女マリーを守るための行動なのですから、近衛騎士本来の役目です。わたくしの良心もあまり痛まないはずでした。
王城のある一室にわたくしはソファーに座っておりました。この部屋は飾り気がないというか、殺伐としていると言いましょうか、むき出しの石壁に斧や鎧が飾ってあります。もちろん、鑑賞するためのものなのでしょうが、鈍く光っている刃はなぜか赤く見えてなりません。
何も見るものがないものですから、わたくしは今からいらっしゃる近衛騎士ベイリンのことを考えておりました。いえ、懸想というわけではありません。確かに整った顔立ちに誠実な人柄、そして何より近衛騎士の中では優秀な頭脳を持ち、いずれは小隊長どころか近衛騎士団の師団長になるのではないかと噂されている人物なのですから、嫌いなわけはありません。
でも、わたくしは恋だの愛だの言う話には政治的な意図が見えて仕方ないのです。それゆえにベイリンから好意を向けられているというのに、よいお返事はできないでおります。そして、この「返事」をせずにどのようにしてベイリンに「お願いごと」を聞いてもらうか思案すべきなのですが、どうにも誠実なお人柄を裏切るようで気乗りがしません。
何かを考え、何かの答えを出さなければならないのですが、何も考えることのできない状態で扉をたたく音が聞こえました。ベイリンが到着したようです。席を立って軽く会釈をするとベイリンは自らも座りながらわたしくにも席を勧めます。
ゆったりとした動作で座り直すとベイリンから視線を感じます。いつものことではありますが、そういう意図を隠し慣れている殿方ばかりを相手にしているものですから、あからさまな視線でも少しだけ新鮮な気持ちになってしまいます。
「最近はお忙しいのではないですか?」
やっとのことでベイリンと面会できたわたくしはまずは相手の状況をおもんばかる会話から入ろうとしました。ベイリンがわたくしに好意を寄せてくださっているとは言え、こういう相手を敬う姿勢は崩すわけにはいきません。
「お気遣いありがとうございます。忙しいのは別に構わないのですが、色々と近衛騎士をいいように使う方々が多く、少し困った状況にあることは確かです」
ベイリンは蒼い瞳に疲れの色を少しだけ残していました。肉体的には鍛え抜かれた近衛騎士も精神的な面では少し参ってしまっているようです。
「クッキーを持参しました。お疲れのお体に甘いものでも、と思いまして。皆様でお食べください」
持参した籠に山盛りのクッキーを差し出すと、ベイリンの金色の髪が少しふわっと膨らんだ気がしました。ベイリンとは長い付き合いですし、近衛騎士の方々も含めて何を欲しているかというのは鈍いわたくしにもわかるというものです。
こんなご時世ですから日持ちがして簡単につまめて美味しいものというのはありがたいのでしょう。普段はそんなにお菓子を食べない方々も、今ばかりは特別だと存じます。
「ありがとうございます。これはみんな喜ぶでしょう。ところで本日はどのようなご用件でいらっしゃったのでしょうか?」
普段ならベイリンの方から暇を見つけてはわたくしとお茶会やパーティーなどに誘ってくださるのですが、珍しくわたくしからの誘いです。そんなわたくしの行動で何か特別な頼みごとがあるとわかってしまったようです。もちろん、この場合はわたくしが言うより先に意図が伝わるのは好ましいことです。
「要件と言うほどのことではないのですが、マリー様が叔父様に『祝福』をなさると聞いたものですから……」
わたくしは事実だけを伝えます。そこにわたくしの意図が介在してはなりません。とても心苦しいのですが、万が一にも失敗したときのことを考えて、これはすべてベイリンが自発的に行動してもらわなければ意味がないからです。わたくしとマリーの保身に保険をかけておかねばなりません。相手は王国で一番権力を行使できる立場にあるのですから。
「……なるほど」
単なる事実の一端を聞いただけで、わたくしの言わんとしていることがわかるのでしょう。ベイリンの知る遠征話と合わせて考えると、宰相マハが第一王女マリーを狙っているように見えると思います。宰相に足りないのは王位継承権だけなのですから、今の段階ではマリーとの婚約、ホロウ王の亡きあとはマハがマリーを傀儡として扱う。ベイリンの頭にはそういう話の筋が浮かんでいるはずです。それは叔父様が昔から準備してきた陰謀ではあるのですが、意外にも皆様は叔父様の表向きのお人柄に騙されて知らないようなのです。
ただベイリンだけはわたくしから宰相の「噂」を聞いておりますので、皆様と比べると叔父様の評価はとても低くなっているのではないでしょうか。
「祝福というと至聖三者大聖堂にて行われるのでしょうか」
至聖三者大聖堂とはホロウ王より前、この王国の基礎となった三人の聖者を祀り上げた聖堂で、とても大きな建物です。第一王女が祝福を行うのにふさわしいでしょう。
「いいえ、今回は自室で執り行うそうです」
自室と言っても第一王女の持つ居室は多岐にわたります。わたくしが呼ばれた部屋は遊戯室(本来は執務を執り行うための部屋ですが)、それ以外にも寝室やお茶会専用の部屋などがあります。また第一王女は王城の中にある教会に祈りを捧げる役目も担っており、今回は第一王女専用の祭壇で祝福を執り行う予定です。
なぜ至聖三者大聖堂ではなく、ささやかな王城の祭壇で執り行うのかと言えば、マリーがそう言ったからです。『そこならやりやすいじゃん』と。
何がやりやすいのか知らないのですが、叔父様をやりやすいのでしょう。
「それは危険ですね」
ベイリンはわたくしと異なる想像をしているのでしょう。「叔父様がマリーをやりやすい」と考えているに違いありません。何をどうやるのか、わたくしにはとてもとても想像もつかないのですが、このようなときの男の方の想像力というのは本当に逞しいものがあります。
「わかりました。あとはお任せください。最近、宰相の横暴には目に余るものがありますからね。王族を守るという本来の役目を果たしましょう」
ベイリンの顔はとても爽やかに見えて、わたくしの胸の内がきゅうと苦しくなってしまいました。このまま、ベイリンの勘違いを利用していいのでしょうか。政治家というものは清濁を併せのむと言えども、将来、王国を背負って立つような人材を騙してまでしなければならないことはなんでしょう。
「あの、危ないことはおやめくださいまし」
これはベイリンの身を案じてというよりはわたくしの良心への釈明から出た言葉です。
「そうですね。危ないことはしないでおきます」
笑いながら、そう言ったのはわたくしの言葉を真面目には受け取っていないからでしょう。それはそうです。近衛騎士の任務は危険が付きまとうものですから、わたくしの発言は物を知らぬ幼稚な言葉ととらえられたでしょう。わたくしはもう十九になるのですから、近衛騎士の任務がどのようなものかは存じております。そのうえで敢えて言ったのですが、こういうときにはわたくしの意図を読み取ってはくれぬのです。それが男の方というものなのでしょう。