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001.第一王女マリー

 政治家なんてものは、旧いしがらみが多くて、多くて、とても面倒なものなのです。

 わたくしなんて、親から受け継いだ権力を行使しているに過ぎない身ですから、政治家になるための苦労や誰が骨を折っていただいたかなんて、話に聞く程度です。

 そうなると、旧いしがらみなんて邪魔なだけに思えて、政治家なんてものは持てる権力を振りかざし、しがらみを切っては投げ、切っては投げした方が、身も心も軽くなっていいのではないか……なんて不遜な考えが浮かんでくるわけです。

 でも、それはわたくしだけではなくて、わたくしと同じような「境遇」の若い政治家たちにも言えることで、毎日、毎日、パーティーに明け暮れては、あの婦人がどうだとか、あの殿方がどうだとか、色のついた話ばかりして、政治の話などちっとも聞きません。

 今の世を治める賢王ホロウが床に伏され、余命幾ばくもないと聞かされるまでは、誰もが自分が政治家であるという自覚を失っておりました。

 人は永遠の命を求めます。

 それは己の欲求からではなく、誰かが不死で変わらぬ意味を持つ存在であることを常に求めているからです。変わらぬ意味を持つ存在は、変わらぬ世をもたらします。

 常に賢くあらせられたホロウ王は、平和で変わらぬ世を築かれ、わたくしたちが政治家であることすら忘れさせてくれたのです。そんな世だからこそ、わたくしたちは当たり前のことを記憶から消し去り、世を変えずに生きてこれたのです。


 しかし、それも今日まで。



 賢王ホロウは、男児を授かりませんでした。神様が本当に授けなかったのか、それとも王が「選択」したのかはわかりません。

 だから王亡き後は、誰が王位に就くのか。それが大問題でした。

 ホロウ王は、非常に賢くあらせられ、多くの政治家の武力を奪い去り、王と宰相の権限のみで動かせるように再構成しました。それは政治家が法の力を持って行動させるための施策で、今でも高く評価されています。

 しかし、それ故に跡継ぎとして法で定められた「直系の男児」がいないこの状況は政治家たちにとって、現状を根本から変えてしまう出来事なのです。

「で、おまえは誰に付くのだ?」

 マハ公爵が窓の外を飛んでいく鳩を眺めながら、わたくしに問います。

 わたくしの叔父に当たるマハ公爵は、第一王女マリーの後ろ盾であり、現在の政を司る宰相の身分にあります。つまりは、ホロウ王亡き後、この国を司る第一候補というわけなのです。

 わたくしは思案する間もなく首を振りました。

「愚問でいらっしゃります。叔父様。わたくしが叔父様から離れて政治家などできると思っておいでですか?」

 叔父様は大きく頷きました。「それでよい」と。

 第一王女マリーが跡を継げば、世は丸く収まると思いきや、わたくしたちの神はそれをお許しにならず、第一王女マリーは誰に影響されたのか、「賢王」の綴りの一文字も会得できなかったようで、残念な頭をされていると噂されています。

 まぁ、残念な頭になったのは、誰の仕業であるかっていう問題はどこからか提起されなければならぬのですが、わたくしの口からは言えませぬ。

「失礼します」

 侍女のベスが入ってきました。叔父様へ頭を下げるとわたくしに向かって歩いてきます。手にはカードか何かを持っているではないですか。きっと声に出して伝えられないことなのでしょう。わたくしはそれを悟ります。

「叔父様、今日はここで失礼しますわ」

「そうか。では、あとで仔細を連絡させる」

 一礼してベスとともに叔父様の部屋を後にします。ベスは部屋を出ると手に持っていたカードをわたくしにすっと渡しました。それを手で隠しながら目を通します。

「あー」

 思わず声が出てしまいます。

 カードに書かれたメッセージは第一王女マリーからでした。内容はただ「はやくあそぼ」だけです。あの第一王女マリーから「はやくあそぼ」です。わたくしは戦慄してしました。

 事情を知らない人から見たら、わたくしはさぞ滑稽な顔をしていたでしょう。口を大きく開け、おでこをはたいて「あー」なんて声を出していたのですから。

「忘れていましたわ。急ぎましょう」

 叔父様の屋敷の前には、すでに馬車が回されていました。さすが私の侍女ベスです。

 あわてず優雅にして神速で馬車へ乗り込むと同時に馬車が動き出しました。ベスが御者台に乗ったのです。馬車の運転もできるとは、さすが私の侍女ベスです。

「安全運転で急いで」

「口を開かないでください。お嬢様」

 ベスの声が聞こえると馬車は速度を上げ始めます。賢王ホロウの施政のおかげで街道は整備され、道もだいぶ平らになったとは言うものの、馬車で速度を上げて走るには些か荒々しいのです。しかし、ベスはそんなことはお構いなしに速度を上げていきます。馬たちもおしりをぶたれて心なしかうれしそうな悲鳴を上げているではありませんか。

 わたくしは嗜虐志向などありませんからベスにはいつも「安全運転で」と申しつけているのですが、ベスは「お嬢様のご希望通り安全運転しております」と返事をするのです。口を開けたら舌を噛むほどの速度で安全運転なのですから、これが「急いで」などと注文した日にはどうなることか想像も難くありません。

 必死で座席に掴まりながら、わたくしは第一王女マリーになんて言い訳をしたものでしょうと考えました。



「おそい~」

 ただでさえ甘い蜂蜜に砂糖をぶち込んで煮詰めたような、まったりとしたしゃべり方で第一王女マリーが出迎えてくださいました。わたくしは背筋が寒くなる思いがします。目を細めているこの少女はわたくしと同じ年に生まれ、姉妹どころか双子のように育ちました。いつもわたくしと第一王女マリーが「あそぶ」のはそれが故です。

「大変お待たせしました。マリー王女」

「もぉ~、マリーってよんでっていったでしょ?」

「そうでした。マリー」

「じゃあ、ふたりであそぼ?」

「はい。よろこんで承ります」

 第一王女マリーは、侍女たちを下がらせると、扉をしっかりと閉めました。これで中にはわたくしとマリー、そして唯一居ることを許されたわたくしの侍女ベスだけとなりました。

 扉の閉まるパタリという音を最後に部屋の中は一瞬静寂に包まれます。

「で?」

 なんと言えばいいのでしょう。分厚い獣の皮を大きな鍋に張って作った太鼓のように鈍い低い音がします。音の方をおそるおそる見れば第一王女マリーが腕を組んでこちらを睨んでいます。

「マハの奴なんだって?」

 第一王女マリーは、頭の残念な第一王女マリーは、そこにはいませんでした。賢王ホロウから受け継いだ賢さを冷たく暗い方向へ使った腹黒マリーがそこには立っていました。

 そうです。

 マリーは頭が残念な振りをしているのです。

「叔父様は怪しい動きをしている地方の常備軍を解体させるつもりだとおっしゃってました。直近ではサイリケ領主連合からだとか……」

「へぇ、解体とか良いながら中央にその兵力を持ってくる気なんでしょう?」

「えぇ、マリーを守らなきゃいけないですから」

「とか言いながら、実際は自分が権力を牛耳るためね。分かってる、分かってる」

「叔父様は、明日サイリケ領主連合に向けて進軍します。留守はわたくしが預かることになっています。大役に膝が震えます」

「膝? は! 嘘でしょ。腹抱えて笑いそうよ」

 笑ってません。マリーは笑ってません。怖いです。

「じゃ、マハに伝えて。マリーが祝福したいって言ってたって」

「祝福?」

「そうよ。戦争に行くときには女性が祝福するものよ」

「いえ、そういう伝統儀式的なことを伺っているのではなくて、会ってどうなさるおつもりなのかを聞いておきたくて」

「ねぇ、サイリケ領主連合って王国の守りの要、最前線よね?」

「おっしゃるとおりです」

「そんなところの常備軍を解体していいと思う?」

「思いません」

「じゃあ、なんでマハはそんなことすると思う?」

「少々お待ちください。考えます」

 わたくしは色々な殿方から聞いた話の断片をつなぎ合わせます。そうすると浮かび上がってくるのはやはり王国の東方に位置するサイリケ領主連合のことでしょうか。彼らは王国に対抗する夷敵との最前線に立たされ、消耗を強いられています。中央、つまり宰相マハとの確執は誰の目にも明らかです。

「やはりサイリケ領主連合が反乱する力を削ぐためでしょうか」

「違うわよ。マハは、夷敵が攻め込んでくる混乱に乗じて誰か殺す気よ。例えば、姫将軍ライラとかね」

「え! で、でもそんなことする必要は……」

「ばっかね。中央にしか軍がなかったら中央の司令官が夷敵の討伐に向かうに決まってるじゃない。そしたら、指揮を執る人が必要になるわ」

「それがライラ様だとおっしゃるのですか?」

「王国には大規模な軍を指揮できる人は少ないわ。平和が続いてきた証拠でもあるけどね」

「そうまでしてマリーの地位を安定化させないと危ないのでしょうか。第一王女なのですし」

 マリーはわかってないわね、という風にわたくしを見ます。背は少しばかりマリーの方が低いのですけれど、靴のせいかわたくしと目線は変わりません。

「私がバカだからよ。王にふさわしくないのは誰の目にも明らか。誰もが廃位に向けて工作してくるでしょうね。マハは先手打ってそれを阻止したいのよ」

「納得がいきました」

 確かにマリーは色々な意味で王にはふさわしくありません。声に出しては言えないですけれども。

「さて、私はどうすべきかしら? 実はお利口さんだったと正体をばらす? そんなことはできないわ。マハは私がバカだから私の味方で居てくれるのよ。バカじゃなかったら殺しに掛かるでしょうね」

 よくこうも他人の考えが分かるというものです。おそらく叔父様とマリーの頭の作りはとても似通っているのでしょう。だから腹違いだと言っても半分は血が繋がっている姫将軍ライラ様の命を奪う奪わないということをこうも冷徹に判断してしまうのでしょう。わたくしのようなぬるま湯につかっているカエル政治家には思いも付かないことです。

「では、叔父様をどうするおつもりですか?」

「罠にはめて失脚させるわ」

 わたくしは言葉につまりました。叔父様はこの国の宰相です。ホロウ王が床に伏せっている間は叔父様が国を運営しなければこの国は回りません。それを失脚なんてさせてしまったら国は大混乱間違いなしです。

「流石に自分の叔父であるマハを罠にはめるのは抵抗があるかしら? でも、私とあなたの仲だものね。協力してくれるわよね」

 マリーはわたくしに近づいてきて顎に手を添えます。冷たい、本当に冷たい指をわたくしの頬に這わせます。わたくしは蛇に睨まれたカエルのように固まるほかありません。

「あ、あの、マリー」

「なに?」

「叔父様はマリーの後ろ盾だけど、それを失ってしまったらまずいのではないでしょうか」

「そこね。そこで活きてくるのがあなたの証言よ」

「わたくしの証言?」

「そう。こういうの」

 そう良いながらマリーは胸の前で手を組み、天を仰ぎます。

「『わたくしは叔父様の命令で第一王女マリーに毒を盛るように言われていたのです』」

 マリーはお芝居風に言っていますが、これはお芝居などではなく真実です。わたくしは幼い頃からマリーを『馬鹿にする薬』を盛るように言われています。でも、わたくしはそれをしていません。なぜならマリーはかわいかったからです。わたくしはかわいいものが好きです。だから叔父様の計画をマリーに打ち明けて、マリーに演技をするように勧めたのです。

「ね? 毒が抜けた私が政治に復帰するのは自然だわ」

 そうでしょうか。わたくしはそうとは思えません。でも、この案なら叔父様は、マハ公爵は確実に失脚するでしょう。マハ公爵が失脚し、マリーが王にふさわしい人物と分かってしまえば国はまとまりを取り戻し、不穏な動きは治まるという筋書きなのでしょう。

「でも、毒は飲んだことにして捨ててしまいましたし、もう毒を盛る必要もないぐらいの量は飲んだらしいので、毒自体、つまり証拠が見つかりません」

「その前にもうひとつ罪をかぶって貰えばいいわ」

「もうひとつ?」

「えぇ、マハが私を手籠めにしようとしたってでっち上げればいいのよ。祝福にかこつけてマハとふたりになったところで私は大声を上げる。あなたがそこに駆けつける。そして『近衛兵! マハ公爵がご乱心です! 第一王女マリー様が!』と叫ぶの。簡単なシナリオでしょ?」

 マリーは科を作る演技をしながらひとり芝居をしています。

「人間って不思議よね。過去と現在は連続していると思っているんだから」

 マリーが言いたいのはこういうことでしょう。おそらく叔父様は真実の罪だけでは失脚させることはできないのです。でも、でっち上げの罪と合わせて、正気に戻ったマリーが真実の罪を糾弾してしまえば、誰もが叔父様が罪を犯したと思い込んでしまう。あぁ、人間ってなんて恐ろしい生き物なんでしょう。というかこの場合はマリーが恐ろしいお姫様なのでしょうけれども。

「あなたにご執心の若い近衛騎士を側に置いておけば盤石の体制ね」

 わたくしは色を使って殿方を利用するのは苦手です。ただマリーの言うとおりでもあります。わたくしの言うことを叔父様よりも信じて貰う必要があります。それには叔父様のことを良く思っていない近衛騎士団の一員であり、わたくしに好意を寄せているベイリンを利用するのは間違いなく良い手です。

 でも、なにかもやもやした感じが残ります。マリーはおそらく何も感じていらっしゃらないでしょう。わたくしはこれをしたら引き返せない気がするのです。叔父様を裏切り、ベイリンを裏切り、わたくしの手元には何が残るというのでしょう。

「マリー」

「なに?」

「わたくしが裏切るという可能性は考えないのでしょうか」

 わたくしは震える声で聞きました。マリーは少し驚いたような困ったような顔をすると口を手で覆いました。表情を読まれまいとしているのでしょう。

「考えてないわ。そもそも私を裏切るのであれば、これまでだって、いつでもできるじゃない。でもしない。だから私は貴方だけは信じる。それじゃ不満?」

「いえ」

 マリーはすべてを支配下に置きたいのだと思っていました。でも違うようです。わたくしに状況の決定権を残しています。わたくしの腹づもりひとつで叔父様かマリーのどちらかが生き残るのです。胃が痛くて痛くて叔父様のところでおやつに食べたアップルパイが胃からせり出してきそうです。

「あなたが嫌と言えばやめるわ。私は死ぬまでずっとバカでいて上げる」

 マリーは豪奢なベッドに腰掛けると自分の傍らをポンポンと叩き、わたくしに座るように促します。わたくしは誘われるままにマリーの横に腰掛けます。

「でもね。私はあなたと一緒にこの国を治めてみたい」

 突然の告白にわたくしは驚きます。わたくしのような無能な政治家に国を治めることができると思っているようです。

「私はバカな振りしてホロウやマハの政治を見てきたわ。それこそ賄賂の授受や夜伽の相手までね」

 そこでマリーはいったん言葉を切ります。何かを思い出しているのか次第に険しくなるお顔。

「あんなやつらが政治をしていていいと思う? 中央に逆らえないようにしただけで『平和になった』ですって?」

 マリーからは憎しみしか感じられません。

「大体、直系の男児がいないのもホロウとマハが殺しているからよ」

「それはどういう……」

 わたくしの問いかけにマリーは我を取り戻したようです。顔を振って何か悪い物を振り払うようにしました。

「悪いけど、ちょっと複雑になるからまた今度ね。そろそろ時間だし」

 マリーは立ち上がり、わたくしに手を差し出します。わたくしはその手を取って身を起こしました。

「じゃ、お願いね。マハにちゃんと伝えてね」

 にっこりと笑ったマリーの顔はわたくしと初めてあったときと同じようにかわいいままでした。

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