カレーなる転生! そして転身⁉
人は困った時、体育座りになってしまうのだろうか。
わたしがいるこの場所だけは木が生えておらず、円状に開けた空間となっている。
そこでわたしは足を腕で強く抱え込んで丸くなっていた。
確か、転生させてもらったんだよね……?
転生というと赤ちゃんからやり直すイメージを抱いていたのだが、実際はそうではないようだった。
前世の体とほぼ違いはない感覚で服装もそのまま学生服だ。
まあ、その点は置いといて……
この状況はどうしようか。わたし以外の人間が周りに一切見えないんだけど。
おそらく森が前後左右に広がっているからではないだろうか、もしそうであれば人がいない訳だなと納得する。
「とりあえず、移動しなきゃ」
立ち上がってお尻に付いた葉っぱや土を払い落し、ついでにポケットの中を探ってみるが何も持ち物はないようだ。
飴とかハンカチとかがあればいいなと思っていたけど、そう上手くはいかないか。
さて、とりあえず当面の目的は道のある場所に出ることだろう。
そして町ないしは家屋などを見つけて人を頼るべきだよね。
わたしは覚悟を決めて、森に足を踏み入れた。
「はぁ、はぁ」
荒い息を吐きながら横にある木に手を着き、体重を預けた。
「ここ、かんっぜんに山だね。でこぼこしてるし傾斜はひどいし、崖はあるし。あぁもう疲れたー」
ここ、都会っ子にはかなり厳しい環境だよ……
もう何時間歩いたんだろ。
山だと分かってからはなるべく下へ下へ歩き続けてきた。
しかし周りに見えるのは木々ばかり。
上を見上げても空が覗けるわけではなく、そびえ立った木々から円状に広げられた枝葉が日差しを受けている。
明るさからいってお昼くらいだろうか。
「うぅっ、スタート地点が劣悪すぎだよぉ……」
道なんてものは全くなく、川も湧き水も木の実なんかも見つからない。
狂暴そうな野生動物に遭遇しないのは良かったけど、ずっとこのままでは別の理由から命が危険になることは間違いないよね。
常に文明の利器に頼った生活をしてきたから、このような状況でうまく立ち回る知識は皆無だ。
火さえ起こせないだろう。
また、夜を迎えれば汗を吸った衣服は冷たくなり、身体は凍えるに違いない。
そして待っているのは死のみ。
転生直後に死んじゃうって笑えないよ……
頭では危険な立場を理解しているが、身体は普段通りマイペースに今の状態を申告してくる。
足はだるく、土踏まずの辺りの筋肉が痛い。
背中に流れる汗が気持ち悪く鬱陶しい。
歩き慣れていない素人が用具さえそろっていない状況で、たった一人山の中。
体の疲れはもちろん、とても心細い。
また、飲まず食わずで歩き詰めたために体力がとても奪われているように感じる。
しかし手元にはそれらを癒すことのできる食料や水が当然存在しない。
もうこのまま何もかも諦めて寝っ転がってもいいかなぁ。
「どうしてこんなことしてるんだろう……」
無に還りたいと願ったのにも関わらず勝手に転生をさせられた挙句、まさかの始めからクライマックス。
わたし、何も悪いことしてないよね? こんなのあまりにやり切れないよ。
ふつふつと現状への不満と行き場の無い怒りがお腹の中で渦巻き、煮えたぎる。
誰も聞いていないと分かっている環境がわたしの背中を押して、溜まっていたものを吐き出させた。
「わたし何も悪いことしてないのに!」
ただ日々の平穏に幸せを感じていただけだった。
突如として起きた事故に日常を壊されて、それを嘆いていたことがそんなにいけないことだったの?
パパやママだけじゃなく自分まで車に撥ねられてひどい目に遭ったというのに。
わたし、もっと報われたっていいじゃない。
なんだか涙出てきた。
「なんでいきなり山の上⁉ 風邪ひいたらどうするの⁉ こんな所で何をしろっていうのよ‼ ばか‼ 美少年のあほ‼ いじわる‼ ばかーーー‼」
ばかー、ばかー、ばかー……と声がこだまする。
想いの内を全て吐き出せて少し心が落ち着く。
もうちょっと、がんばって歩いてみよう。
そしたらきっと森から抜けられるんだから。
そうやってもう一度自分を奮い立たせていると、突然。
ザッ、と。
何か固いものを踏みしめるような音が近くに聞こえた。
その音がした方向へと顔を向ける。
そこには3、4メートルほどの高さの横に長い岩があり、ちょっとした崖のようになっている。
そして、その上に男が立っていた。
そして半ば呆然と見つめるわたしに、男は話しかけた。
「お嬢ちゃん、こんなとこでどうしたんじゃい?」
「何から何までお世話になってしまってすみません」
リオルさんに頭を下げる。
「そんなに大したことじゃないわい」と笑いながら言うリオルさん。
リオル・ゴートンさん。わたしを助けてくれた、いや現在進行形で助けてくれている目の前にいる紳士の名前だ。
60歳前後といった見た目をしている。
身長はそんなに高くなくて、でも体格はがっちりとしていて不安定な足場をものともしない足腰をしていそうだ。
リオルさんはこの山に山菜採りにきている途中、わたしの声を聞きつけてきてくれたらしい。
頻繁に訪れるこの山のことには詳しく、わたしが見たってどの方向も同じようにしか見えない森をまるで道しるべがあるかの如くすいすいと進む。
そうして10分と歩かない内にわたしを人が通れる道まで連れ出してくれた。
道中に水と携帯食をもらったことで心なしか疲れは少し癒えていた。
「ところでソフィアちゃんはどうしてこんな山の中で迷ってたんじゃ?」
「え、えっとー……」
転生したとか話しておかしな人間だと思われないかな。
そう思いつつも上手いこと話をこじつけられる自信がわたしにはなかったので、素直に自分にあったこと(1回死んで少年に生き返らされて山に放り出されたこと)を話した。
「ほぉ! きみは転生者だったんじゃな。珍しい出会いもあったもんじゃ」
「あ、あれ? あんまり驚かないんですね」
「うむ、確かに珍しいんじゃがのぅ。何年かに1人は異世界からの転生者がやってくるんじゃ」
「ええっ⁉ そんなにいっぱいくるんですか⁉」
「ああ、君の前の世界にはいなかったのかい?」
「ぜ、ぜんぜん聞いたことないです」
「そうなのかい。それじゃあ驚くのも無理はないのぅ」
リオルさんよりもわたしの方がビックリしちゃったよ……
でもなんだか安心した。変な女の子だと思われずによかったぁ。
と、気が緩んだからか
グゥ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っと、
わたしのお腹が大きな音を立てて鳴った。
「あっ! あの! これは‼ その……」
リオルさんは何を言うでもなく、ほっほっほと笑う。
わたしの顔はもう真っ赤だ。
「とりあえず行くとこもないんじゃろ? わしの家に来るといい。パンと温かいスープくらいは出せるから着くまで我慢じゃ」
「いいんですか⁉」
「うむ、家内も喜ぶじゃろ」
「ありがとうございます!」
やった! なんとかなった!
体は疲れていたけど足取りは森の中で1人でいた時よりかは軽くなっていて、わたしはリオルさんの背中を追って山を下りていった。
「ソフィアちゃん。お待たせしてごめんねぇ。ご飯、用意ができたわよ」
子供が実家に帰ってきたときお母さんが浮かべるような満面の笑みで、わたしの前に料理を並べてくれるのはロウネさん。
山で私を助けてくれたリオルさんの奥さんだ。
歳はリオルさんと変わらないくらいなんだろうけど、とっても若く見える。
こんなことを思っては失礼かもしれないがとても可愛いらしい人だ。
「ありがとうございます。こんなにいっぱいご用意してもらっちゃって……しかも急に押しかけちゃって」
ロウネさんは料理のお皿をテーブルへ並べながらうふふと笑う。
「いいのよぉ、そんなこと。いつも2人でご飯を食べるから、今日はソフィアちゃんも居てくれて楽しい食卓になるわぁ」
「そう言っていただけるなら良かったです」
お話している内に支度が済んで、リオルさんとロウネさんも席に着く。
「さぁ、どうぞ。まだ山の方は寒かったでしょう? スープを作ったから最初に飲んで温まるといいわぁ」
「はい、いただきます!」
カットされたバケットに野菜スープ、サラダとこんがりと焼いたチキンが一羽まるまるテーブル中央に置かれている。
わたしはまず深めのお皿に入ったホカホカと湯気が立ち昇る温かいスープを飲む。
「おいしい……!」
手が止まらず、スプーンをお皿と口にすごい速さで行ったり来たりさせてパクパクと食べる。
そんな様子をリオルさんもロウネさんも微笑ましそうに見ていた。
料理が温かい。
熱い冷たいとかのことじゃなくて、胸の内が温まるような、心のこもった温かさだ。
雰囲気もとても温かい。
何だかとても久しぶりな気がする。
わたしを邪魔にしない食卓は。
わたしのためを思って作ってくれた料理を食べるのは。
「ひぐっ」
そうして緊張の緩み切ったわたしはいつの間にか頬を涙で濡らしていた。
理由はたぶん、悲しいとか嬉しいとかじゃなくて。
自分が欲しかったものにやっと今気付けたからだと思う。
わたしは〈無〉に還るとかなんとかで、辛さを感じたくないとかじゃなくて、あそこには無かった〈わたしを想ってくれる人〉をどうしようもなく求めてたんだなぁ、って。
ロウネさんが背中を撫でてくれて、リオルさんは何も言わずにただそこに居てくれた。
泣き止んだ後のご飯がまた美味しくって、わたしはスープをおかわりした。
眩い光が窓から差し込んで、わたしは寝ていた体を起こす。
窓に目を向けるとオレンジ色の朝日が山の方から顔を覗かせている。
机の上の置き時計に目をやると朝の6時だった。
ここでのライフサイクルは夜9時就寝の朝6時起床なので、多少の早起きはへっちゃらである。
ちなみに今わたしがいるのはリオルさんの家の2階、6畳くらいの部屋で、元々の役割は客間だった。
もう自分の部屋のように使っていて、椅子には今日着る服が畳んで置いてある。
この世界へやってきてからすでに2週間が経過していた。
「よし! 目覚めはバッチリ。今日も1日がんばらなくっちゃ」
わたし机の上に置いてあった派手過ぎない装飾の施されたランプを持って部屋を出る。
この家には、いやどこの家でも大体は同じなのだが、夜は灯りが無く暗いので、部屋まで来るのにこの魔法の込められたランプが必要なのだ。
この世界にはいろいろと驚くことがあったが、1番の驚きは魔法が存在するということ。
魔法というと勝手ではあるけど、裏の世界で限られた人数の魔法使いたちが秘密裏に研究しているといったイメージだったんだけど、この世界では魔法の存在は隠されたものではなくて、むしろ生活の中心になってるみたい。
あらゆる生活必需品は魔法で作られているし、魔法が込められている生活必需品だってある。
魔法が込められている物のことは<魔具>って呼ぶらしい。
手に持つランプに目を移す。これも魔具のひとつ。
光を灯す魔法が込められているそのランプは、手に持って「オン」と言えば灯りがつき、「オフ」と言えば消える。
そして壊さない限りは半永久的に使用できるらしい。
これはLEDも立つ瀬がないね!
また、この世界には電気を生活に使用するという発想はそもそも無いみたい。
電気といえば電撃で、攻撃に使用するのが主って感じの受け止められ方をしている。
電気に限らず、この世界では科学・化学全般が元の世界に比べて重要視されていないんだけれど、それは今まで全ての不便さが魔法によって解決されてきたからなんだろう。
わたしは階段を降りて厨房に向かう。
厨房ではすでにリオルさんが起きて仕込みをしているようで作業の音がしていた。
降りてくる音に気付いたのか、野菜を切っていた手を止めてリオルさんがこちらを向いて朝の挨拶をしてくれる。
「おはよう、ソフィアちゃん」
「おはよう、リオルさん!」
厨房に居たのはリオルさんのみで、ロウネさんの姿は見えない。
ホールの準備をしているのだろう。
わたしも朝の準備を済ませてお手伝いに入らなくちゃ。
「顔洗ってきまーす!」
「ああ、支度を急がなくてもいいからね」
2週間前にこの家に連れて来てもらいご飯を食べさせてもらったその後、リオルさん達は行く宛のないわたしに「居たいだけ居ていい」、「ここが家だと思ってくれていいからね」とまで言ってくれた。
この世界に関して右も左も分からないわたしにとっては感謝しかない。
しかしただお世話になるのではいけないと思って、毎日リオルさんが経営している食堂のお手伝いをさせてもらっている。
ここのお家は食堂と繋がっていて、厨房を間に挟み1階部分は生活部と食堂部に分かれている。
食堂はホール上になってテーブル席がいくつかあり、最大20名が入れる作りにになっている。
わたしは朝の支度をしに生活部にある洗面所へと向かう。
顔を洗ってから鏡を見ながら髪を梳かし、頑固な寝ぐせには水を付けておく。
一通り支度が終わったので改めて厨房に向かい、リオルさんに指示を仰ぎお手伝いを始めた。
時計が11時を指し、<ゴートン食堂>がオープンする。
ちらほらとお客が入ってきて、わたしが注文を取りにいく。
小さい町だからこの食堂に来るのは常連さんばかりだ。
最初にわたしが手伝いを始めたときは興味を持たれ色々質問されてしまいオロオロとしたものだが、今では軽く世間話ができるくらいには打ち解けた。
「ピラフのランチセットですね。いつもありがとうございます」
平日のお昼は週に2,3回食べにきてくれるダレスさんの注文を受けてメモに書く。
切り取り線がついているメモで、これをちぎって注文票としてリオルさんに渡すのだ。
メモを終えて厨房に向かおうとした時、ダレスさんが何の気なく半ば独り言のように呟く言葉が聞こえた。
「今日も結構、席が空いてるなー」
「……え?」
思わず振り向く。
ダレスさんは無意識に呟いていたらしく、あっとした表情を浮かべて「ごめんごめん」とわたしに向けて軽く謝った。
「いやね、もう少し前まではお客がもっと来てたんだよね。それこそ外に並ぶくらいにさ。だけど最近になって減ってるなー、と思ってね」
特に悪気はなかったんだよ、ごめんね? と再びダレスさんは言う。
しかし、わたしが耳聡く振り向いてしまったのはダレスさんの呟きにムッとしたからではなく、むしろわたし自身も全く同じ感想を抱いていたからだ。
小さい町とはいえ近くには働く場所がそこそこあるのに、ピークのお昼時でさえ席の半分ほどしか埋まっていない。
正直に言ってこれくらいの客入りでは経営が厳しいのではないかと密かに感じていた。
「どうしてお客さんが減ってしまったんでしょうか? 何か原因が……?」
原因があるなら少しでも助けになれることはないかな。
ダレスさんは「まあ、おそらく」と前置きし、
「南側にある橋を超えた先に1軒新しいお店ができたんだ。なんでも量が多い上に安いらしいし、米のおかわりも自由なんだと。腹を空かせている若者にはうってつけの店だな」
と、教えてくれた。
道理で若い人の姿が食堂であまり見ないと思った。
いつも食堂に来てくれるダレスさんも若くは見えるが、実際は30代で結婚もしていて子供もいると言っている。
それに加えて町役場での勤務をしているために体はあまり動かさないからここの食事の量で充分なのだろう。
わたしはダレスさんにお礼を言って、それからダレスさんの注文メモを厨房に持って行って仕事を続けた。
それからは、「わたしに何かできることはないかな」と、考えながらの仕事で多少上の空であったかもしれないが、お客さんの量はそれでも充分にさばけるほどしか来なかった。
食堂が休みのある日、わたしは市場に買い物に出ていた。
食堂で使用する材料の買い出しが目的ではない。
今日の目的は、わたしが作るお昼ご飯に必要な食材を集めることである。
きっかけというほどのものはないけど、食堂の営業日も休日もリオルさんかロウネさんにお昼ご飯を作ってもらっていたから、休日くらいは休んでもらいたいとの思ってわたしが提案した。
2人とも喜んで、楽しみに待っていてくれているから作り甲斐があるな。
作ろうと思っているのは両親譲りで大好きだったカレー。
大好きな上に両親が健在の頃はよく一緒に料理していたから一番自信をもって食べてもらえる料理だ。
「でも、この世界はカレーがないみたいだったからちょっと心配……」
実は何度かリオルさんとロウネさんにカレーについての質問をしたことがあるんだけど、そんな料理は聞いたこともないって言われてしまった。
2人に、「もしかするとここでは料理名が違うのかも」と思ってできる限りカレーのイメージを伝えたけど、複数種類の香辛料がふんだんに使われたスープ系統の料理はやはり耳にしたことはないらしかった。
そんな2人にカレーが受け入れられるのか少し不安はあったけど、でもカレーは美味しいから大丈夫だよね、と楽観する。
だって本当に美味しいんだから。
市場は川沿いの開けた場所にあり、そこだけは建物がなく、みんな四角く立てた骨組みの上に白い布を被せたテントのような空間に机を置き野菜や肉、魚などを並べている。
わたしはいつも食堂で使う食材を卸してもらっている人のところでお肉・野菜を買って、カレーの味の決め手となるスパイスの吟味をしていた。
スパイスを専門として売っているそのテント内には藁で編まれた籠が所狭しと置かれていて、その籠の1つ1つに異なる種類のスパイスが山積みになっている。
この町では色んな種類のスパイスを、家庭でも料理やお菓子作り、防虫剤などに良く使用するらしい。
さらに、この周辺ではスパイスの原料となる実が生える樹木やハーブが多く生息しており、多くの需要に応えられるだけの充分な供給があるため、そこそこ安いので売れ行きはとても良いみたい。
今もわたしが一生懸命に香りのチェックをしている横で主婦らしき女性がスパイスを買っていく。
(う~ん、普段はガラムマサラに頼って味付けしてきたから一からの組み合わせとなるとなかなか難しいなぁ。とりあえずリオルさんたちがどれくらい辛さに耐性があるか分からないから、チリペッパーや胡椒、生姜の量は抑えるとして、スパイスにも好みがあるから好き嫌いの分かれそうなクローブは抜くべき?でもガラムマサラには入ってたような……)
わたしは少し、いやかなりスパイスについて詳しい。
というのも、両親がカレーについてはかなりの凝り性だったからだ。
うちのカレーは市販のルーを使わずに複数のスパイスを使って1から作る本格派カレーで、そんな家で育つと自然にスパイスについての知識が身につく。
唸りながら色んな種類のスパイスの香りを確かめていく。
「今日はとても真剣だねぇ。それにそんなにいっぱいスパイスの香りを確かめて何に使うつもりだい?」
このお店のご主人であり、行商人でもあるデッツさんが珍しい生き物でも眺めるかのようにしげしげとわたしを観察しながら尋ねる。
「料理に使うの。カレーを作ろうと思ってて……デッツさん、すごく多くの種類のスパイスを使って作る、カレーって料理を知ってる?」
「かれー? 聞いたことないなぁ。そんなに色んな種類のスパイスを使う料理があるのかい。1つ1つの香りが分かんなくなっちゃわないか?」
うーん、やっぱり知らないか。
スパイスは前の世界と同じくらいの種類があるのに、そこから生まれる料理は違うんだなぁ。
しみじみと料理文化の奥深さに思いを馳せつつ、そこからまたしばらく時間を掛けてスパイスを選んでいく。
しっかりと悩んで選び抜いた後は香辛料の強い芳香に、嗅覚が少しおかしくなっていた。
「さてと」
腕をまくり、キッチンに向かう。
台には玉ねぎ、にんじん、トマト、豚挽き肉と購入した香辛料各種が並んでいる。
時刻はお昼ちょっと前。
まさに今からお昼ご飯づくりに取り掛かるところだ。
リオルさん達には1階の生活部分の居間でゆっくりとして待っていてもらうように言ってある。
そうは言ってもそれほど時間を掛けるつもりはない。
今日作るカレーはかなり簡単に作れるお手軽カレーの部類に入る上に、万人受けする味付けの美味しいカレーなのだ。
まず、粗みじんにしたニンニク2つと鷹の爪2つを油を引いた大き目のフライパンに入れてコンロを熱する魔具を動かす。
弱めで熱するように設定をした後、野菜を切りにかかる。
「はじめは玉ねぎ、っと」
小さめな手の平に丁度良く収まるサイズの玉ねぎをみじん切りにする。
買ってきてから冷蔵庫(もちろんこれも魔具)でちゃんと冷やしていたので玉ねぎ成分が目に染みることはない(常温保存だと目に染みちゃうんだよね)。
ボウルなどをいちいち使いたくないので、1玉みじん切りにしたらまな板の上の玉ねぎはそのままフライパンに投入する。
3玉切ってフライパンに入れた後は、塩を3摘み程度入れて軽くかき回してから熱を少し強めにする。
ここから飴色になるまで玉ねぎを炒めていく。
その間、次は人参をみじん切りにしていく。
時折玉ねぎが焦げ付かないように、フライパンを動かす。
人参をみじん切りし終わる頃には、玉ねぎが程よく飴色がかってきたので、またもやまな板の上から直接人参を投入。
続いて大き目のトマトを2つ粗みじん切りにする。
ナイフの切れ味が良いので、断面が潰れて無駄に水分を出してしまわずにトマトをカットできる。
切り終わった端からトマトもフライパンへ投入。
そしてここからが大一番、香辛料による味付けだ。
「さーて、腕の見せ所だぞー」
今回使用する香辛料は4つ。
クミンーカレーの匂いと言ったらこれ。どことなく漢方薬を彷彿とさせる刺激的な芳香が鼻をくすぐる。
カルダモンースパイス界の女王さま。清涼感のある柑橘系の香りが特徴的。
オールスパイスー甘い漢方の香りのするスパイス。名前の由来はシナモンやクローブなどの香りを合せもつことからきており、口にするとミント系の刺激がある。
チリペッパーこれは一味唐辛子と材料は全く同じであるので割愛。
パウダー状のそれら香辛料を、計量器などは使わずに適量(と思わしき量)、ドバっと入れる。
大さじだとか小さじでは計らないのが、前世の我が家スタイル。
両親曰く、「カレーに2度同じ味はない」と。
クミンの量が少なすぎるとカレーっぽくならないし、カルダモンを入れすぎると口の中がお花畑みたいに爽やかになっちゃうから気を付けないと。
後はまた適量塩を入れて、味と香りをチェックして、納得がいくようにスパイスを少しづつ足していって味を整える。
ここまでの工程ですでにもうカレーの匂いしかしない。
トマトの水分が飛び、ちょっとしょっぱいくらいに味が付いたタイミングでフライパンを熱の入っていない別コンロに移し、別のフライパンでひき肉を炒める。
出てきた肉汁・油は少々もったいないが拭きとる。
以前お肉を食べていた時に、好きだが油に胃をやられてしまい量が食べれない、といった話をリオルさんから聞いていたのだ。
肉全体に熱が通ったら先程横のコンロによけたフライパンのカレーと手早く混ぜ合わせる。
「……できた!」
豚挽き肉のキーマカレーの完成だ。
「よーし! ちょっと味見しちゃおう……」
フライパンからスプーンですくって1口食べる。
「うん! よくできてるね、美味しい!」
これは自画自賛になっちゃうのかな、いやでも本当にいい具合にできている。
あと、なんだろう。
体がやけに元気になって力が漲るような気がする。
重力を感じられないような軽快感がして、今なら風を切ってどこまでも走っていけそうな気分。
全身が新しく強い細胞に置き換えられたかのような、そんなー
「美味しそうな匂いがしてきたのう」
独特な香辛料の強い香りと肉の焼ける匂いが届いからか、リオルさんが居間の方からやってきて厨房に顔を覗かせる。
「あ……。う、うん。とっても美味しくできたよ! 完成したから今持って行くね!」
「うむ? あぁ、わしも運ぶのを手伝おう」
「ありがとー!」
わたしは皿にご飯とキーマカレーを盛りつけて、トレイの上に載せる。
リオルさんはそこにスプーンを用意してくれて居間に持って行ってくれた。
「なんだったんだろう、この感覚。でも体調が悪いわけじゃないし、むしろ良いし、害はなさそうだよね」
きっとこちらのスパイスの成分は前の世界のスパイスとちょっと違っていて、こういう効能があるんだろうな。
そんな風に考えるに留めて、コンロの灯りを見て魔具の効果が消えていることを確認してから居間に向かった。
「美味しいわぁ‼」
「おぉ、うまいうまい!」
「ほんとう? よかったぁ!」
リオルさんとロウネさんの評価は上々だった。
今回のカレーはトマトベースでカルダモンの香りも相まって爽やかな風味になっている。
ひき肉が入っているが油をしっかり拭きとったためにしつこくないし、オールスパイスが肉にも馴染んで味に深みを出し臭みを消している。
さらにクミン、カルダモンには胃の不調を改善し消化促進をする効能があるから、このキーマカレーではお肉を美味しく食べてもらうための万全の下地を用意できたと思う。
「これが<カレー>なのねぇ。クミンって香りが強いから隠し味でしか使ったことがなかったけれど、料理の前面に押し出すなんて考えもしなかったわ」
「スパイスはあくまで肉・魚の臭み消しとか味に複雑さを加えるためにしか使っとらんかったからのぅ。いやそれにしても食べたことのない味じゃ。しかしうまい!」
2人とも食堂を経営している身としてカレーという料理に色々と考えることがあるのか口々に感想を言いつつ、それでもパクパクと食べ進めてそれほど時間はかからずお皿は空になった。
「ごちそうさま! とっても美味しかったわぁ。なんだか溜まっていた疲れも取れちゃったみたい」
「ごちそうさん! 美味いし、元気の出る料理じゃな。体に力が溢れるというか、なんじゃ今なら熊とでも戦える気分じゃのぅ」
「あはは、そんなに喜んでもらえてわたしも嬉しいよ」
自分の作った料理を食べてくれた人にこうも褒められるのは初めてで、嬉しくて胸が熱くなる。
「このカレーというのはとても面白い料理じゃな。今日混ぜたスパイスの他にも別のスパイスを混ぜたりして味を変えたりすることもできるのかのぅ?」
この質問に、わたしの中の何かのスイッチがカチリとONになるのが分かった。
「もちろんだよっ! 今日使ったクミン、カルダモン、オールスパイス、チリペッパーはカレーに使用する上ではかなり基本的なスパイスなの! だからそれにアレンジを加えていくことによってより複雑かつ独特な風味を出していくことができるんだよ! もちろんただただ色んなスパイスを混ぜるだけでは美味しいカレーはできないから、素材との相性と自分がどのような風味を出したいかっていうね、ハッキリとした方向性を持つことがー」
「す、ストップストップ、わかったわかった! ソフィアちゃんがカレーを大好きなのはよぉーくわかった!」
びっくりしたのか焦ったのか、リオルさんは驚きの表情で両手を前に出して、暴れ馬でも鎮めるかのようなポーズでマシンガンのように続く私の言葉を抑えた。
わたしとしては口を尖らせてちょっとむぅ~っとしてしまう。
カレーの良さはこんなもんじゃないのだ。
もっと話したかったな。
「ところでソフィアちゃん。明日からこのカレーをランチに出してみたいんじゃが、ダメかのぅ?」
「え?」
「いいわねぇ。きっとみんな美味しい! って言って食べてくれるに違いないわぁ」
ロウネさんも何故か納得の様子だ。というかランチ? え、食堂のランチ⁉
「今日食べたカレーそのままでも充分いいと思うんじゃが、ソフィアちゃんはどう思うかのぅ?」
「え? いや、その前にいいの? わたし、お料理のプロとかじゃないし味とかもお客さんみんなを喜ばせられる自信とかないよ……?」
「あら、ソフィアちゃんの世界ではお料理を振舞うのに専門の資格が必要だったの? この町では特にそういったものはないから安心していいわぁ」
「そうそう。それにそんなに気を張らんでいいから。充分美味しかったからみんなも喜ぶと思うしの。どうじゃ? 作ってくれんかのぅ?」
いや正直、唐突な話でびっくりしていて、どう答えたらいいやら。
しかし、ランチタイムで席の空いている食堂の様子が思い出される。
もし、このカレーが話題を呼べるようになったのなら、もう少しお客さんが増えるかもしれない。
この食堂の役に立てるならそれもいいかなと思う。
正直まだお客さんを満足させられるような自身は芽生えていなかったが、チャレンジできることならしてみよう。
「わ、わかった! 明日のランチでちょっとがんばってみるよ!」
リオルさんとロウネさんに少しでも恩返しをしたい、そういう気持ちもあってこの一歩を踏み出してみよう。
こうしてわたしはカレー料理人へと転身したのだった!
ーそしてその一歩がこれからのわたしの生活を大きく変えることになっていくのだけれど、この時のわたしはそんなこと微塵も考えたりしていなかった。
開店1時間前、チョークで色鮮やかに「新商品! 豚挽き肉のキーマカレー! 限定20食!」と書かれた、黒板状になっている小さめの立て看板をお店の前に出す。
20食分しか用意をしなかった為に、それほど時間は掛けずにカレーの仕込みは終わっている。
「ふわぁ……」
リオルさん達にはそれほど気を張る必要はないと言われているものの、お店で自分の作った料理を提供するなんて初めての経験だから緊張してしまい、昨日は中々寝付けなかった。
だができることは全てやったし、後はお客さんたちの舌に委ねるしかないよね。
今日仕込み終わった後にリオルさん達の味見で美味しくできていると言ってもらえたから、正直なところ結構自信はある。
1度食べてもらえさえすればきっと受け入れてもらえるはず。
「さて、ホールの準備をしてこなきゃ」
再び食堂に戻り、食器やお水などのランチ営業の準備に勤しんだ。
そしてランチタイムが始まり、30分が経とうとしていた。
キーマカレーの売れ行きはというと……
「ビーフシチューとサラダですね、ご注文ありがとうございます。しばらくお待ちください!」
こ、これで7連続注文なしかぁ……
内心少し気を落とし、しかしそれを表に見せまいとしていつも通りハキハキとした応対を心掛ける。
現在すでに7組の来店があったが、まだ1品の注文も入っていない。
一応、注文を取りに行く際に、
「本日から新商品のキーマカレーを始めたんですよー! スパイシーでトロトロなライスにかけて食べる料理です!」
などと進めてはみるものの、なかなか頼んでもらえていない。
スパイスが生活に馴染んでいるから、カレーも受け入れやすいんじゃないかなーと考えてたんだけど……
もし、このまま売れなかったらどうしよう。
いっぱい売れ残っちゃったら処理にも困っちゃうし、リオルさん達もわたしに気を遣っちゃうよね……
そんなことを考えているとき、新たに来店を知らせるドアのベルがチリンチリンと鳴った。
「ダレスさん! いらっしゃいませ!」
ドアから顔を見せたのはこの食堂の常連で、近くの町役場で働くダレスさん。
「こんにちは、ソフィアちゃん。今日から新商品を始めたのかい? 新しいメニューなんていつぶりだろうな」
「はい! キーマカレーっていって、スパイシーな味付けの料理なんです」
「へぇ、聞いたことがない料理名だね」
「前にわたしが済んでいた場所では一般的だったんですけど、ここではみんな知らないって。昨日わたしがお昼ご飯に作ってリオルさん達に食べてもらったら気に入ってもらっちゃって、今日のランチで出してみようってことになったんです」
するとダレスさんは感心したような表情を浮かべた。
「そうかい、ソフィアちゃんが作ったのかい。まだ若いのに料理ができるなんですごいね。よし、今日はそのキーマカレーをもらおうかな」
「ほんとですか⁉ ダレスさん! ありがとうございます!」
ダレスさん優しい!
初めて注文が取れて、ついつい大きな声を出してしまった。
「一生懸命ご用意させていただきますので、少々お待ちください!」
注文を厨房に届けに行くと、ホールに居たロウネさんが近づいてきて「やったわねぇ!」と、厨房の中からはリオルさんが「良かったのぅ」と声を掛けてくれた。
「ありがとう、すごくホッとしたよ」
肩に乗っていた重たいものが少し下ろせた気分。
これが料理を作って売る人の責任ってやつなのかな。
後は食べてもらって気に入ってもらえればいいんだけど……
そして5分後、キーマカレーがお皿によそわれてカウンターに置かれた。
少し緊張しながら、トレイに載せた料理をダレスさんの元へと運んだ。
「お待たせいたしました。豚挽き肉のキーマカレーでございます」
「おお、これがキーマカレーというやつなんだね」
「はい、お熱いので気をつけて食べてください」
料理を置いていつもならテーブルを後にするのだが、キーマカレーを食べてどういう反応をしてくれるのかが気になってついついその場に残ってしまう。
ダレスさんもわたしの気持ちを察してくれてか何も言わないでいてくれる。
そうしてダレスさんは1口、キーマカレーをすくって食べた。
どんな評価をもらえるか、ゴクリと自分が唾を呑み込む音が聞こえる。
わたしの中の1秒が1分にも感じられる張りつめた時間の後、ダレスさんが口を開いた。
「これは……」
「これは……?」
「うまい……!」
「本当ですか⁉」
「ああ、本当に美味いぞ! 今までにない風味だな。スパイスなんて薬か隠し味かというところでしか使う印象がなかったが、こんなにも美味しくなるとは思わなかったよ」
「やったぁ! ありがとうございます!」
「いやいや。本当のことを言ってるだけだよ。なんだか食べるごとに元気や力が湧いてくるような、不思議な感覚になるね。これはすごく売れるんじゃないかな?」
よかった、ちゃんとリオルさん達以外の人たちにも美味しいと言ってもらえるカレーを作れていたんだ。
すごく安心したけど、でも常連のダレスさんにしか未だ注文をもらえていないんだよなぁ……
「そう言ってもらえて嬉しいです。でも……」
わたしは注文の際に勧めてみるものの、なかなか新商品を受け入れてもらえていない現状をダレスさんに話してみた。
「うーん、やっぱりどういう味なのか想像がつかないのが、注文をするのを躊躇わせてしまうんじゃないかな。どうだろうか、試食を提供してみるのは」
「試食、ですか?」
「そう。注文の前に少量食べてもらうんだよ。新商品のご紹介です、という形でね。そうすればお客さんは想像じゃなく、実際の味を分かって注文することができるだろう? その人にとって本当に美味しければ頼もうという気になるんじゃないかな」
「確かに……! 味が分からないものを頼むのって結構勇気が要りますよね!」
目からウロコだった。
そうだ、食べてもらえれば美味しいと分かってもらえると思っていたのだから、それならば注文をしてもらう前に実際に食べてもらえばよかったのだ。
「ありがとうございます、ダレスさん! さっそく試食を皆さんに勧めてみます!」
そこからは順調だった。
注文を待っているお客さんに試食を勧めて食べてもらったところとても感触が良くて、多くの人が立て続けに注文してくれた。
またすでに料理を提供している席のお客さんにも試食を提供したところ「明日はキーマカレーを食べにくる」とみんな口をそろえたように言ってくれる。
結局のところ、ランチタイムが始まって1時間半でキーマカレーは全て売り切れるという大好評に終わったのだった。
その翌日から限定20食だったところの限定を外して50食も用意したが、それもわずか2時間で売り切れてしまった。
小さい町のため新商品の話題はすぐに広まったようで、お客さんの量もわたしが来てから見た人数の何倍も増えた。
お昼に外を見れば、食堂の入り口前に並ぶ行列が目に入る。
ホールを回すのにも一苦労であるが、嬉しい大変さだ。
どうやらキーマカレーのリピーターになってくれたお客さんが新規のお客さんをどんどん連れて来てくれているらしい。
食べ盛りの若い男性の客層も増えている。
なんでもキーマカレーを食べると力が湧いてくる、いつもより重い物を持ち上げられる気がする、などとの評判で肉体労働系のお仕事に就いている人々から好評なようだ。
疲労回復の効果がある豚挽き肉に健康に良いスパイスが加わった結果だろうか。
いや、そんなパワーアップするものかな……?
とにもかくにも、余計なことを考える暇もなく注文を取り、厨房が忙しくなればわたしも手伝いに入るような毎日。
歓迎すべき忙しさに心なしかリオルさん達も生き生きとしているようで、わたしはその空間を作る助けになれたこと、そしてその場にこの身を置けることへの幸せを感じていた。
今日も明日もお仕事がんばるぞ!




