プロローグ
カレーは人生を美味しくするスパイス
戻りたくない場所だ。
願わくば、学校の授業が永遠に終わらなければいいのに。
風に吹かれたわたしの髪が顔の前にかかる。
それは夏の日差しを反射させて一層強い金色になっていた。
2か月前、両親が他界した。
ニュースでよく聞くような話で、信号無視をした乗用車による衝突事故だった。
当時の詳しいことはあまり覚えていない。
ただ、わたしが立っている場所の床だけが抜けたような、孤独感。
そして誰にもひもを持たれていない風船のように、当てもなくふわふわしたような気持ちが未だに残る。
そうして親戚に引き取られた先では、わたしの存在を邪魔にしか思っていない人たちとの共同生活が待っていた。
わたしのパパはロシア人で、ママが日本人。
母方の親戚は国際結婚に反対をしていたから今まではほとんど絶縁状態だったのに、わたしが事故のショックで呆然としている間にお葬式の取り仕切りを行って、わたしを引き取る手続きを済まして、遺産のほとんどをわたしを今後育てるという名目のもとに奪ってしまった。
引き取ってわたしを家に連れ帰った直後に叔母に当たる人物が、あんな男に嫁いたからこんな事になってしまったんだよ、自業自得だ、とわたしの前で堂々と言い放った時は、驚きの余り一瞬血の気が引いて、そして急激にお腹の底からドロドロした怒りの感情が渦巻いたようだった。
わたしは叔母へと怒りをぶつけたけど、結局その言葉を取り消させることもできないまま、居場所だけを失ったんだ。
せめてずっと学校にいることができれば、あんな場所に戻らずに済むのに。
ああ、でも結局学校にいる時間が長くなったとしても同じだろうな。
周りに気遣われて、腫れ物のような扱いを受けているわたしには決定的に居場所がなかった。
遅い足どりで住宅街を歩いている。
急に懐かしい家庭の匂いがして温かな過去の記憶が蘇った。
両親が有って、当たり前に「いってきます」と「ただいま」が言えた頃の思い出。
その匂いはパパとママがプロにも負けないと自信たっぷりに腕を奮って作ってくれた、わたしも大好きだった、あの。
ボヤっとしていたから周りに注意ができていなかったんだ。
最初に感じたのは浮遊感で衝撃はその次で。
大きなブレーキ音が聞こえる。
小さなわたしの体は冷たいアスファルトへと大きな放物線を描き、叩きつけられた。
遠くに住宅のブロック塀に突き刺さる大きな車が見えて、ああ、わたしはあれに跳ねられたんだな、と割とすぐに自分の状況を理解できる。
不思議なことに意識ははっきりとしているのに痛みはまるでなかった。
ただ、1秒ごとに体の中から大事なものが抜け出ていっているような感覚が少し恐ろしかった。
でも死ぬことに対して拒否感はない。
この世界に、自分が生きる場所を見つけられていなかったから。
ひとつ、未練があるとするならば。
もういちど、パパとママと一緒に。
まだまだ、いっぱい話したいことだってあったんだから。
温かい食卓で、いっぱい時間をかけて作った温かいカレーを食べながら、温かい家族に向かって。
あといちどだけだって、よかったのに。
それきりもう、何も考えることはできなかった。
「やあ、ソフィアちゃん。キミの人生は終わったよ」
うん。そうだね。
突然の人生終了の宣告に、車に跳ねられた記憶がハッキリとあるからか、わたしに特別な驚きはなかった。
そこは上も下も横も全てが真っ白な世界で、わたしへ話しかけた少年だけが金色に色づいていた。
11、2歳だろうか。声変わりをしていない少年特有の高い声に細い手足。
万人が目を惹かれるだろうとても整った顔立ちをしており、特にその紅い目は宝石のような美しさをたたえ、ブロンドの髪は絹のように細く柔らかで黄金色に輝いている。
そんな美少年が立っていた。
服装もとても気品の溢れるもので、普通に生活していたら一般人がまず話したりすることのないような人種であることは確かだ。
そんな少年は今、わたしとは少し離れた場所に浮いていた。
なんで浮いているのか、どうやって浮いているのか不思議と訊く気にはならなかった。
それが自然に感じられたからかもしれない。
少年はわたしに言葉を続ける。
「さてキミには今、2通りの選択肢があるよ。このまま輪廻を抜けて無に還るか、転生を望むか。どちらがいい?」
わかんない。
「でもどっちかは選ばないといけないよ。じゃあ選びやすくなるように簡単に両方の選択肢を説明してあげるね。〈無に還る〉というのは言葉通りさ。キミという存在を無くしてしまうんだ。キミはこの世界から無くなってしまうから、何も感じる事はないし何も考えることもない。そして〈転生〉というのはキミに別の人生を与えるということだよ。色んな世界があるから、そのどこでも好きな場所を選ばせてあげられる。もし人生をやり直したいのであればこちらを選ぶと良い」
だったらわたしは〈無〉になりたい。もう辛いことは嫌だよ。
「ふーん。その選択でいいんだね?」
うん。わたしの居場所は、もう無いもん。
「ふーん……あっそう。よし、わかったよ。じゃあキミには素敵な転生生活をプレゼントしよう!」
えっ?
「どれにしようかな~っと。おっ、ここがいいや! ちょうどいい場所があったよ」
えっ⁉ ちょっと待って‼ 今わたし無になりたいっていったよね⁉
「うんうん。わかってるわかってる。キミさっきから一言も声を発せてないけど、それでもその気持ちは手に取るように分かるよ!」
分かってない! ぜんぜん分かってないよ! そもそもわたし声出てなかったの⁉
「うん。出てないよ」
じゃあ早く言ってよ! ……って聞こえてるじゃない!
「はっはっは。まぁつべこべ言わずにいってらっしゃい!」
ドンッと背中を押されて前につんのめった。
「痛い! ちょっとなにするのよっ……って……」
文句を言いに振り返った先に見渡せるのは一面の白い世界ではなくなっていた。
森だ。
一面に木々が広がっていた。
少年もいない。
そよ風が吹き、わたしの長い髪が揺れた。
完璧に屋外だった。
「ここ、どこぉ……?」
もう何が何だかわかんないよぉ……
こうして強制的にわたしの異世界生活はスタートした。




