人間だった仲間
「コッコッコ、コケ?」
ま、まさかお前も……?
「てめーらには血も涙もないのか!」
怒り狂いながら俺は走り回り、手当たり次第に餌をついばむ。こうなったら――運動と水分補給とバランスの取れた食事だ!
怒りも悲しみも虚しさも――!
……三歩歩けば、スーッと忘れてしまう?
なにを怒っていたんだっけ?
「じゃねーぞ! 忘れるもんか! 人間のばかやろー!」
でも、餌をください……。
「コッコッコケー!」
「どけどけどけ~! その餌、俺によこしやがれ!」
自由本譜に己の欲望のまま俺は餌場へと突き進んだ!
「うわ! やめろよバカ!」
「なんだと、お前、やんのか?」
そう言っておいて、俺は驚いて突こうとしたクチバシを止めた。
「……、お、お前……俺の言葉が分かるのか! 理解できるのか?」
「あ、ああ。だから突かないでくれ!」
「じゃ、じゃあ、お前も前世は人間だったのか?」
「に、人間だって? 人間……。そ、そうだった……俺は人間だったんだ。あの、大きな動く物体と同じ……人間だったんだ……。すっかり忘れてしまっていた……」
……人間だったことを忘れてしまっていただと……?
ここには紙も書くものもない。あったとしても書くことも出来ない。歴史を記していく術がないのだ。
俺も、こいつと同じように、いずれは全てを忘れ……?
いや、えーっと? 今、なにを話そうとしていたのか、忘れてしまった……。言っとくが、痴呆症じゃないぜ。
「まさか、生まれ変わったら鳥になりたいって願っていたら……、ブロイラーにされちまうとはな……」
餌場を少し離れた所へ二人……二羽のニワトリは座った……しゃがんだ。
「何回目だ? 出荷されるのは」
「あー、もう忘れちまったなあ……。軽く百回は超えているんじゃないかな……」
「百回も!」
百回もあの切断マシーンで首をはねられたと言うのか――!
あの記憶だけは抹消したいぜ――! 痺れるような強烈な痛みだけは……忘れ去る事なんてできずにいた。
「ここから逃げる方法はないのか?」
「……ない」
「じゃあ、せめて違う生き物に生まれ変われないのか?」
「……ない。まさに呪いのようだな……。どこかへ逃げようとしていた自分自身への……」
逃げ出そうとした自分への……呪いだと――?
じゃ、じゃあ俺達は全員――人がブロイラーの鶏を食わなくなるまで無限ブロイラーループされるというのか……。
「雌はいないのか?」
「……いない。ここでは鑑別飼育をしているから、雌は大きくなれば違う所へ連れて行かれるのさ。採卵所の方に取引されると聞いたこともある。……性欲を満たしたかったら、雄に乗ればいい」
……。
見れば雄同士、喧嘩しているやつ以外に、発情して訳も分からず他の雄に乗っている雄がいる。乗られる方は当然嫌がり、走って逃げている……。ボーイズラブではなさそうだ。
「さて、そろそろ出荷の時だな」
「また……会えるか?」
「もう、ないだろうな……。ここでは時間の経過もまちまちだ。それに、ここからは見えないが工場内には他にも何万もの鶏が飼育されて出荷を待っている。品種も、用途もさまざまだ。それに、次に会う時にはもうお互いの事も、言葉も、人間だった事も……忘れてしまっているかもしれない」
ゆっくり立ち上がると、歩き去ろうとする。
なんとかしなくては。
なんとか現状を打破しなくては――! しかも、限られた人間の記憶が残っている時間内に!
「……そうだ。現状を変える方法が一つだけあるとすれば……」
立ち止まり、ゆっくりと顔だけで振り向く。
「ヒヨコの時におっさんが拾いあげて尻を見る時、肛門にグッと力を入れるんだ。雌と見間違えるかも知れない」
「雌と見間違う?」
「ああ。それで雄と雌を見分けているんだ。採卵用の品種のときに雌に見間違えられたら、別の場所……まさに鶏における別天地に連れて行ってもらえるかもしれない。ただ……その後なにが待つのかは想像すらつかないがな。見つかって「コキャ」っと絞殺されるのがオチかも知れないが……」
「……やってみる」
現状から抜け出せるたった一つの方法なのかもしれないのだから……。
覚えていればだが……。
必死にそのことだけを何度も頭の中で呟き続け、俺は三度目の出荷を遂げた――。