ヒヨコのルール
「ピヨピヨ、ピヨピヨ」
ここはどこ? 私は誰?
こいつらヒヨコにルールってもんはないのか?
餌を不器用にばらまきやがって。しかも、その上に液状の糞を垂れ零し……、餌場に辿り着けない奴らはそれを大事そうに食べていやがる。
病気になっちまうぞ!
しかし、餌場の争いは過酷だ。近づいて行くと急に体の大きなヒヨコに押しのけられ、その尖ったクチバシで目を――!
ウギャアアァー! 左の目を――突かれた!
下を向くと……ポタポタと目の辺りから血が流れ落ちる――。何度も瞬きをすると……ぼやけてだが光だけは感じ取れた……。やられた相手を血眼になって探すが、もう、どのヒヨコだったか分かりもしない。
左目の視力が……この怪我のせいで著しく低下した……。
スマホをし過ぎて見にくくなった時もあったが……。これじゃ、視力検査で……?
2.0が余裕で見えてしまうかもしれない。
遠くに書かれた文字や、壁時計の秒針の動きまでハッキリ見える……。
幸いにも血は直ぐに塊になって止まったのだが、いかんせん手が短くて届かない。よくよく考えてみると、ヒヨコの手って、短すぎる。一体、なんのためにあるんだ?
そもそもニワトリの羽って、なんのためにあるんだ? 無用の長物だぜ……。考えていて……少し笑ってしまった。
飛べない鶏の羽が……無用の長物だって? じゃあ羽のない鶏に品種改良すりゃいいじゃないか。 フフッ、俺はここがどこで、何をするところかようやく理解できたぜ。
ここは鶏を大量生産する工場――。そして、俺達は……品種改良された食肉用のエリート集団、
ブロイラーだ――!
薄暗い明り。たくさんのヒヨコ。日に日に大きくなり、いつかはここを出る。つまり、出荷されて精肉されるんだ……。
……どうせ死ぬ運命なら……。って、そんなことを真剣に考えていても腹は膨らまねー。今はメシだメシ~! 食わなきゃ腹が減って死んでしまう~!
「ピヨピヨ」
目の前に餌場から飛び散ってきたトウモロコシの断片が転がってきた。まだ綺麗な状態だ!
コッ!
目にも止まらぬ早さでそれをクチバシでついばみ、ろくに咀嚼せずに飲み込む。
美味い……のか?
食べて飲み込んでも、味が……味なんて……よく分からん。固い。乾燥していてカラッカラだ。だが、空腹がほんの少し満たされたのかなあ~とは思う。しかし、その行動自体が、本能を強くかきたてた――。
大切な何かを思い出したかのように俺は――、散らばっている餌の残骸を突いて食べ始めた。糞が付いていても……少しなら構わずに、突いては食べ、突いては食べを繰り返す――。
本能のままに食う。この行為に美味いも不味いも必要ない――。
固いトウモロコシばかり食べていたら、当然のように喉が渇いた。餌が置かれているのなら当然、水もどこかに置かれているのだろう。
俺の冒険が今始まった――。
直ぐ隣に水も置いてあった……。
餌場とは違い、こちらは人気がない。餌場が遊園地の人気一位アトラクションだとすれば、こっちはコーヒーカップってところか。
こびりついた糞は見ないようにして、溜まっている水をクチバシで何度も何度もお辞儀をするように飲んだ。
ああ、美味いヒーコーが飲みたいピヨ……。
腹も膨れて喉の渇きが満たされると、急に眠たくなってくる。この工場には昼も夜もない。薄暗い電灯の明かりと、入れ替わり立ち代わり作業服を着た巨人のようなおっさんが入ってくるだけだ。
眠くなり……そっとしゃがむと……一瞬で夢の世界へと旅立った。
ああ、目が覚めたら……この悪夢が醒めていますように……。
……熟睡してしまった……? こんなに良く寝れた日は、ここ最近なかったかもしれない。
「ピヨ?」
そして目を覚ましても、さっきと変わらない風景に……言葉を失った。薄暗い工場の中……。
一体……何時間眠っていたのだろう……。
遠くにある始業のベルを鳴らす大きな壁掛け時計の針を確認すると、あれから五分も経っていなかった。だが、この熟睡感と、目覚めの良さは、いったいなんだというのだろう。
たった五分で……十時間は眠れたような清々しさだ!
秒針の滑らかな動きが……妙にゆっくりなのは……。完全に時計が狂っているのだろう。電池交換しろと……座って居眠りしているおっさんに言ってやりたい!
せめて電波時計にしろ、と言ってやりたい!
たった五分でこんなに腹が減るはずがないだろう。立ち上がり、また零れている糞付きの餌をついばんだ。
あーあ。一度は餌置き場に直接顔を突っ込んで、大きめのトウモロコシだけを贅沢に食べ散らかしながら腹一杯になりたいぜ……。
餌場の周りには体格の大きくて怖い形相をしたヒヨコがいつも囲んでいやがる。