一番駆け
ついにこの日が来てしまった。俺は静まり返ったスタジアムのメインフィールドに向かって歩く。コンクリートの壁と天井に囲まれ、電気が少なく、暗い。視線の先には日光に煌々と照らされた通路の出口がある。まるで暗闇から希望の光が差し込んでいるかのようだ。いや、地獄に垂らされたクモの糸と言った方が正しいのか。
その白い光に向かって、俺はコツコツと足音を鳴らす。
「今日で終わりなんですね」
今まではライバルであった奴らが、今日はみな寂しげに話しかけてきた。世間では「1つの時代の終わり」と言われているらしい。悔いはない。老いた身体に最後のムチを打って、一花咲かせてやろうではないか。
俺の仕事はただ走るだけだった。産まれたときから速く走るためだけの生活をしてきた。「広い広場でのんびりくつろぐ」なんて生活もしたことはない。練習、練習の毎日だった。
その甲斐あってか、俺は誰よりも速くゴールにたどり着く選手になった。デビューしてから去年までは日本で負けなし。若いときには、日本勢で初めて世界大会で勝ったりもした。
自分で言うのもあれだが、俺はファンでなくても日本人なら誰もが知る存在だった。スポーツ新聞や雑誌だけではなく、一般紙やニュース番組、バラエティ番組でも、取り上げられることが多々あった。俺目当てで観客も増え、一種のブームを作りだした。
そんなまっただ中の去年の11月に足をケガした。腱鞘炎というものらしい。試合に勝った直後から、足がモヤモヤしていた。痛みはなかったが、歩きづらい。足を気にしてばかりいたが、痛くないなら大丈夫だろうと思っていた。どうせ寝れば直るだろうと楽観的だった。しかし、想像に反し、モヤモヤが日に日に増していき、痛みも出るようになった。それでも俺はだましだまし練習をしていたが、練習タイムが落ちる一方。異変に気づいたコーチに無理矢理医者に診せられ、ケガが発覚した。
ベテランの域に達した選手にとってケガは致命的だ。いくら活躍したとはいえ、俺も例外ではなかった。引退という言葉がちらつき始めた。
腱鞘炎の原因となった試合に勝ったことで、俺は歴代の最多優勝回数に並んでいた。あと1つ勝てば単独1位。並んだのは俺の父親の記録だった。神様のイタズラとしか思えない。
そこから治療とリハビリに1年近く費やした。焦らずじっくり直そうという方針だった。「なんとしてでもあと1つ勝とう」が陣営のスローガンだった。
一方で俺にとって冷酷な通告もされた。リハビリも順調に進み、10月の復帰のめどが立ったころ、 俺の部屋にコーチが深夜突然訪ねてきた。そのコーチとは、俺をアスリートとして、幼少期から育ててくれ、最も尊敬する人物であったモリタさんだった。
「いいか、結果がどうであろうと、お前の現役生活はあと3試合だ。お前にはたくさんの夢を見させてもらった。だが、その夢ももう終わりの時間なんだ」
俺はわんわんと涙を流すモリタさんをじっと見つめることしかできなかった。
このときから俺は初めて人のために勝とうと思うようになった。今までは自分のために走っていた。アスリートながら、母を捨て、悠々自適に生活をしていた父に対する反骨心だった。それが、モリタさんを、みんなを喜ばせたい、という風に変化した。
しかし、人のために結果を出すということはたやすいものではないと気づかされた。周りに対しての意識が芽生えた途端、背中にのしかかる不安が大きくのしかかった。それを練習で払拭しようとした結果、オーバーワーク気味になった。
気持ちが空回りし、復帰戦は4位。11月の2戦目は6位だった。世間は俺を見切った。「もう終わったな」という声が幾度となく俺の耳にも届き、必死に怒りを押し殺した。結果が伴わなければ叩かれる。そういう世界に俺はいたのだ。長く試合に負けることがなく、頭から完全に抜けていた。
残る試合は1つ。最後のチャンスが今日だ。
目の前が真っ白になり、俺は目を細めた。それまで暗い通路を歩いていたが、明るい外に出た。俺の姿が見えた途端、約10万人の歓声がこだました。最後の勇姿を見届けに来てくれたのだろうか。ここ最近俺のことを散々叩いていたくせにと思いはするが、悪い気分ではない。こんな大勢の前で最後に走れることは幸せだ。
ウォーミングアップのため、駆け始めると拍手がわき起こった。
「なあ、お前が世界一になったときの試合前、俺がなんて言ったか覚えてるか?」
試合における戦術担当のタケトヨコーチが話しかけてきた。
「誰が優勝するか賭けが行われてて、お前は人気3位だ、って言ったら、お前すごくムキになってたよな」
タケトヨコーチがイタズラっぽく笑った。
「そんなこともあったな」
と昔を懐かしむ。当時の俺は誰にも負けない自信に満ちあふれていた。当然世の中もそうだろうと思いこんでいたが、3番人気。それに腹が立ち、入れ込んだ結果、優勝できた。
「今日どれくらい人気しているかと言うと、4番人気なんだよな」
俺は一瞬顔をゆがめたが、タケトヨコーチはそれを見逃さずケタケタ声を上げた。
「だから怒るなって。前と全く同じ反応するなよ。あのときはそれで気合いが乗って勝っただろ。俺はこう見えてもジンクスとか信じるんだ。今のお前を見て確信したよ。今日は勝てる。勝ってお父さんを超えろ」
タケトヨコーチが俺の背中をポンと叩いた。
そんな会話をしていると、スタートの時間となった。スタートラインに立つ。それまでざわついていた場内が一気に静まりかえった。
頭から首、腹、そして足へと、意識を集中させる。
最初から最後まで全力で走りきる。そのためにはスタートダッシュが重要だ。足に力を込める。「大丈夫、大丈夫だ」自分に言い聞かせる。
最後の試合ということで緊張しているのか。武者震いがする。心臓の鼓動がいつもより速い。
「バンッ」
レースが始まった。
トラックを1周する種目のため、最初はメインスタンドの前を走る。俺はデビュー以来ずっと、序盤から勝負を仕掛ける。後続との差をつけ、試合を進めて逃げ切る。もはや、「逃げ」は俺の代名詞だ。最後だからといって、自分のスタイルを曲げるつもりはない。
「おお」
観客の驚く声が響いた。俺は横目で後ろを確認する。いつも以上に2番手との差が開いていた。いつもであれば後続は1、2秒後を走っている。しかし今日は3秒分は開いている。無意識に力が入ってしまっているのか、それとも、相手たちが技と控えているのか。
前半で脚を使い過ぎたか、と考えたが、すぐに打ち消した。このまま突っ走ろう。どうせこれで最後だ。足が砕けてでも勝ちたい。いっそのこともっと差を広げて大逃げしてやろう。
できるだけ足を踏み出すリズムを崩さぬように地面を蹴る。最後の直線に備え、息を整えるのも忘れない。
スタートをして3つ目の角を曲がった時点で6、7秒ほどまで開いたが、後続の選手たちは徐々にペースを上げ、俺との距離を詰め始めた。やはり、飛ばしすぎたか、息が上がってきた。
4つ目のコーナーを曲がりきり、最後の直線に入った。歓声が地鳴りとなり、俺の身体に伝わる。リードはまだある。前だけを向いて足を懸命に動かす。
速く、もっと速く。動け。動け。
頭の中で何度も何度も念じる。
ゴールが目の前に迫ってきた。あと数秒というところで、視界の左隅に黒い影が見えた。
誰かが俺に届いている。
そのとき、全速力で走っているはずが、すべてがスローモーションになった。視界が一気に開け、併走するライバルの表情までよく見える、気がする。歓声の言葉も聞き取れる、気がする。
「やめろ。来るな」
俺は叫んだ。文字通り身体のすべてを振り絞り、懸命に地面を蹴った。
「バキッ」
何かが折れる音がした。その音と共に、俺はバランスを崩し、前のめりになった。
「まずい」
直感的に思った。折れたのは俺の足だ。そして、このままだとライバルに抜かれる。そして背中に乗るタケトヨコーチを落としてしまう。
身体が壊れた、試合に負ける、タケトヨコーチが重傷を負う。この3つが起こり得る危機的状況であるが、俺は驚くほど冷静だ。タケトヨコーチを落とさずに勝てばいいんだな、と整理をする。
そうなるとやることは1つしかない。後ろの左足で思いっきり地面を蹴る。走るのではなく、ジャンプだ。ゴールまであと3㍍ほどだろうか。身体を精一杯伸ばす。
ゴール板を通り過ぎ、折れたであろう右後ろ足をかばいながら着地をした。結果を振り返るのは後だ。ここでタケトヨコーチを落としてしまったら、続々とゴールするライバルたちに踏まれる可能性がある。安全なところまで運ばなければ。
走り切って気が緩んだのか、激痛が走った。思わず声を出してしまったが、残る3本の足で減速をした。
普通選手達はゴール後、トラックのカーブを曲がりながら減速をする。曲がらずに直進すれば、交錯は避けられるはずだ。
「キボウ、大丈夫か」
タケトヨコーチに察されてしまった。
「俺を落とせ」
怒鳴られてもそうはいかない。タケトヨコーチをケガさせる訳にはいかない。
その瞬間背中が一気に軽くなり、場内に悲鳴が響いた。タケトヨコーチが無理矢理飛び降りたのだ。
「キボウ!」
タケトヨコーチが俺の名前を呼びながら駆け寄ってきた。どうやらすぐ立ち上がったようだ。よかった無事みたいだ。安心した途端身体の力が一気に抜け、俺はターフに倒れ込んだ。
―――キボウは引退レースとなった有馬記念で骨折をしながらも走り抜き、日本最多のG1・8勝目を挙げた。伝説が生まれたと同時にキボウは去っていった―――