麻婆豆腐を作る
麻婆豆腐を作る。
芝居の稽古が入らなければ、週に3日か4日は晩御飯を作る。
今日も仕事は16時半に終わったので、帰りに買い物をして、晩御飯を作る。
メニューがどうも思い浮かばない。
所謂「主婦の悩み」というやつなのか、ひと月のうちに同じお菜が三回あると罪悪感を覚えてしまう。
僕自身が外食することを考えると、四つもメニューがあればひと月飽きないと思うので、10種類くらいのメニューをローテーションで作っていけばいいような気もするのだが、自分がご飯を作るとなると、なぜそういう罪悪感があるのだろう?
そして、今日は、すみません、麻婆豆腐です、何も考えなくても作れる麻婆豆腐です、なんだかすみません。よくわからないけど、罪悪感。
自宅最寄りの駅に着き、速足でイズミヤに行って、材料を買う。
ニンニクとショウガと白ネギは家にある。豚ひき肉、絹ごし豆腐を買えば麻婆豆腐の材料はこれでいい。
あとは冷蔵庫にある、レタス、トマト、冷凍コーンでサラダを作って、
汁物を味噌汁にすると麻婆豆腐とやや味が被るので、玉ねぎ、卵、シメジでスープを作ろう。
家に帰って、まず、米を研いで文化鍋に入れコンロの上に置く。
鍋で炊いたご飯はベタつかず、表面は弾力があり中はふっくら、冷めても旨い。
キッチンタイマーを25分にセットして、この間にオカズを準備する。
使う分の冷凍コーンを皿に出して解凍しておく。
スープと麻婆豆腐の両方に使うニンニクとショウガをみじん切り。
ニンニク二かけ、ショウガも二かけ…
この、一かけ、という単位にいつも戸惑う。
ニンニクは、この球根状の塊の中の一房が、たぶん、一かけだろう。でも、ショウガは??
ニンニクのように一房単位みたいなものがないけど、まさか、丸々一個を一かけと考える人はいないとは思うのだが、料理本には、なんの疑問もなく「一かけ」と書いてある。
料理を作った事のない人が「さあ、これからおれも自炊するぞ!!」という場合、この「一かけ」という単位をどう取ったらいいものか??
「一かけ」という言葉には、「感覚だよ、感覚、そのくらい自分の感覚で決めろよ」というような傲慢さを感じる。
「塩一つまみ」というのもそうだ。とりあえず、つまんではみるものの、この一つまみは少なすぎるんではないか、または多すぎるんではないか? といつも小さな疑問にとらわれる。
これを「一掴み」と勘違いする人は、まさかいないと思うが、今まで釈然としたことが一度もない。
二かけのニンニクと釈然としない二かけのショウガをミジンに切ったものを半分に分け、片方を麻婆豆腐を作るフライパンに、片方をスープを作る雪平鍋に入れ、それぞれに油を大さじ一杯、フライパンの方には豆板醤を小さじ一杯いれる。
大さじ一杯、小さじ一杯。あぁ釈然とする。
二つを火にかけて香りを立てている間に玉ねぎと豆鼓を刻む。
ドウチ、豆に鼓と書いてドウチ。ドウチに出会うまで麻婆豆腐はどうも何かが足りなかった…
豆腐を器に入れ、電子レンジで3分水抜きをしつつ、甜麺醤、豆鼓、醤油、そしてひき肉をフライパンに入れ、ひき肉に火を通しながら味を付けていく。
雪平鍋には玉ねぎを入れて軽く炒め、そこに水と味覇を入れる。
ウェイパーは旨い、確かに旨い、しかし、ウェイパーを安直に使うと、みんなウェイパーになってしまう… この真っ赤な缶が恐ろしい。この強烈なうま味を出すこの真っ赤な缶。なんとなくこのうま味の代償をいつか払う事になるんじゃないか、と不安になる。
一度「ウェイパーに頼らず、旨い鳥ガラスープを取りたい」と思って本格的な寸胴鍋を見に行った事がある。しかし、店主が「これは買って損がない」という厚みが5mmもある寸胴鍋を見た時、何に対してかわからないが、これを買っては後戻り出来なくなる、と思い後ずさりして店を出てしまった。
そこで、ぼくは今日も、ウェイパーを入れる。
雪平で作ったスープをお玉で四つ、すくって、麻婆豆腐のフライパンへ。
味噌・醤油で少し濃い目に味を調える。そこに、水抜きした絹ごし豆腐を賽の目に切って入れる。
ここで、不意に便意をもよおしてきた。便と言っても大便のほうである。
ところで、ぼくは、所謂、大便を、日に五回はする。子供のころからそうである。そして、大便をするのがとてもスムーズだ。他の人は大便の排出に3分から5分かかるという話を聞いた事があるのだが、僕の場合は、一分くらいだ。
便の排出があまりに早いため、ズボンとパンツの上げ下ろしに時間を取られるのが惜しくてたまらないほどだ。履いたまま大便ができるズボンとパンツがあるならば、躊躇なく購入すると思う。いや、やはり、躊躇する。
とにかく、大便が早いため、人からは「もう出たのか」と驚かれる事が多い。大学時代には心無い友人にその用便の早さから「鳥」と呼ばれたほどだ。
さて「フン」を終えて、麻婆豆腐作りに戻る。手は洗った。
麻婆豆腐を少し煮込む間に、小さな鍋に卵を入れて茹でながら、スープに入れるシメジを切る。
麻婆豆腐に入れる白ネギを粗みじんにする。
縦に四つに切ってから、揃えて、指を切らないように人差し指、中指、薬指、小指を丸めて猫手にして包丁を添わせて切っていく。
でも、時々、親指を逃がすのを忘れてヒヤッとする。
「いつか親指を切るぞ」と思うのだが、まだ一度も切った事がない。
オリーブオイルにチューブのアンチョビを溶いてポッカレモンを加え黒胡椒を振って、ドレシッングを作っておく。
キッチンタイマーが鳴った。米を水に浸して25分経ったのだ。文化鍋に火を入れてご飯を炊く。
今日の仕事を思いだす。ぼくはあの子を傷つけなかったろうか? でも、必要な事をちゃんと言おうと思って言ってるはずだと思いたい。
それとは関係ないけど、「傷つけられた」という被害者意識を自分を有利にするために使う人が最近多いなぁ、と思う。「傷つけられた、傷つけられた」と声高にアピールしてくる……、それでどうしたいと言うのだろう? ……イライラしてきた。
ご飯もブツブツ言い出したので、火を弱火にする。
そう、そこのところは、イライラしても仕方ないから、どうにか上手い事やっていかなきゃ。
レタスを千切る、トマトを切る。皮を押しつぶしてしまわないよう気を付ける。
レタスとトマトを盛り付ける、コーンを上に振りかける。
麻婆豆腐はいい具合に煮えてきた。白ネギのミジン切りを入れる。火が通りつつも少しだけシャキシャキした感触は残したい。ご飯は沸騰が収まって、「プツ、プツ」言い出した。火を止めて蒸らす。
茹で上がった卵を取り出し冷水に入れる。
シメシメ、卵は、今日はキレイに剥ける。同じようにやってるようでも、白身がボロッボロになるときと、ペロンと剥けるときと、何が違うんだろう? 鮮度も関係あるのかな?
卵を切ってサラダに盛る。スープにシメジを入れる。
麻婆豆腐に水溶き片栗粉を入れる。トロみを調節しながら…
最後、仕上げに花椒を振る。ゴリゴリと挽きながら。
麻婆豆腐は、最初の豆板醤で「辛い」辛さを出すか、それとも、花椒の「痺れる」辛さを強くするか、このバランスが一番大きい問題だと、ぼくは思う、とはいえ、このベストなバランスがぼくにはいまだにわからない… 花椒…「お花」の「花」に「胡椒」の「椒」この椒の字は「淑女」の「淑」という字にも似ている。まるで中国の美人のような名前だ。
でも、ぼくはまだ、正式な呼び方を知らない… 花椒(尾高型)なのか、花椒(頭高型)なのか? 胡椒…と同じ仲間と考えると花椒(尾高型)のような気がするのだが、せっかく「花」という美しい字が付いているのだから、花椒(頭高型)と呼びたい気持ちがある、しかし、実際に花椒(頭高型)、花椒(頭高型)と口に出してみると何だか病み上がりのブルースリーみたいだ…
アクセント辞典で調べたらいいのだろうけど、いつもは花椒の事はすっかり意識から抜けている。
ご飯が十分蒸らされたので、ご飯をよそい、スープをよそって黒胡椒をちょっと挽いてかける、サラダにドレッシングをかける。
ご飯を段取り良く作れたらとても嬉しい、卵の殻が綺麗に剥ける時も嬉しい。
ご飯を作っているときたまに、子供の頃カレーを作った事を思い出す。
うちは共働きで、父はいつも帰りが遅く、普段は母親が夕飯を作ってくれるのだが、たまに母も遅いときがあって、そんな時には自分と、まだ小学校に入る前の三つ下の妹の晩御飯にカレーを作った。
ニンジン、ジャガイモ、それと何らかの肉をテキトーに切って煮る。カレーのルーを入れたら出来上がりだ。炒めるなんてことはしない。二人だけでカレーを食べる夜は何だかウキウキした、。味はどんなだったか…今では思い出せないが、たぶん、バーモンドカレー甘口味、ただそれだけのものだったと思う。でも楽しかった。きっと美味しかった。
今日の麻婆豆腐は、一生懸命美味しくしようとしてみたが、どうもしまりのない味になってしまった。
きっと、もっと色々なレシピを見て研究も必要だろうし、テクニックもいるだろうけど、毎日毎日のご飯の中で忘れかけてる、なんか、嬉しさがあったら、もっと美味しくなるんだろうな、と思う。
神田川的な「二人で行った横丁の風呂屋」みたいな、「虹とスニーカーの頃」の「うーうぅ~」みたいな、そんなスパイスは売ってないものかしら?
ボンヤリした味の麻婆豆腐を食べながら、
なんか、小金でも溜まって、カフェでもやるなら、そういう、マスター、聞いてくれよ的な、失恋レストラン的なそんな調味料のカフェはどうかしらん? と思ってみるが、失恋した奴ばっかり来る店は空気が澱んでるだろうから、やはり考えものだ。
だいたいそういう事はすぐめんどくさくなるものだ。
うだうだ埒もない事を考えて、いつもの晩御飯を作り、今日も終わる。明日も朝から仕事だ。
さて、後日、ハッと思いついて、NHKアクセント辞典を開き、いよいよ花椒の呼び方の謎がとけるぞ、と思ったのだが、
アクセント辞典に「花椒」は載っていなかった。
終わり。