決意と無力
月曜の昼休み。俺は熊田と昼食をとるため、ハローメイツから歩いて三分程の距離にある、だだっ広いビアレストランに来ていた。
見渡せるような広々としたフロアは、一〇〇人は入れそうだ。八オンスのグラスが飾りのように並べられた照明からは、夕日を思わせるようなオレンジ色の光が放射状に放たれている。俺はこの店の雰囲気が好きだった。とびっきりのお洒落というわけでもないが、お気に入りの店だった。全席喫煙可能というのが更にいい。
熊田には市松からすでに話が通っていたようで、熊田本人も聞いて欲しいと言っていたのだが、ここに来て、まだ一言も話をしていない。
男の恋愛相談、ましてや市松が好きな相手の相談なんて正直聞きたくもない。こいつさえ居なければ……と思ってしまうのが素直な気持だ。まぁ、それは単なる嫉妬で、熊田が居なければ市松が俺に振り向く保証なんて無いことくらいは分かっている。
兎に角、こんな茶番劇はさっさと終わらせてしまおう。そう思ってはいるのだが、熊田は話どころか、俺と目を合わそうとしなかった。
緊張しているか、言葉を探しているのか。男二人での沈黙は居心地が悪くてしかたがない。
黒いベスト姿のウェイターが、沈黙している空気の間をくぐるように、注文を聞きに来た。流れを変えるにはもってこいのタイミングだ。ありがたい。
「今日の日替わり定食って、何?」
迷ったときや面倒なときは日替わり定食がありがたい。店側に決定権を譲り決めてもらうという一番便利なものだ。
「日替わりは、唐揚げ定食になっています」
よし、無難だ。ここの日替わり定食はボリュームたっぷりで、しかも、食後に珈琲だけでなくアイスクリームまで出て、八〇〇円というリーズナブルな値段設定。
「じゃ、俺は日替わりにする。熊田は?」
「あ~……とりあえず一緒で」
ウェイターは、俺達から注文を聞くと軽く頭を下げ、その場を離れた。
さて、何から話そうか。このまま放っておけば、向こうからは何も話してこないだろう。 軽く探りを入れてみるか。
「――それで、どうなのよ」
会話の主導権を握っていそうで相手に話をさせる。日替わり定食並に便利な言葉だ。
熊田は木目調のテーブルが気になっているのか、ずっと見ていたが、一瞬俺の目を見て、またテーブルに視線を戻した。
「実は……」
熊田はベラベラと話し始めた。日替わり定食が目の前に並んでも、まだ話は続いている。
こいつ、話しだすと止まらない性格なのか。ウェイターが運んでいる時くらい、恋愛話は一旦止めてくれよ、と思うが、熊田は止まりそうにない。動き始めたブルドーザーは止まらないようだ。まぁいい。こっちから色々話す必要が無いというのは楽なことだ。
熊田の話しを聞いていると、そこには俺の知っている熊田と駿河の姿は無かった。どうも、駿河は熊田のことを避けているようだ。
それとなく映画や休日に会おうと誘ったらしいが、全滅しているらしい。軽くあしらわれ、酷い時には聴こえないふりをされている気がする程だそうだ。本当なら致命的だな。
「どうしたらいいんですかね……」
まったく、困った奴だ。軽くあしらわれただけで引っ込むようなら、とっとと諦めてしまえばいいのに。他人のことになると、何だかそう思ってしまうのだが、よく考えてみると、俺も同じような状況じゃないか。
「好きだと言わないのか?」
俺は、食後に運ばれてきたバニラアイスを食べながらそう言った。
「でも、振られたら嫌なんで……」
まぁ、気持ちは分からなくもない。誰だって振られるのは嫌だ。もちろん、俺も振られたくない。だが、好きになった相手に何も言わずに居られるのだろうか。俺なら無理だろうな。あの手この手で好きだということを伝えたくなる。
そんな熊田を見ていて、俺はふと、甲本の言葉を思い出した。
『どうしたいかじゃなく、何をしてあげられるか』
自分がそう言われた時は、何だかピンと来なかったが、他人の恋愛を見ているとよく分かる。結局、皆ここで躓くわけか。恋愛なんて、似たようなパターンばかりなのかもしれないな。
「駿河をどうしたいかじゃなく、何をしてあげられるかって考えてみたらどうだ」
俺は甲本の言葉を、まるで自分の言葉のように熊田に言った。何だか少し罪悪感があるが、今思いつくのはこの言葉だけだった。
熊田は、小皿に乗ったアイスクリームを見つめながら口元で笑い、悲しい目をした。なんだ、この、自嘲めいた笑いは。
「でも、それ以前に、嫌われてしまっている気がするんですよ」
「本当に嫌われているのか? よく一緒に居るじゃないか」
「でも……」
あー、もう、じれったい奴だな。こいつも市松と同じで、何でも否定から入るタイプなのか。最近、市松と関わりすぎていたせいか、否定から入る奴に敏感になってしまっているようだ。
「振られようが嫌われようが、好きな相手には好きだと言えばいい。言わずに後悔するより、百倍ましだと思うぞ」
俺は熊田にそう言いながら、自分のことを考えた。そう言っている俺自信、市松に好きだと言ったことなんて無い。今まで何度か『好きだ』と言えそうなタイミングはあったはずだ。それなのに何故、好きだと言わなかったのだろう。いや、タイミングはあったが、全部市松に阻止されていた気がする。俺は、好きな人に好きだとも言わせてもらえないということか。何だか切ないな、俺。
「確かに後悔はしたくないですが、でも、やっぱり振られるのは……」
熊田は、アイスを食べ無いのか、スプーンでかき回しながら、少しずつ溶け始めているアイスを見つめていた。
臆病なのだろうか、それとも、よっぽどプライドが高いのか。どっちにしても埒が明かない。貴重な昼休みが台無しになってしまう。
「たとえ振られたとしてもさ、誰かに好きだと言われて、嫌な気分になる人なんて居ないと思うけどな」
「うーん、どうですかね。状況によりますかね」
時計を見ると、昼休みが終わりそうになっていた。仕方ない、これ以上話をしても無駄だろう。
「とりあえず、何か方法を考えよう」
俺がそう言って席を立つと、熊田は軽く返事をし、溶けたアイスを名残惜しそうに眺めていた。
確かに市松の言うとおり、熊田の頭は駿河のことでいっぱいのようだ。市松のことまで考える余裕なんて無いのかもしれない。さっさとこの問題を解決した方が良さそうだ。そう思ってはみるのだが、これ以上、熊田と話しても無駄なようだ。ここは、もう一人の関係者である駿河にアプローチをかけてみるか。ほんと、面倒臭い話だ。何で俺が市松の為にこんなことをしなくちゃいけないのだろう。
さぁ、次は駿河か。駿河に話しかけるのは久しぶりだった。チャットでなら結構話しをしていたのだが、恐らく、二人だけで話すのは一ヶ月ぶりくらいだろう。
いきなり『熊田のことをどう思う?』なんて聞いても素直に話すかどうか分からない。下手をすれば、エキセントリックな性格が悪い方に向かないか心配だ。とりあえず、就職の祝いと称して飯にでも誘ってみるしか無いか。警戒されないよう、熊田以上に慎重に動かなければならない。
「よ、よう、駿河。就職が決まったんだって? おめでとう」
さり気なく話しかけようと思えば思うほど、変に緊張してしまう。たかが飯を誘うだけで何を緊張している。
「ありがとでーす。就職祝いにご飯食べに連れて行ってよ、高井さん」
駿河は少し上目遣いをしながら軽い笑顔でそう言った。なんて甘え上手なんだ。と言うより、向こうから頼んでくるなんて好都合じゃないか。このまま波に乗ってしまおう。
「あ、あぁもちろん。何が食べたい?」
「焼き鳥が食べたい」
普通なら気を使って、なんでもいい、とか言いそうなものだが、素直なんだろうな、サッパリとしていて接しやすい。
「おっけー。いいよ。他に誰かも誘ってみる。今日行く?」
「今日でいいよ。――もしかして、市松さんを呼ぶの?」
市松か。あんな奴を呼ぶと話が滅茶苦茶になってしまう。呼ぶわけがないだろう。いや、ちょっと待て。何で俺、イコール、市松になってしまっているんだ? もしかして、俺が市松のことを好きだということに気づいているのだろうか。そうなると、駿河だけじゃなく、他の奴等にも知られてしまっているかも知れない。いやいや、冗談じゃない。
完全に駿河のペースだ。話の主導権を完全に握られてしまっている。
「いや、呼ぶわけないじゃないか」
「高井さんが呼びたいならいいけど……」
駿河は視線を壁のほうへと移しながらそう言った。市松と違い、妙に色気のある目だ。熊田の選択は正解なのかもしれないな。市松よりも駿河の方が一〇〇倍魅力的だ。
「別に呼びたいなんて思ってないよ。変な奴だな」
「よかった~。高井さんのことだから、市松さんを呼ぶと思ってた」
駿河は、見ているこっちが微笑んでしまうくらいの笑顔を見せた。なんだ、この異様なテンション。よっぽど市松を呼んで欲しくない感じだな。
「とりあえず、何でもいいから楽しもう」
「そのいい加減さがいいですよね~。高井さんのそういうところ好きですよ」
俺をたたえた表情に、異様なフェロモンがにじみ出ている。勘違いしてしまいそうになる。さすがは駿河。熊田が夢中になるわけだ。
「あ、そうだ。メールアドレス交換しましょうよ」
駿河はそう言って、やたらと画面の大きいスマートフォンを取り出した。その大きさは電話としてどうなのだ、と言いたくなるような大きさだ。たぶん、動画等が見やすいように出来ているのだろう。それに引き換え、俺は昔ながらのガラパコス携帯だ。何だか、二人の間に流れている時代が違うような気がしてくる。
「え、あ、あぁ」
俺は、携帯電話を彼女に渡し、登録に関する全てを任せた。
何だろう、駿河と話をしていたら、手札の悪いポーカーをやっているような感じになる。主導権がこっちに移ることが無いような気がする。
「駿河ってさ、営業の仕事したことある?」
「いいえ? したことないけど、どうして?」
駿河は、俺の携帯電話と睨めっこしながらそう言った。スマートフォンに慣れているせいで、ガラパコス携帯が扱いにくいらしい。
「そういう仕事に向いてるんじゃないかな~と思ってさ」
この積極性と笑顔は本当に向いている。お世辞でなくそう思えた。駿河は、一瞬だけ俺に目を向け、また携帯電話に視線を戻す。
「え~、そうかな」
照れているのか、不満なのか分からないような曖昧な返事をし、携帯電話を俺に返してきた。
「メールしますね」
「あぁ、よろしく」
その晩、俺は約束どおり、駿河と焼鳥屋に行った。いや、駿河達だな。駿河と熊田。他には野中と吉田彩未が来てくれた。市松を呼ばないとは言ったが、熊田を呼ばないとは言ってない。二人をじっくり観察すれば、何か見えてくると思い、熊田を誘った。熊田はよっぽど嬉しかったのだろう、珍しく笑顔で「行きます!」と言った。
援護射撃用として、野中と吉田を誘った。メンバーとしては悪くない組み合わせだろう。
野中の会話力は半端ない。駿河もよくしゃべるが、野中はそれ以上にしゃべる。吉田はあまり話さないが、ただ微笑むだけで場が和む。ハーフ顔の可愛い娘。つまり、俺が初めてハローメイツに来たときに、隣の席へ座った娘だ。聞き上手で、駿河とも仲がいい。
この二人が来てくれたお陰で、俺はじっくりと駿河と熊田を観察することが出来た。
焼鳥屋と居酒屋が融合したような店で、笑顔が弾む。駿河と吉田の女性陣は上座に座り、俺と野中は下座へと座った。熊田は体が大きいから通路側に居られたら邪魔だと言う理由をつけて駿河の隣へと座らせた。これで、二人の観察ができる。二人が視界に入っていたほうが分かりやすい。
そう思ったのは正解だった。三〇分も経たないうちに、俺はある異変に気がついた。今まで見てきた二人のイメージとは、明らかに違う雰囲気だった。
熊田が緊張しているせいなのか、と思ったが、よくよく観察していると、それだけではないようだ。明らかに駿河は熊田を避けている。だが、その理由が分からない。熊田のことが好きで照れているのか、単に嫌っているのか。おおまかに分けてそのどちらかだと思うが、駿河は熊田の方を見ようともせず、話そうともしなかった。
熊田が何か話をしだしても、半ば強引に話題を変えてしまう。その話題を変える内容がめちゃくちゃで、誰がどう見ても、わざと話しているとしか思えない。どうした駿河。一体何があったというのだ。何度も話を変えられている熊田は、剥製にされた熊のようになってしまっている。大丈夫か熊田。
熊田があまりにも意気消沈しているようなので、俺は熊田に話を振ってみた。
「ところでさ~、熊田はどうなの?」
「え、俺ですか? ええ、まぁ」
よかった、かろうじて話せるようだ。こんなところで力尽きられても困る。駿河は、熊田が声を発しても顔を向けることすらない。可怪しい。やはり以前とは雰囲気が違う。
普段からあまり活気を感じられない熊田はどうでも良いとしても、駿河のあからさまな態度を変だと思わない方が無理だ。だが、この場で聞くわけにはいかない。とんでもない爆弾が破裂してしまったら元も子もない。
結局、二時間が過ぎて店を出た後も、駿河は一度も熊田の目を見ることがなかった。仕方ない、後日駿河に聞いてみるしかないか。
家に帰ると、夜の一〇時を回っていた。普段なら五時半には帰ってこれるのに……。俺はパソコンの電源を入れながら、そう思っていた。
最近、したくもない仕事をしているような気分が続くせいか、何だかストレスが溜まって、ちょっとしたことでイライラしてしまっている。
人の為に何かをするのは基本的に嫌いじゃない。当然、友達と飲みに行くのも好きな方だ。ただ、理由と相手が悪い。市松に良いように利用されているだけだと思うと虚しく思える瞬間がある。物にあたるつもりはないのだが、何を触っても雑に扱ってしまっている。全ては苛立ちのせいだろう。
その扱いは物だけでなく、市松に対してもそうなり始めていた。当然だ。俺のストレスは市松が原因なのだから。
あんなにも楽しみにしていた市松とのチャットも面倒に感じ始め、言葉が雑になっていくのが自分でもよく分かった。
チャットに入ってみると、市松がログイン状態になっていた。俺が入ったことを知ったのだろう、市松はすぐにメッセージを送ってきた。
[市松]:お帰りなさい。どうでした?
俺の帰りを待っていてくれていたのなら嬉しいのだが。熊田の情報が欲しいだけだろう。俺は適当に話を合わせていた。微妙だった駿河と熊田の様子を匂わせながら。
俺の打ち込んだ文字からは、楽しさが伝わってこない。時々、刺が混ざってしまう。何で俺は、人の恋愛問題に振り回されなきゃいけないんだ。時間が流れるに連れ、冷静になるに連れ、馬鹿らしく思えてくる。
それに引き換え、駿河とのメールは違っていた。思いやりのある文字も多い。市松とのチャットよりも、駿河とのメールをしている時間の方が長くなり始めていた。
駿河は普段からよく喋る。自己アピールが強いというわけではないが、兎に角よく喋る。それはメールでも同じだった。メールアドレスを交換して以来、朝から晩までメールが続く。まるで恋人にでもなったかのような気分になってしまう。
朝一番に「おはよう」を言い、寝る前に「お休み」という相手が、いつのまにか駿河になっていた。
駿河のメール、往復のバスで読む本、プログラムの授業、市松とのチャット。そして、また駿河のメール。最近、文字しか見ていない気がするな。たまにはゆっくりとアニメでも見たいものだ。