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せめて、あの花が枯れるまで  作者: 甲末多紋大
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恋の次にくるもの

 土曜日。ハローメイツは休みだ。

 俺は、心の中で引っかかる何かに違和感を覚えていた。それはとても小さく、目に見えるものじゃない。何だろう、とても切ない。

 いつもなら、パソコンさえあれば何でも好きなことができていたのに、今日は何もやる気が起きない。折角、朝早くに目が覚めたのに、すでに二時間もの間、こうしてパソコンのモニター画面をじっと見つめながら、マウスをカチカチと動かしているだけだった。

『熊田さんはあの人と一緒になってほしい』市松の言葉がずっと心にへばりついて離れない。本気で言っているのだろうか。結局、あれ以来本心を聞くことが出来なかった。いや、敢えて話をしなかった。

 市松は今頃何をしているのだろうか。チャットでもしてみようか、と思うが、また同じ話になり辛くなるだけだ。自己愛が彼女を諦めさせようとしている。あ~ぁ、市松のことが気になりすぎて、耳かきにも集中できない。

『今日は陽射しもよく、暖かい一日になるでしょう~』

 テレビから、甘美な声をした天気予報士が今日の天気を聞かせてくれていた。こんな心境でも、綺麗な声が聞こえるとつい見てしまう。俺ってなんて単純なのだろう。

 一月一〇日。本日の天気予報。最高気温一〇度、降水確率は午前・午後とも一〇%、見事に一〇が並んだ。こんなに並ぶと、なんだか運がいい気がしてくる。そうなると、部屋でウジウジと考えている自分が馬鹿らしくなってくる。こんなにも運が良さそうな日に、パソコンの前でなにも出来ずにいるのはバカだ。

 市松に会いたい。もちろん、会えば辛くなることくらい分かっていた。だが、そんなことよりも、彼女の本当の気持ちを確かめたかった。モニター越しの文字列では分からない、彼女のホントの気持ちを。

 市松の住所は知っている。直線にして約二五キロメートル。俺の家から北西の方角にある山の向こうだ。早速、電車の路線を調べてみた。思っていたより簡単に行けるようだ。これなら迷うこと無く行けるな。

 さて、問題はどうやって市松を呼び出すかだ。『今から行くよ』と言って、『分かった』というような仲ではない。市松と訓練校以外で会ったことなんて無い。いくら変な奴だといっても相手は女性。いきなり行ったら警戒されるだろう。出来るだけ軽く、でも、俺らしくが望ましい。そう考えてみたところで、今すぐ連絡を取れる手段は、いつログインするかも分からないチャットしかない。悩んでいても仕方が無いので、とりあえずチャットにログインをしてみた。

 市松は退席中となっている。退席中ということは、ログインはしているようだ。ただその場に居ないということのようだ。ということは、すぐに見る可能性が高い。さて、吉と出るか凶と出るか、賽を投げてみないと分からないな。

[高井]:知ってた?

[市松]:知らなかったです(聞いてないけど)

 退席中となっている市松から、すぐに返事がきた。何だ、退席中じゃ無かったのか。

[高井]:今日の十四時頃、土城駅に強面のイノシシが出るそうです。見に行ってみたら?

[市松]:エイプリルフール? 今日はエイプリルフールじゃないはずなのに

 市松は頭がいい。特に、このようなクイズ形式の問題となると、驚くほど頭が回る。きっと今頃、首を傾げながら考えていてるはずだ。

[高井]:イノシシはキツネと散歩がしたいらしいです

[市松]:残念ながら、今日は家にこもるつもりです

 おお、これで分かったのか。さすがだな、市松。だが、その返答では俺は止められない。

[高井]:まぁ、別に君が行く必要ない。陽射しが気持ちいいから散歩したい気分になっただけだろう。イノシシは気まぐれだから

[市松]:私、行かないですから、考えなおしてください

[高井]:イノシシは別に市松に会いたいって訳でもない。でも、きっと寒そうにしてるよ。じゃ そーゆーことで

 俺は、そうメッセージを残し、パソコンの電源を落とした。かなり強引になってしまったが仕方ない。もし、彼女が来なくても、それはそれで良い。天気予報が正しければ散歩にはもってこいの陽気になるはず。このままパソコンの前でずっと座ったまま過ごすのだけは勘弁だ。

 

 俺は駅へと向かい電車に乗った。片道五六〇円。確かに近いとはいえない金額だ。特急電車に乗って二十五分を過ぎた頃、景色はガラッと変わり始めた。山、川、山、トンネル……。何だか旅にでも出た気分になるな。車両内は寒々としていた。乗客は数えるほどしか居ない。電車に揺られること約四五分。家を出てから約一時間程度で、市松の住む土城駅に到着した。

 俺はゆっくりと息を吸いホームへ降り立った。駅員の姿が見えない小さな無人駅。すぐ後ろには木々が枯れてしまっている山があり、自然に囲まれていた。

「ほんと、何もないな。町? いや、村かな」

 地理的には町になっているのだが、どう見ても村だった。『タヌキが出るような田舎に住んでるのだろう』と、以前市松をからかったことがあったが、本当にタヌキが居そうな景色だ。こんな近距離で一人旅を味わえるなんて、ある意味幸運だな。

 俺は、ホームで大きく背伸びをし、軽く深呼吸した。冷えた空気が快く喉を刺激して気持ちがいい。市松が熊田を好きだと知った日から何もやる気になれなかったが、こうして自然を見つめていると少しは心が晴れてくる。空気が美味い。いや、美味いだけでなく色が違う。市松はこんな素晴らしいところで生まれ育ったのか。俺はそう思いながら、無人の改札を出た。

 市松は来るだろうか。いや、一方的に行くと言ってチャットを終わらせたので、来ない可能性の方が高い。まぁ、来なかったとしても、こうして彼女の住む町を見られたわけだし、それだけでも良いとするか。

 土城駅の前には、どこぞの劇場を思わせるような扇型に広がった五段程の階段があり、それを降りると小さな広場があった。広場の端には、恐らく人間を題材としているのであろう、割りと大きなモニュメントが設置されている。いつも思うのだが、こういった、芸術がどーこーというのは意味が分からない。どこかに説明でも書いてもらわないと、作者の意図が全く理解できないのは、俺の芸術センスが無いせいなのだろうか。まぁ、何にせよ、この無人の駅には似合っていなかった。

 時計を見ると、一三時四五分だった。十四時まではまだ時間はある。さぁ、どうやって彼女を待っていようか。来ないかもしれないので、長期戦を覚悟しなくてはいけないだろう。

 俺は辺りを見渡した。駅の前に公衆トイレはあるので、トイレの心配はしなくていいようだ。駅の待合室なのだろうか、寒さを凌ぐ場所はあるが禁煙なので論外だ。だが、陽射しの当たる場所で座れば寒さは凌げそうだ。これなら長期戦も可能かな。など、色々と考えながら、駅前にある自動販売機で暖かい缶コーヒーを買い、タバコを吸っていた。

 土城駅は、俺の住む町よりも確実に寒いが、自然に囲まれているので心が安らいでいる。冷たい風が、暖かかったはずの缶コーヒーを、あっという間に冷ましてしまった。

 タバコを二本吸い、缶コーヒーを飲み干したとき、細い道から駅の方へと向かってくる、黒髪の女性が見えてきた。目を凝らすとそれは市松の姿だった。

 市松は、風に揺れる前髪をきにしながら、自転車置き場に自転車を留め、小走りで俺の元へと駆けつけてきた。

 強引に来たせいで怒っていないだろうか、と心配になりながら見ていると、市松は少し照れくさそうにしながら、ぎこちない笑顔を見せてくれた。どうやら、怒ってはいないようだが、変に照れられると余計に恥ずかしくなってくる。

 俺は、照れくささを隠すため、口の中でブツブツと挨拶を交わし、改めて町を見渡した。

「――良いところに住んでるんだな」

「何もないので、不便ですけどね」

 だめだ、目を合わせるのも恥ずかしい。普段会うことのない場所で会うというだけで、いつも以上に緊張してしまう。リラックスしなければ。そう思ってはいるが、言葉が上手く出てこない。他愛もない会話で場を和ませてみようと試みたが、彼女の固まった表情が失敗していることを物語っている。

「この辺りって、喫茶店とかはないの?」

 俺がそう聞くと、市松は細い目を大きく広げ、首を横に振った。確かに、駅の前に小さな個人商店のような店があるだけで、他は何も無さそうだ。

「ひと駅先に行けば、色々ありますよ」

「じゃ、そうしようか」

 俺達は電車に乗り、一つ隣の駅まで向かった。

 電車を待つ間、市松は無人駅の良さを色々と語っている。照れくささは少しずつ消え始め、いつもと変わらないようになるまでそんなに時間はかからなかった。隣町へと向かう電車に乗る頃には、いつもと変わらない二人になっていた。

 隣の駅、三川駅には小規模な百貨店のようなものがあり、市松の住む土城駅よりは確かに都会めいてはいるが、この町も大して何も無さそうな気がした。カラオケは? ネットカフェは? 見渡してみたが、そのような看板は見当たらない。どうやら駅の近くには無いようだ。

「ご飯は食べたの?」

「食べたけど、まだ食べれますよ」

 彼女は昼を食べたと言ったけど、俺は腹が減っていたので、何か食べに行こうと言った。といっても、この建物にはあまり無さそうだ。

 小規模な百貨店の三階がレスラン街だと言うので、エスカレーターで上がってみると、店は三軒あり、昼時を過ぎたせいか、空いているのは、客が誰も入っていない中華料理店しか無かったので、とりあえずその店に入った。

 あまり愛想の良くない店員が、水を運ぶついでに注文を聞きに来た。悩んでいる俺を急かしているかのように、ジッと立っている。

 市松は、待っている店員のことなど気にならないのだろうか、メニューを端から端まで見ている。俺は、『季節限定の牡蠣入りちゃんぽん』が美味しそうだと思い、店員にそう告げると、市松は、やっとメニューを読み終え、メニューを閉じた。

「牡蠣は食べたいけど、あたると怖いから、私は担々麺で」

 店員に向かって「あたると怖い」と言える市松の神経が分からない。本人は全くもって悪気は無いのだから質が悪い。

 そして、少し雑談をしている間に注文したものが出てきた。やけに早い気がしたが、それは、店側が早く作ったわけではなく、時の流れを異様に早く感じてしまっていたようだ。時計を見ると、もうすぐ三時になろうとしていた。

 俺は、頼んだ牡蠣入りちゃんぽんから牡蠣を一つ取り、市松の器の中に無理矢理入れた。

「あたったら怖いから嫌だ」

 そう言いながら市松は、俺の入れた牡蠣をぺろりと食べた。嫌だと言いながら美味しそうに食べている。そんな市松の変なところが面白く、俺はもう一つ牡蠣を取り、もう一度市松の器へと入れてみた。やはり市松は同じように、美味しそうに食べながら文句を言っている。

「お前なら、牡蠣にあたっても気づかないかもな」 

 そう言いながら俺が笑うと、市松も笑いながら担々麺を食べていた。

 あんなに切ないと思っていたことが、市松とこうして居ることで、俺の記憶から全て消え去ってしまう。市松が笑うと、俺も笑顔になる。市松が悲しい顔をすると、俺も悲しくなっている。俺にとって、市松とは一体何なのだろう。好きになった人、恋した人。ただそれだけなのだろうか。


 そして、俺達は、百貨店の外にあった小さな喫茶店へと入った。常連客しか来なさそうな喫茶店。四人がけのテーブル席が二つとカウンターのみ。ニコチンで煤けた壁の色が、割りと違和感を覚えさせなかった。捉えようによってはレトロにも見えるのだが、残念ながらレトロではなく、ただの古い喫茶店だったが、そう悪くもない。

 俺達は、常連客達に囲まれながら、店の中で色々と話をした。熊田の話や駿河の話、恋の話や仕事の話。市松は怒ったり、笑ったり、俺は嫉妬したり、恥ずかしがったり。常連客たちは時々、二人を物珍しい顔で見ていた。そりゃそうだろう。いい歳をした大人達が、恋がどうとか愛がどうとか言っていたら、俺だってつい見てしまう。飲み物は二杯以上飲み、タバコの吸殻はすでに七本を超えている。気がつけば、辺りが暗くなっていた。

「それで、熊田と駿河に、どうなって欲しいんだ?」

「一緒になって貰いたいと思っています」

「好きなんだろ? 熊田のこと。それなのに何故、駿河と一緒になって欲しいんだ」

「熊田さんは駿河さんのこと、すごく好きなのですよ。私が入る余地なんてありませんよ」

「熊田は、市松が好きだって知ってるのか?」

「いいえ、多分知らないと思いますよ……」

 市松は、熊田の話になると、複雑な顔で俺を見ていた。俺も市松を複雑な顔で見ている。やはり、熊田と駿河が一緒になって欲しいというのは、彼女の諦めから来ているようだ。こんなにも困惑する姿を見せても素直に言えないのは、きっとプライドがなせる技なのだろう。

「俺に相談してきたということは、あの二人をサポートしろってことだな?」

「はい、高井さんなら、熊田さんを救ってくれそうだと思うので」

「――分かった」

 何を言っても、遠回しな返事しか帰ってこない市松の悲しみがどれほど深いかなんて、知る由もない。ただ純粋に、真っ直ぐ歩いている彼女を、後ろから支えてあげたいと思えた。やはり、市松を放っておけない。困ったもんだ。

 結局、俺は熊田と駿河の恋愛事情に首を突っ込むことになった。好きになった人の好きな人を手助けするなんて、馬鹿としか思えないが、この笑顔を守るには、あの二人の問題を解決するしか無いと思ったからだ。


 そして、俺達は店を出た。実家暮らしの市松は夕飯時までに帰らないと怒られてしまうらしい。どんなシンデレラだと言いたくなるが、市松らしいといえば、らしい気がする。

 ローカル電車と急行列車の問題で、二人は違う電車に乗ることになった。俺が急行で市松はローカル。先に来るのはローカル電車だった。

「本当に、あの二人が付き合ってもいいんだな」

「はい、もちろんですよ」

 市松は力ない微笑みを見せた。心臓に釘を打ち込まれたような痛みが走る。

 抱きしめたい。今すぐ市松を抱きしめてしまいたい。こんな悲しい笑顔から開放してあげたい。そう思うが、俺には彼女を抱きしめることなんて出来なかった。俺は、そんな市松を見ているのが辛くなり、ホームから外の景色を眺めた。

 好きになった人が誰かを好きで、その誰かも違う誰かを好きになっている。交わる事のないトライアングル。変なバランスだな。バランスが悪すぎて、正三角形にも二等辺三角形にもならない。何年分ものため息が出てきそうだ。

 そんな俺のことなどお構いなしに、市松が乗る予定のローカル電車がホームに入った。

「――乗れよ」

 俺はそう言って、別れを惜しんでいるような表情をする市松を促した。たぶんこの顔は作り物で、社交辞令のようなものだろう。何となくそんな気がする。本当は嫌だと言って欲しかったが、市松がそんなこと言うわけがない。市松は会釈程度の挨拶をし、電車に乗り込むと、しばらくしてドアが閉まり、ローカル電車は音を立てて走りだす。

「好き……」 

 俺は、去りゆく市松の目を見ながらそう言った。もちろん、聞こえていないことは分かっていた。

 市松は小首を傾け、目を丸くしていた。何を言っているの? という顔をしている。

「好きだよ」

 俺は、そんな顔をしている市松に、もう一度好きだと言った。もちろん、聞こえていないことは分かっている。いいんだ。聞こえなくていい。聞こえてしまえば余計に切なくなってしまうから。

 ローカル電車は市松を乗せ、夜の闇へと向かい走っていった。

 後悔した。来なけりゃ良かったと思った。あの綺麗な声をしていた天気予報士が悪いんだ、と思いたかった。これ以上好きになってはいけないと思っていたのに、もっと好きになってしまった。止められない。どうしよう……。

 正直、人の恋愛なんて興味はない、と言うより、自分の恋愛すらどうにも出来ていない俺が、何を出来るというのだ。だが、今の俺には、市松が好きな男を救うことくらいしか出来ないようだ。俺がしてやれることなんて、それくらいしか無いのかも知れないな。

 好きなのに――奪ってしまいたいのに、市松の背中をそっと押している自分が嫌いなってしまいそうになる。何でこんなことになってしまったのだろう。

 俺は市松を想い、市松は誰かを想う。そして、その誰かは、違う誰かを想っている。

 さっきいまで側に居た市松の顔が思い出せない。不思議な霧が隠してしまう。


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