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サンユッタニカーヤより

明けの明星が輝き、2人の女神がその支配を違える時、私は彼の森に向かった。

そこはまるで草や虫たちも彼の言葉に従い、慎み深く、息を潜めているように静まりかえっていた。

朝霧深く立ち込む森をゆっくりと歩いて行くと、それだけで私の心は清水のごとく清らかになり、先ほどまでの疑念が少しずつ晴れて行く気がした。程なくして立ち止まると、この世で最も偉大な人は深く目を閉じ、そこに座しておられた。

私が声をかけようとしたところ、まるで私の来訪を予期していたかのようにゆっくりとその澄み切った目を開き、歓迎の念を込めて静かに微笑まれた。

「このような時間に申し訳ない…」

私は友であり、師である尊いお方にそう告げると、ここに来た理由である数時間前の出来事を独り語り始めた。



私は…王だ。三千世界で最も偉大な国の王だ。

都は花咲き乱れ作物は豊穣、民は皆、富み栄え、歌い喜び、7つの宝玉に彩られた都に金銀の城…竜をも倒すつわもの達とこの世の全知たる臣下達…神々を祀り、敬うべき人を敬い、救うべき人を救い、この世の楽園に君臨する偉大な王だ。


ありとあらゆるものを持ち合わせる私だが、それらを全て足しても足らないぐらい大切なものがあった。それは天女にも勝る美しさと聡明さを持つ愛しき我が妻だ。彼女が望むならこの王国の全てをその白く柔らかい手の中に捧げよう。

彼女が憂い悲しむのなら天の神々にすら戦いを挑み滅ぼそう。私は常々、そう思い日々を過ごしていた。

星の綺麗な夜だった。

そして城から眺める街の灯りもそれに劣らぬくらい美しかった。天地の区別なく煌めく光を見ていると、急に恋しくなり、さらに美しいモノを私は求め、最愛の妻を呼びつけた。

ほどなくして奥床しい足音と共に彼女は現れた。

カーシー産の絹に身を包み、私に微笑むその姿は夜の明かりが全て消え失せてしまうぐらい美しかった。

私は彼女にそっと口づけし、芳しい香りの美酒を優しく玉杯に注いだ。

この世界のあらゆる美と快楽を閉じ込めたその一時に私の心は解け、そしてその杯を2人で飲み干した。

酔いに任せた私は戯れに…ガラにもない…詩うバラモンのごとくこう呟いた。

「君は何よりも…それこそ自分より愛しい人は居るかい?」

この時の私は浮かれていた…だから彼女が永遠に変わらぬ愛を私に誓ってくれると…そう自惚れていた…だが彼女はそんな私を知ってか知らずか、悩ましげな瞳に、あぁ私は気づいてしまっていた!

悩ましげな瞳に、ほんの僅かの嘲笑を浮かべながら…この私を嘲笑してだ!花より甘い吐息でこう呟いた。

「いえ、私は自分より愛しい人はおりません…あなたも自分より愛しい人がおりますか?」

と…私の先ほどの浮かれ飛び跳ねていた心はみるみるうちに真っ赤になった。彼女は知っていたのだ!私は私を取り囲む全てを愛しんでいたのではない、取り囲まれる私自身をただただ愛していたのだと!だからこそ彼女は私を軽蔑し、それでもあえてそれ以上は言わなかっただけなのだと!

その瞬間私の目には、星も、街も妻さえ映らなかった…ただそこにあったのは下卑な自分の鏡像…それだけだった

私は彼女に同意したふりをして足早に城を抜け出すと、感情の濁流に任せて走った!足の痛みも胸の苦しみも忘れて街の中を半狂乱になりながら走った。

気がつくと街の外にいた。

私は何かを求めるように痩せ衰えた餓鬼の如く、ふらふらと歩きつづけた。

やがて空が白み始める頃、彼の森の入り口に立っていた。

暗闇に覆われた者が灯火を求めるように…私はここに来ていた。




話し終わると私の心はだいぶ落ち着きを取り戻していた。幸福なる彼の人は王の話しに穏やかな顔で耳を傾け、ゆっくりと…王の憂い…いや、世界中の人々の苦悩を吸い込み、そして吹き消すように深く息をして私の目を見た。

その時、私の心は自己を取り戻し、そ

して改めて理解した。

あぁ…私は最初から全部分かっていたはずだ。

夜の熱気に当てられて、心が歓楽に塗り潰されていただけなのだと…そして我が善き知恵たる妻はそのことを警告しようとしていただけなのだと…

そして…狂乱した私はただ…森の奥深くで何物にも囚われず座り続けるこの人に…胸の内を明かしたかっただけなのだと。

すると彼の最勝の人は私の心が我に返ったのを見透かし、嫋やかな声でこう語られた。

「どの方向で心を探し求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他の人々にとっても、それぞれの自己が愛しいのである。それ故に、自己を愛する人は、他人を害してはならない」と。


いつしか日は昇り、暁は世界中の暗闇を照らすように燦然と輝いていた。王の心は…否、この場所に生ける全ての命が歓喜に満たされ、朝露を反射し明るく輝く森の光の一つに、王の喜びの涙があった。



サンユッタニカーヤ

3篇1章8節

マッリカーより


合掌


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