第一話
目の前に、幼い子どもがいた。
「迷子か?」と私は尋ねた。
聞く必要などなかった。ここは地下迷宮の最深部に近い。来るのは道に迷うものしかない。
案の定、子どもは怯えながらコクリ、と頷いた。
ただ、声をかけた。
「ついてこい。表層まで案内してやろう。・・・ただし、私に一切触れるな」
子どもは驚いたように目を見開いた。けれど、素直な質のようで、コクリと頷く。
私の後ろをついてきた。
***
表層部まで移動するのは久しぶりだった。
長距離移動であったことと、空気の質が変わる事で気が滅入った。だが、子どもには脱出の希望の場所だろう。
「そこが出入り口だ。気を抜かず出ていけ」
すぐ先に開いた場所がある。
位置を示すと、子どもは顔を輝かせた。
「ありがとうございます!」
助かったと知って感極まったのか。子どもは私に抱きついた。
「触るなと・・・!」
両腕を突きだして子どもを弾き飛ばす。
けれど、己の身体の反応は早かった。表と内部の身体の組織がグチャリと入れ替わる。突き飛ばしたはずの子どもの身体を、細やかな繊毛が伸びて捕えた。
一瞬で子どもの表情が驚愕に強張る。身体の変化を抑え込もうと耐えながら私は叫んだ。
「離れろ! 早く行け!」
叫ぶ傍から、身体中が栄養を求めて子どもに吸い付こうとして襲いかかる。
ズプリ、と子の体液を求めた太い管が突き刺さる感覚を得る。
子の身体が震える。力が抜けていく。ドクドクと、生命の音がする。自分に向かう。涙が、涎が流れていく。
その姿に思った。
だから触れるなと言ったのに。
ただの諦観。
こうなっては仕方ない。ここまで連れてきたものを。この子は死ぬ。
ベリッ!!!
衝撃と共に、自分の身体から伸びていた繊毛が千切りとられた。
「!!」
喰らっていた子の身体が奪われた。
とっさに身体が反応を示す。
攻撃態勢を取る、前に。
ジュッと音がして、身体が焼けた。
焼かれた組織が慌てて反転する。体内に避難する。体内に格納されていた、人らしい姿が押し出される。
「ゴホッ」
焼かれた痛みに、咳き込み、膝をつく。
視界が歪む。とっさの反転で組織連携がうまくいかない。加えて、身体に受けた損傷のせいだ。
見上げて敵の姿を確認しようとする。
一方で、子どもを助けに入ったのだろうと冷静に判断している。ならあの子は助かったのか。
焦点がようやく合わさった視界、鈍い光を放つ武器を構えて私を見下ろす対戦者。あぁ、これは戦士だ。
子どもは無事か?
「さっさと殺せ」
と私が言った。
戦士は冷静に私に告げた。
「殺さない。お前は最深部からその子を導いただろう。ならば、これからの者のため、そのまま残す」
「・・・」
それが良い事なのか悪い事なのか。私は何も分からない。
「さっさと戻れ。本体に認識される前にな」
「・・・」
この迷宮の生態を、知っている者か。
受けた損傷のためにすぐに動けない私を置いて、冒険者は子どもに手早く手当を施して、その子を荷物のように担いで、迷宮の出入り口から姿を消した。
正気を取り戻した子が、担がれながら、私をまるですがるような瞳で見つめているのを、ただ見ていた。
***
迷宮の最深部近くに戻っている。
私の場所。
ここで、一度、私は死んだ。この迷宮に喰われて尽きた。
迷宮の最深部にはこの迷宮の核である生き物が住んでいる。
そして、今の私はその生き物の一部。
元の身体のように見せかけて、出会ったものを油断させて、捕えて喰らうために。
けれど、私には意識が残っていた。まるで、変らず、人のように。
それはイレギュラーな事であるのかどうか。他を知らない私は知らない。
誰も喰わずに済めばいい。そう判断して引きこもる。
こんな奥に来るのは、迷った者ばかり。
迷宮の生き物としての性質が現れる前に、私は迷ったものを表層へと案内する。
それが良いのか悪いのか。
相手が助かれば良いと思うけれど、現状自分の生命に反していると知ってもいる。
私は疑似餌。
人の頃の姿を利用された、迷宮の主の一部。
他の同じような存在が、誰かを喰らって栄養を得る。それが供給されて死ぬ事が無い。
けれど、意識があるうちは。
死に向かう絶望しかない迷宮深部で。もし私の意識が強ければ、迷うものを再び地上に戻そう。ごくわずかな生還への確率。それが私。
ただ、己の意識が、地上に属しているゆえに。
私は、地上の生物にも迷宮の生物にも、どちらにも属することのできない、ニセモノのイキモノ。