私の走る意味2
中学二年の秋。
両親が交通事故で死んでしまって、辛くて、ずっとふさぎ込んでいた時期。体育祭のクラス対抗リレーが終わってのことだった。
水飲み場で私が水を頭からかぶっているときに声をかけられた。
「なあ」
その声に私は顔を上げ頭を振って水を払った。
「なに?」
この時の私はきっとひどい顔をしていただろう。
あの時私は常に寝不足で、毎晩泣いていた。毎日目は赤く充血していたし、目の下には黒く濃いクマができていた。この世のすべてがくそみたいに思えて、すべてを呪ってやりたかった。それでもクラス行事なんかにはきちんと参加していた。授業も休まずに出席した。今思うと我ながら真面目だったと思う。
「さっきの走り凄かったな」
その男の子は見覚えがあった。確かクラスの男子で名前はサカキといったはずだ。
「ありがとう」
私は持ってきていたタオルで顔を拭きながら適当に答えた。
「最下位だったうちのクラスがあっという間に全員を抜き去って逆転勝ちだ。俺だけじゃなくて、他の連中もさぞ興奮しただろう」
サカキとはほとんど話したことがなかった。だからこの男子とここでこんな風に話す意味も理由も私にはなかった。けれど、私には特に他にやることもなかったので話に付き合うことにした。
「ありがと。そんなに褒めてくれたのは君が初めてだよ」
「みんな直接言わないだけさ。今会場は君の話で持ち切りだ」
サカキは話に熱が入ったように興奮気味に話し出す。
「それは会場に戻りずらいな」
「ならここで少し時間をつぶすといい。ちょうど話し相手もいることだしな」
「それもいいかな。別にやることもあるわけじゃないしね」
私たちは水飲み場の近くある何年も前にどこかの部活が作って放置されているベンチに腰掛けた。
「それで、なんで普段あまり話すような仲でもないのに君は私のところへ?」
「さっきも言っただろ?俺は君の走りに感動したんだ。普段あまり話さない仲なのに感想を伝えに来てしまうくらいにな」
「・・・君は少し、変わってるね」
「そうか?自分ではそんなことないと思うが」
サカキは頭を傾げ思い当たる節を探っているようだ。
「君はさ、私の両親の話聞いてないの?」
「もちろん知っている。担任が無神経にも朝の学活で言ってしまったからな。クラスの中でお前の境遇を知らないやつはいないはずだ」
担任が無神経だという話しは私も大いに賛同したいところだった。
「そう。担任が無神経にも朝の学活でばらしてくれちゃったやつ。それのせいであの日からみんなどこかよそよそしいんだよね。気を使ってるのがわかるの」
ああ、なぜ私はこんな話をあまり話したこともないような人に話しているのだろう。
きっと心のどこかで私はずっと愚痴を言いたかったのだろう。みんなから気を使われるたびにこっちも気を使う。
それは私にとってすごく疲れることなのだ。みんなが急にやさしくなって、同情とか憐れみとか、そうゆうのが目に見えるようで正直息苦しかった。そうゆうのを私は誰でもいいからきっと聞いてほしいだけなのだ。そしてそうゆうのを話すのにこの人はきっと都合がよかったのだ。同じクラスだけど、かかわりの薄いこの人なら愚痴を言ってもそんなに問題にならないだろうし、きっとここだけの話で日常生活に戻ればまたお互いほとんど口も利かないような関係に戻るのだから。それなら私はカカシ相手に話をしているのと変わらない。だからこれは私の独り言のようなものなのだ。
返事を返してくれるカカシに独り言。
「ある程度は仕方ないだろう。君はクラスにとっても特殊な存在だ。みんな扱いに困ってるんだよ」
そういって冗談ぽくサカキは笑った。
「・・・君は普通だよね」
「何がだ?」
サカキは首をかしげる。
「気を使わないで私に話しかけてくれる」
「俺もお前と似たようなもんだからな」
「え?」
今度は私が首を傾げた。
「小5の時家を燃やされた。連続放火魔の仕業で家にいた父親と母親は死んだ。その時俺は友達の家に泊まってたから助かった」
サカキは淡々と何の感情も無いように語ったがきっと私よりもひどい境遇に彼はいたのだろう。今の私ならそれは容易に想像できた。
「周りの奴らにはそれはもう大げさなほどに気を使われた。別に気を使うのが悪いわけじゃないが、気を使われた分だけこっちも気を使う。そうゆうのが俺にとってはむず痒いし少しつらかったんだ。だから俺はどんな奴にも普段通りに振舞うようにしてる」
無神経だと怒られたこともあるけどなと彼は笑った。
このサカキという男の子はきっとクラスの誰よりも私のことを対等に見てくれていた。
同情でも憐れみでもなく、彼は私をそのままの形で私と認識してそのうえで対等でいてくれる。今の私にとってはそれは何よりもありがたいことで、話していて疲れなかった。
「・・・そっか。君も同じなんだね」
私はいつの間にか彼の隣に居心地の良さを覚えていた。
それはきっと彼の身の上話を聞いたせいなんだろうけど、それでも少しだけ彼に親近感を覚えることができた。
「境遇的には似ているかもな」
「ありがと。少し楽しなったよ。それに何より久しぶりに気を使わない会話ができた気がする」
「それはよかった」
校庭のほうで拡声器から閉会式を行うから集まれと教師の声がする。
方々に散らばっていた生徒が校庭に集まっていく。
「俺たちもいくか」
「うん」
立ち上がり歩き出そうとしたところでサカキが私のほうを振り返る。
「一つ言い忘れていた。俺はこれを伝えに来たんだ」
「なに?」
彼の後ろには太陽が輝いていて、木々は色づき、秋の匂いがした。
「走る君は美しい」
だからきっとこんな気持ちになるのは秋の特殊な空気のせいだ。
「それを君に伝えに来たんだ」
それだけ言ってサカキは私の前を歩いていく。
私は数秒そこに立ち尽くした。
私はきっと恋をしたんだ。
それから私は陸上部に入部して走り始めた。
高校も、きっとこんなことで決めるのはよくないのだろうけど、彼が行くという高校に進学を希望した。