極楽監獄~前編
停学って最高だわ。
畳の部屋に寝転がって、俺は思った。なにが最高って、二クールアニメを見返してもまだ時間が余ってるんだぜ? そんな日々が二週間もあるんだぜ?
なんかよく解らん課題を大量に出されたが、あんなん適当に書けばいいんだろ? 反省文とかも課題に出されたけど、とりあえず『空よりも高く、海よりも深く反省しておりまする。まぁ、反省しすぎて私の心はさながらナハラ砂漠のように干からびてしまっているので、海は無いんですが、ふふ』とでも書いておけばいいだろう。駄目? 駄目かなぁ。ユニークで悪くない反省文だと思うんだけどなぁ。
つまり俺は停学生活を満喫しようとしているわけだ。唯一残念なのは、沢山買ったはずのエロ本が十冊以上見当たらないという点である。んー、まぁでも沢山買いすぎて自分でもいくつ持ってたか解らんのだけど。エロ本を隠すカムフラージュとして置いていた魔心導の文献コピーしたやつもごっそりと無くなってるから、余計にどれだけのエロ本が無くなったのかも解らない。
そういうわけで一日目が終わりかけの、夜も更けた頃合。
「兄上。お勤め」
そんな淡白な台詞やら声と共に、がらりと襖が開いた。入ってきたのは長い黒髪と猫みたいに鋭い、けれど怖くもなんともない瞳が特徴の我が妹、春香だ。ただし巫女服姿でもパジャマでもなく、デニムパンツにフリースを羽織った、ラフな格好である。
「何言ってんのお前、俺、今、停学中だよ? 外出禁止外出禁止」
真面目な妹を嘲ってやった。いやー、停学最高。
「うん。だから、夜中にお勤め」
当たり前のように春香はそう言った。
「……は?」
何言ってんの? こいつ。
「高校生は夜中に出歩いちゃいけないって知ってる?」
もう十時過ぎてますよ? 夜間俳諧で警察に捕まるっての。
「大丈夫。母上は言ってた。警察署に向かえに行くのと、警察を泣き落とす覚悟は定まっている、と。だからお勤め行ける」
「かっこわるい覚悟もあったもんだなぁ」
でも嫌いじゃないと思ってしまったのは俺が母さんの血を継いでるから? 遺伝って悲しい。
まぁでも、警察に声を掛けられたところで絶して逃げればいいだけなんだけどね。警察からすれば突然眼の前に居た人間が消えたってことになるが、夜中であれば、警察が勝手に幽霊と出くわしたと思い込むだけだろうし。
「俺、眠いんだけど」
「私も眠い」
「お前は関係ないからいいだろ。眠くても」
「関係なくない。私もお勤め行くから」
「はい?」
わけ解らん。
「共鳴の練習」
一言で春香が紡いだ言葉に、ああ、と、俺は納得してしまった。
共鳴とは思念共鳴という術の事で、思念体が視える人間――例えば俺だ――と同じ感情を共有している者と、俺の視覚を共有する事が出来るようになる術だ。
魔心導師の術は接続ありきで成り立つ。詠唱を介して、思念体に触れられる魔心導師と、普通なら思念体に触れられない物質を接続し、対思念体の武器に変える。その要領と同じで、魔心導師と普通の人間の視覚を接続するのだ。つまり一時的に思念体が視えるようになるのである。
条件は、俺ともう一人が意図的に感情を共有する事だけ。接続すれば簡単に俺の手足となる意思の無い物質と違って、生き物には感情があるからな。白紙の紙に絵を書くのは簡単だが、色んな絵がごったがえしている紙に絵を描くのは難しいのと同じ。だから、同じ感情というバイパスを経由しなければならないのだ。
こう言うと難しい術のようだが、使うだけならさして難しくない。むしろ、魔心導師の基礎その一だ。
俺はもう思念共鳴を使える程度には修行を積んでいるが、俺と視覚を共有するほうは修行をする必要は無い。その気があれば誰にでも発動出来るってわけだ。
まぁ、俺と同じ感情を抱くって時点でかなり至難の業なんですがね。俺、クズだし。
だが春香は、流石俺の妹だけあって、何故か共鳴出来てしまう。こいつはクズじゃないと思うんだけどな。ほら、俺っていう反面教師をずっと見てきたし。下の子は上の子の駄目なところを見て成長するから、上の子が駄目だと下の子がしっかり者になるんだよな。
この理屈でいくと、春香はこの世の誰よりも出来た人間になれるよな。俺ってばこの世の誰よりもクズだし。
「お前にも俺にも、共鳴の練習はもう要らないだろ。つーか、わざわざ今やる必要あんの?」
聞くと、春香は首を横に振る。
「いつか自分一人でも視れるようになった時のため、思念体に慣れておかないといけない。だから練習は必要」
さいですか。真面目だねぇ。すぐ泣く弱い子のくせに。
「で、今やる必要は?」
「普段、兄上がお勤めしてる時は、私も巫女のお勤めしてる。だから兄上と一緒にお勤めに行ける機会がない。こういう時しか兄上と一緒に出掛けられない」
「お前、その言い方だとあれだぞ、俺と一緒に修行したいんじゃなくて、俺と一緒に居たいだけみたいに聞こえるぞ」
指摘すると、春香は「なにが違うの?」とでも言いたげに首を傾げていた。鈍感娘に育ってしまったようで兄上は辛いよ。このままでは春香が俺みたいな悪い男に悪い事をされてしまう。だから俺が守ってやらなきゃね。ささやかな矛盾である。
「嫌だよ。普通のお勤めもめんどうだってのに、なんでそんな事しなくちゃならん。しかも警察に捕まるデメリット犯してまで」
その言葉に、春香はすすんと鼻を鳴らした。笑ったつもりなのだろうが、表情は全く動いていない。
「兄上の停学期間は二週間。全部で十四日。私が隠したエッチな本の数は八。一回連れて行ってくれるたびに、一冊返してあげる」
「人質……だと……?」
立派になったなぁ、春香。お兄ちゃん、感動しちゃった。
「ちなみに、レシートも見つけた。兄上がどこでエッチな本を買ってるかも、もう知ってる。連れてってくれないなら、この本屋さんに行って、この人は未成年ですって店員に教える」
「ふ……。妹の成長を見られるなんて、兄冥利に尽きるな」
人質を取った上で追加の脅しとは、なかなかのクズの原石である。やってる事は道徳的な事なんですけどね。非があるのは全部俺だし。
「しゃーない、解った解った。行けばいいんだろ」
そう言って立ち上がると、春香は表情ひとつ変えず、しかしなにやらキラキラしたオーラを身にまといながら、俺の部屋の隅にある木刀を取った。
「今すぐ。これはデートじゃない。今すぐ」
「バットケースも取ってくれ。あと、今俺パジャマだから着替える」
「はい、バットケース。いますぐ」
いつの間にかバットケースも用意されていた。なんて気の利く妹なんだ。気の利くついでに、着替えたいから一旦出てってくれないかな。
「俺、今全身スウェットなんだけど」
この格好で外に出たら不良に不良だと思われちゃうよ。俺、たまたま今は停学処分中ってだけでめちゃくちゃ品行方正なのに、そんな勘違いされるのはごめんだよ?
「大丈夫。兄上は駄目人間だから、服装が駄目でも問題ない」
「ああそうだな、問題があるのは俺の存在だったな」
なにせクズですからね! 妹に諭されるとか、ほんと兄冥利に尽きるなぁ。
そういうわけで俺は、スウェット姿のまま中学生の妹と共に夜の街へ繰り出した。
思念共鳴を使った状態で駅の近くまで来てみた。多くはないが少なくない人が居る。当然のように大小様々な思念体も溢れている。
そして春香はといえば……俺の腕にしがみついてガタガタと小刻みに震えている。前もこうだったなぁ、大事なところは成長しねぇなこいつ。度胸とか胸とか。
「そんなんで、視えるようになった時大丈夫なのか」
春香は思念体が苦手なのである。まぁ当然、絶対に視えるようになるわけではないのだが。
事実、俺は物心ついた時から思念体が視えていた。父親の話では成長するにつれ視えるようになることもあると言っていたため、春香はそれに希望を寄せて、修行だなんだをしているのだ。
だがしかし、魔心導師の力は遺伝が全てだ。修行で強くなれるとはいえ、それは一を二にする段階の話であって、零を一にする事は出来ない。そして俺もそうだが春香には、父親だけでなく母さんの血も通っている。母さんの血が強く出てしまえば、もうそれだけで魔心導師にはなれないのだ。ようは、この努力は水泡に帰す可能性高し、というわけである。
「だいじょうぶ、もんだいない。小指の先くらいの大きさのなら、こわくない」
「はは、小指の先くらいの大きさの思念体ってのがそもそも見あたらねぇわ」
だいたい小さくてもブレスレットサイズとかが殆どだし。小指の先っつーと出来立ての思念体か、もしくは残り滓くらいしか無い。なんにせよ命鐘ひとつで一層出来るレベルなのは間違いないだろう。
大通りは流石に補導率が高くなるため、あまり目立つ道は通らないように進む。そして、ちょっといかがわしい店が並ぶ裏通りを横目に通り過ぎた。こういう場所は思念体の巣窟なんだわ。ラクしたい時とかはここに来て早々に処理するんだが、今は春香も居る。もう少し難易度を落とすため、いかがわしくないほうの飲み屋が立ち並ぶ通りへ来た。
何人かの酔っ払い達と、全身ジャージで金髪のあんちゃんらがたむろしてるのが見えた。思念体も、小さめのがぞろぞろと居る。
「あにうえ……」
思念体を見て怯える春香。おいおいお前、思念体がそんなに怖いのか? 俺はどっちかっつーとあの金髪のあんちゃんらのが怖いけど。全身ジャージとか全身スウェットとか、いかにも不良っぽい感じがして怖いからやめてくれませんかねぇ、ほんと。駄目だよ、外に出る時はちゃんとした格好しないと。
俺は腕に、正確には俺が着ているスウェットの裾にしがみついている春香をそのままに、前へと歩き出した。酔っ払いとすれ違い様に、そいつの足元に居た小さな思念体を踏み潰す。
「ああっ」
後ろ隣の春香が小さな悲鳴を上げた。怖いの、可哀想なの、どっちなの。
「あ、あにうえぇ……」
おっと、ポケットに入ってるスマホがバイブしてるぜ、母さんから電話かな、と思ったら、違った。春香の振動がさらに小刻みになっただけだった。
「うぅ……」
もはや半泣きである。
「ったく」
仕方ない。スウェットで掻いてもいない掌の汗を拭いて、俺の腕にしがみついてる春香の掌に重ねてやる。
「お前の修行だろうが」
しがみついたままの腕から春香を離す。しかし手は繋いだまま、少しだけ距離を開けた。これくらいしないと修行になりません。
ふと、ヤンキー様達がにやにやしながらこっちを見ている事に気付いた。だから俺も見つめてやったら、ヤンキーズは見る見る眉をひそめていき、そして訝しむような顔付きになり、通り過ぎようとしたところでは完全に睨まれていた。
「なに見てんだおい」
え、見てたのそっちだけど……。
ヤンキー様の数は三人。がしかし、殆ど四人も同然。赤黒い人形の思念体が紛れ込んでいるからだ。なにそれ、なに召喚してんのあんたら。思念体使役してんの? それも仲間なの?
何時の間にか、俺は三人プラス一体に囲まれていた。春香が腕に絡みついてくる。
「女の子連れてっからって調子乗っちゃったんじゃね?」
「うざいわー、うざいわー」
「俺ら見せもんじゃねぇぞおい」
調子乗っちゃってんのもうざいのもそっちだし、人を見せもんにしたすらそっちだろうが。てか、いつの時代の人間だお前ら。
俺はため息を吐き、肩に掛けていたバットケースを春香に預けた。右腕には春香。左手だけが使える状態。
「なーにやる気ー? 彼女ちゃんの前でかっこつけよって?」
ひゃは、と甲高く笑いながら手を伸ばしてきたヤンキー様その一の手首を掴み、捻り、体勢を崩した所で足を払う。その一は簡単にコンクリートの上に倒れた。
「うっわ、めっちゃやる気じゃんこいつ」
ゆったりした口調で、しかし怒りを滲ませた声音で言いながら、その二が殴りかかってくる。足を蹴り上げて顎を打つ。
「てめぇ!」
ヤンキーその三が拳を握り、距離を詰めてきた。そして突き出された拳を掴み、引っ張り、距離を詰めさせ、言葉通り目前に迫ったそいつの顔面に頭突きを見舞いする。そして掴んでいた拳を離し、開いた手で追加の裏拳。
後ろに倒れたそいつをやり過ごし、立ち上がろうとしていた最初に倒したヤンキーその一を踏みつけて動きを封じる。
さらに、人の形をした思念体の頭を鷲掴みにして、無理矢理屈ませて顔面に膝打ちを三発ほど入れる。そのまま弱った思念体を宙ぶらりんにすべく持ち上げた。
「春香」
この思念体に留めを刺してみろ、と、視線で語る。俺は昔から修行を積んできて素手でもある程度は戦えるが、素手だけで倒すのは割と難しい。だが春香は今、俺愛用の木刀を持っている。術を練りこんで作った、対思念体用の武器を。
春香は唇を震わせながらも小さく頷き、俺から離れてバットケースから木刀を取り出す。
そして――俺が踏みつけているヤンキーその一に留めを刺した。
「そっちじゃねぇよ」
人間相手になにしてんのお前。踏みつけられてる人間を木刀で叩くとか、クズにも程があるだろう。やっぱり俺の妹なのかな、こいつ。
「で、でもあにうえ……っ」
春香はちらりと思念体を見て、しかしすぐに目を逸らした。
「やっぱ無理か」
嘆息し、春香が握っている木刀を取り上げる。それで、既に虫の息だった思念体に留めを刺した。
「こんなもんでいいだろ」
もう帰ろう、と提案しようとした時。
「ちょっと君達! なにしてるの!」
後ろから声がした。振り向くとそこには青い服を着た正義の味方様が。
春香が俺の腕にしがいついてくる、パート二。捕まると思ったのだろうが、まぁもうこの際だから仕方ない。
「絶」
時間が止まる。だが、俺と思念共鳴で繋がっていた春香は動ける。
「行くぞ」
「ん……」
春香を腕から離し、しかし手を握り直して、走ってその場から離脱した。適度な距離が開いたところで時間切れになり、時が動き出す。
そのまま少し走っていったが、後方から野太い男の悲鳴がいくつか聞こえてきた。突然消えた俺達を幽霊か何かだとでも思ったのだろう。警察官からすればトラウマ体験かもしれないが、まぁ別にいいよね、他人だし。