第九話
意識が戻ってから五日後、ようやくルナが眠っている部屋に入った。
「ルナ…。」
ルナは部屋の中心にあるベッドで眠っていた。床と天井、壁には魔法陣と思われる複雑な線や記号が描かれていた。
「貴方たちには悪いけれど、念のためこの部屋には結界が張ってあるわ。万が一の時のためにね。」
「……。」
「今は解除してあるわ。そばに行ってあげなさい。」
そう言ってミーティアさんは入口付近に下がる。そっとルナのそばによるとルナは穏やかに眠っていた。
「ルナ…。」
そっと頭を撫でる。指の間をきれいな銀髪が流れていった。そっと手を握り締める。その手には暖かみがあった。まだルナは生きているという確証が感じられた。
「……。」
「私は少し外に出ているわ。部屋を出たい時は扉をノックして。中からは開かないようにしていくから。」
「……はい…。」
ミーティアさんが出ていってからもずっとベッドの横でルナの手を握っていた。ルナが目覚める様子はない…。このままずっと目を覚まさないのではないか、そう嫌な予感が頭を過る。
「ルナ……。」
今のルナに対して自分ができる事は何もない…。異能者、異常な量の退魔属性の魔力、呪いを受け付けない体、自分がそういう存在であっても今のルナを助ける事ができない…。今はただそばにいること。それだけが唯一自分にできる事だった…。
最初に眠ったままのルナに会ってから一週間が過ぎた。この一週間、ルナは目を覚ますことはなかった。俺は毎日ルナのところに来てはずっと手を握っていた。
「ルナ…。」
そっと頭を撫でる。その時、かすかにルナの瞼が動いた気がした。
「…っ!ルナ…。」
ぼんやりとルナの目が開いていく。
「ルナ…。」
焦点の合わない目が俺を見つめる。
「…兄…さ…ん…。」
「ルナ。」
「兄…さん…。」
ルナはじっと俺の顔を見つめていた。
「ルナ。よかった。目が覚めたんだな。」
「ここ…は…?」
「聖王騎士団の本部の中だ。」
「聖王…騎士団…。」
「そうだ。俺たちは助けられてここに運ばれたらしい。」
「そっか…。そうなん…だ…。私はまだ…生きて…いるんだ…。」
「ずっと意識がなかったんだ。少し休んだ方がいい。」
「う…ん…。」
そう言ってルナはそっと目を閉じる。どうやら眠ったようだ。
「起きれるようになるにはまだ時間がかかりそうね。」
気が付くと後ろにミーティアさんがいた。
「貴方も少し休みなさい。この子が目覚めた時に貴方が倒れていたら意味がないわ。」
「少ししたら休みます。」
「無理はしないようにね。貴方の体はまだ完全とは言えないのだから。」
「分かっています。」
それだけ聞くとミーティアさんは部屋から出ていった。
「また、後で来るからな。」
ルナの頭をそっと撫でながらそう言った後、部屋に戻って眠った。
二日後、ルナの部屋に行くとルナはベッドの上で体を起していた。
「ルナ、大丈夫なのか?」
「あっ、兄さん…おはよう。」
「おはよう…じゃなくて、起きてて大丈夫なのか?」
「うん。まだ、こうしてるくらいしかできないけど体調は安定してるよ。」
「そっか。」
そう言ってそっとルナの頭を撫でる。ルナはそっと寄りかかってきた。
「ねぇ、兄さん…。私は…人間……?」
唐突なルナの質問に対して答えに迷った。同時にミーティアさんの言葉が頭を過る。
「確かなことは、貴方の妹は吸血鬼化が進んでいないといえ、今もなお吸血鬼の呪いに侵されているということ。」
「貴方の妹が完全に吸血鬼と化し、本来の自我を持たずに行動するのであれば、私は彼女を吸血鬼として処理するわ。」
かすかにルナが震えているのを感じた。
「ルナはルナだ。俺の大事な妹だ。だから…ずっと…そばにいて守るよ。」
そう言ってルナを抱きしめる。
「…ずっと…そばにいてね……兄さん。」
すがるようにルナが抱きついてきた。
「……こほん。そろそろいいかしら?」
振り返るとそこにはミーティアさんがいた。
「お邪魔…だったかしら…。」
若干目をそらすようにミーティアさんは言った。
「いえ、大丈夫です。」
そう言ってルナをベッドにそっと寝かせる。
「兄さん、この人は?」
「聖王騎士団のミーティアさんだ。俺たちをここに運んで手当てしてくれたんだ。」
「そうなんだ。ありがとうございます、ミーティアさん。」
「どういたしまして。ところで私の方から話をしてもいいかしら?」
「どういった話ですか?」
「貴方たちにとっては、いい知らせとも悪い知らせとも言えないことよ。ヴァン、貴方にはすでに話してあることであり、貴方の妹も薄々感じていることよ。」
「それは…。」
「その事についてはあえて明言は避けるけど、これからどうするかは貴方たちしだいよ。今の私に言えることはそれくらいね。貴方たちの方がよく分かっているでしょうから。今は、体を万全にすることに集中しなさい。その間によく話し合うことね。」
そう言うとミーティアさんは部屋から出ていった。
「……兄さん…。」
ルナは震える手でベッドの縁に腰掛けていた俺の手を握ってきた。
「ルナ…。」
そっと手を握り返すとルナの震えが伝わってきた。ルナ自身が一番分かっているんだ。そんなルナのために俺に何ができるのだろう…。空いている方の手でルナの頭を撫でる。
「兄さん…そばにいて…。」
ルナは布団の中で震えていた。
「そばにいるよ。」
そっとルナの隣に横になると、震えるルナを抱きしめる。
「あっ……。」
俺の腕の中だけでもルナが安心できるならそれでいい。その一心で震えるルナを抱きしめる。
「兄…さん…。」
胸にすがるようにしてルナは泣いていた。そんなルナをずっと抱きしめていた。やがて、落ち着いたのかそれとも泣き疲れたのかルナは穏やかに眠っていた。
「彼らに話をしたのか?」
聖王騎士団本部のとある部屋で二人は話していた。
「兄の方にはだいたいは伝えてあるわ。」
「お前が話をしに行くと言っていたからな。妹の方には何も伝えていないのか?」
「わざわざ話す必要はないと思っただけよ。彼らの目を見れば分かるわ。ここに来る前に彼らに何があったのか、彼ら自身が知らないはずはないのだから。」
「だから、あえてあいまいに話したのか?」
「今の彼らに必要なのは事実を聞かせる事ではなく、彼ら自身が現実から目をそらさないようにする事、そうでしょ?」
「確かにそうだな。まぁ、彼らの事はお前に任せる。」
「はい。ところでなぜ貴方は彼らを気にしているのかしら?」
「興味があるように見えるか?」
「いささか、気にしているようでしたから。」
「なら、そうなのだろうな。少なくとも今はまだ、私の出る幕ではない。何かあれば知らせてくれ。」
「では、そのように。」