領主の館
子連れの女性を森の出口まで送ると、俺たちは、再び領主のもとへと向かう。
魔力が全快していないとはいえ、やはり魔物どもを抑えつけてもらってるおかげで、
最初に感じた不気味なざわめきは、今度は感じられずに済んだ。
「そう言えば、あんた、なんで父親に呪いなんてかけられちゃったの? 」
ふいに、マリスが切り出した。
「親とはいえ、魔王を怒らせるなんて、一体どんなことをしでかしたのよ? 」
ジュニアは、自分に関心が行くのが嬉しいのか、殴られたことすらなかったように、
マリスに対して、親しみのこもった笑顔で答えた。
「親父が後で食べようと思って大事にとっておいた大好物と、愛人を奪ったんだよ」
あまりに唐突な、しかも人間臭いことを、さらっと、にこやかに言われたので、
俺もマリスも拍子抜けし、思わずコケそうになった。
「……そ、そんなことで……? 」
ヤツは、そう言った俺にもにっこり頷いた。
「どっちも、親父の一番のお気に入りだったのさ。だから、あえて奪ってやろうと
思ったんだけどさ」
俺たちは、あんぐりと口を開けたままだった。
「俺は、魔力を封じられて閉じ込められてただけだけど、彼女なんか、もっと可哀想
だったぜ。禿げ山のてっぺんに吊るされて、あの美しい身体中を、ガガどもにつつか
れ、死なない程度に生かされてるって話だからな。今でも、生きてんのかなあ」
「そんなこと、淡々と……。お前、罪悪感とか、ないのか!? 」
「魔族だもん。あるわけないじゃん」
確かにそうだ。
だが、こいつを見ていると、ついヒト扱いしてしまう。
俺は、ヴァルに言われたことを思い出した。
『どんなに人間臭く見えても、奴は魔族なのだ』と。そして、そんなヤツほど、油断
してはならないのだと、改めて思った。
「日頃から、俺は親父とは合わなかったからな。ヤツを、ぎゃふんと言わせたかった
んだ。オヤジの大好物である、三五七年に一度しか手に入らないフカザメの鰭
を、一三年間煮込んだものに、その黒タマゴを散らせた、魔界で最高の珍味と言われ
ている盛り合わせを、こっそり喰ってやった。最高にウマかったぜ!
それを、喰わせてやるって、オヤジ一番のお気に入りの女を誘った。
こう見えても、俺は魔界でモテる方だったんだぜ。落とせない女なんかいなかった
んだ。
親父なんか、魔王ってだけで、好き放題やりやがって――!
女たちだって、そんな親父を怒らせるのが怖くて、言うことを聞いていただけに
過ぎないんだ。
だが、俺は違う! 術も使わず、実力でモノにしたんだ。彼女だって、俺のおかげ
で、束の間でも、救われたに違いないんだ。一生食べられないかも知れない料理も
食えたんだし」
実力? それは、寄ってくる女たちも、立場上逆らえないからだろ?
……ていうか、魔王の愛人、魔界の王子じゃなくて、珍味の方に釣られたんじゃ
ないのか!?
「そういうのって、魔族の実力って言えるのか? 」
俺の問いに、ヤツは、ずるそうに瞳を輝かせた。
「何も、人々に恐怖感を与えるだけが、魔族のやり方じゃないぜ。知らず知らずの
うちに、気が付いたら、魔族の手の中にあったってことの方が、上級の魔族の成せる
技なんだぜ」
俺は、ぞくっとして、ヤツの瞳を見返した。
やはり、こいつは、ヴァルの言った通り、側においておかない方がいいのかも知れ
ない。
こいつを恐ろしいと思えなかったから、すぐに斬るのは気が進まなかったが、既に、
こいつを高位の魔族だと意識しなくなっていた自分を振り返ると、こんなに危険な
ことはないのだった。
斬ろう! ヤツを。今のうちに――!
俺は、背中に背負ったバスターブレードに、手をかけた。
「やはり、お前は、俺たちヒトにとって、危険だ。お前がいて助かったこともあった
が、悪いけど、斬らせてもらう」
「ひっ! 」と、ジュニアが後退った。
「な、なんだよ、急に! 俺は、魔力もたいしてないんだぜ。ほっといたって、何も
悪いことなんかできやしねえよ。さっきだって、思わず、赤ん坊に食いついちまった
けど、別に、歯形がついたくらいで、あの赤ん坊が魔族になっちまうわけじゃないん
だから、いいじゃねえか! 」
バスターブレードだと知って恐れているのか、それとも、ただの剣ですら、ヒトと
同じように怖いのか、ヤツは動揺して、よろよろと逃げ腰になった。
「待って! 斬らないで! 」
マリスが、ジュニアの首に飛びついた。
「どけよ、マリス。こいつだって、自分で言ってたじゃないか。気が付いた時には、
こいつに乗っ取られてるかも知れないんだぞ! やっぱり、ヴァルがやろうとした
ように、変に情が湧く前に、こいつを叩き斬った方がいいんだ! 」
「だから、いざとなったら、それは、あたしがやるわ。お願い! 今は、こいつを
斬らないで! 」
ジュニアは驚いて、目を白黒させながら、俺と、首に巻き付いているマリスとを
交互に見ている。
「いれば何かと役に立つと思うの。それに、こいつは、いつか、何かの切り札に使え
るかも知れない。だから、お願い! あたしが、もういいと思うまで、こいつを殺さ
ないで! 」
マリスが、余計にヤツを強く抱きすくめた。
そんなヤツを擁護するなんて、絶対間違ってる!
しかも、なんで、抱きついてんだ?
俺の中に、むかむかするような、もやもやした思いが涌き起こる。
「……まさかとは思うけど、マリス、そいつに、既に、情が移ってるんじゃないだろ
うな? 」
バスターブレードを構えたまま、静かに言った。慎重に、彼女のどんな表情も
見逃さないつもりで、じっと見た。
「そんなんじゃないわ。ただ、……こいつは、魔物の間に伝わって来たっていう予言
の内容を知ってるはずじゃない? それと、他の魔族たちに聞いてもらえば、魔王
の封印された場所や、復活する時期も予想出来て、対策だって、立てられるかも
知れないじゃないの」
あの予言には、別の解釈があると、ヴァルに打ち明けられたことがある。
魔王とサンダガーを戦わせてはならない。戦えば、世界は消滅するだろうという。
それを、マリスは、ヴァルから知らされていない。
確かではないということもあるが、そのような破滅的なことは、彼女の耳には入れ
たくなかったのは、俺にだってわかる。
「ミュミュだって、魔物の言葉がわかるんだ。それだけなら、なにも、そいつの手を
借りなくたって、出来ることだろ? 」
うっ……と、マリスが、言葉を詰まらせた。
ヤツを手放したくない理由は、やっぱり他にあるんだろう。
「……わかったわ。正直に言うわ。納得しては、もらえないかも知れないけど……」
俺は、さっと緊張した。
最悪のパターンは、マリスが、こいつに惚れてることだったが、例え、そう打ち
明けられても、感情的にならないよう、心構えをしたつもりだった。
「あたし、……こういうペットが、欲しかったの! 」
マリスは、真顔で打ち明けた。
続きがあるのかと思って、しばらく黙っていたのだが、彼女も、それだけ言うと、
黙っていた。
わけのわからない顔で、まだ混乱しているジュニアがただひとり、きょろきょろと、
俺とマリスの顔とを、交互に見ていた。
「こういうペットって……どういう意味だ? 」
バスターブレードの柄を握り直し、彼女の心の中を探るように見る。
「普通の動物とかじゃなくて、ちゃんと言葉が通じて、魔物に食われることもなくて、
あたしのいいなりになるもの――ってこと」
……やはり、俺には、納得がいかなかった。
「そんなものが欲しかったからと言っても、そいつじゃあ危険が大き過ぎる。そんな
リスクを背負ってまで、必要なヤツか!? 」
マリスは、必死な面持ちで、食い下がって来た。
「あたしのわがままなんだって、充分わかってるわ。だけど、魔物に対抗するには、
必要だって思うのよ。それに、こいつは、既にあたしの僕なのよ。悪いこと
は、あたしが責任もってさせないようにするから! ねっ? ジュニア、そうでしょ
う? 」
「そうだよ! 人間に害を与えるようなことは、絶対にしないから、そんな物騒な
もの、しまってくれよぉ! 」
ジュニアも、マリスと一緒になって、懇願した。
「あたしの言うことなら、何でも聞くでしょう? 」
「聞くよ! 俺は、たった今、心から、お前の下僕になったのさあ! 」
ジュニアは、跪いて、マリスを見上げた。
見ていて、呆れた。
なんて調子のいい。死にたくないだけだろー?
まったく、茶番もいいとこだった。
「ねっ? お願い、ケイン! 今回は、見逃して! 」
「見逃してくれよー! 見逃してくれよー! 」
ヤツは、母親の後ろに隠れる子供のように、マリスの足にしがみついたまま、身を
隠し、涙目で、俺に訴えた。
そんなこと許したら、こいつは、四六時中マリスと一緒にいることになるだろう。
マリスが魔族に取り込まれる環境を与えてしまうと同時に、ペットみたいに、こい
つを可愛がるなんて……!
尻尾を振るイヌみたいに、こいつがマリスに懐き、マリスも、イヌやネコを可愛が
るみたいに、笑顔で、こいつを抱きしめたりするのだろうか。
そう妄想しただけで、本当に、本当に、嫌だった!
——が――
俺は、バスターブレードを背中に戻した。
「ありがとう、ケイン! わかってくれたのね!? 」
「ありがとう! ありがとう! 」
二人は、俺の周りで、小躍りし始めた。
理解したわけでもなければ、情に訴えられたわけでもない。
ただ呆れてしまったのだった。
「あそこが、領主様の館ね」
アホらしいことで時間を使ってしまったが、ようやく森を抜け、灯りのともった
建物が見えてきた。
「随分、大きな屋敷だな。城くらい、あるじゃないか」
「トアフ・シティーは、中原からは離れた、独立した都市だから、それだけで、小さ
な一国も同じだと思えば、領主は王みたいなものだわ。それにしても、よっぽど金持
ちみたいね」
俺とマリスが、あれこれ詮索している間、ジュニアのヤツは、にこにこと、マリス
の言うことに、いちいち頷いていた。助けてもらったからって、そこまでゴマをすら
んでも……。
「魔物を退治したので、領主様にお目通りをお願いしたいのですが」
厳つい鎧に身を包んだ門番に、マリスが、にっこりした。
門番は、ふんと小馬鹿にしたように、鼻を鳴らして、面倒臭そうに門を開ける。
「あら! 誰かと思えば、あの時の小娘じゃないの」
妙に、威圧的な声だった。
よく見ると、背の高い女と、低い女の二人連れだ。
「は~い! お兄さん、また逢えたねぇ! 」
小柄な方の女が、「きゃっ! 」といいながら、手を振る。
こいつらは……スーにマリリン……!
俺たちが砂漠に入る前の荒野で出会った、背の高いナイスバディーを誇る女剣士と
ロリっぽい自称美少女魔道士なのだった。
「ふ~ん、正義のためだとか言ってたくせに、結局は、あんたたちも、お金が欲しか
ったんじゃないの。ほ~ら、ご覧なさい! 」
スーちゃんは、何もしていないのに、勝ち誇った笑い声を上げた。
今回ばかりは、彼女の言う通り、金が欲しかったため、何も言い返せない。
もともと、言い返すつもりもないが。
「今日は鎧じゃないのね? 私に対抗すべく、そんな服を着てみたのかも知れないけ
ど、まあ、女には見えるようになったくらいのもので、まだまだ私たちにはかなわな
いけどね。ほーっほほほ! 」
スーちゃんが、マリスをからかったが、初対面の時と違い、マリスはあまり構って
いなさそうだったので、ほっとした。
「へ~、こんなお兄さんも連れてたんだー? ずる~い! 自分は男女みたいなくせ
して、こんなにカッコいいお兄さんたちばっかり連れ歩いちゃって! どっちかひと
り、マリリンにちょうだい! 」
マリリンちゃんも、かわいいお顔の割には、随分なことを言っていた。
「誰が、あんたになんか、やるわけないでしょ」
マリスが、マリリンの頭をコツンと殴る。
そんなに強く殴ったようには思えなかったが、途端に、マリリンちゃんが、
びーびー泣き出した。
「乱暴はよしなさいよ! 」
スーちゃんが間に入り、マリリンを抱えた。
マリスは、呆れた目で、二人を見ていたが、さっさと門の中へ入っていった。
「やーね! ほんと、乱暴なんだから! マリリンちゃん、大丈夫? 帰ったら、
今もらったお金で、好きなだけ飲み食いしましょう。そして、明日になったら、
オーダーメイドでドレスを作ってもらいましょう! 」
「うん! スーちゃん! 」
トモダチなのか、それ以上なのか、はたまたうわべだけなのか、利害関係なのか、
まったくよくわからない関係の彼女たちは、門の外につないであるウマの鞍に、
ずっしりと、重たそうな革袋を積み上げた。
袋の中身は、魔物を換金した金だろう。随分もらったらしいな。
それよりも、あのウマは、俺の譲ってあげたウマだろうか?
……多分、そうだろう。
「ただ今、領主様は、お食事中でございます。しばらく、こちらでお待ち下さい」
執事の老人が、俺たちを、広い客室に通すと、重々しい扉を閉めた。
ソファくらいしかない、がらんとした広い部屋で、俺たち三人は、することもなく、
うろうろ歩き回っていた。
古くあらある、由緒正しい家のように思える。相当古いのか、結構カビ臭い。
壁には、歴代の領主の肖像画が、何枚も掲げられている。
天井にも、何か宗教がかった模様が書かれているし、絨毯も、東洋系の色彩で織ら
れていた。
「あの森、な~んか、アヤシイわ」
マリスは窓枠に腰掛け、さっき通ってきた森を見下ろしていた。
その横にいるジュニアは、イヌが尻尾振るみたいに、またしても、うんうん頷いて
いた。
だから、そんなにゴマをすらんでも……。
「前に、スーたちが言ってたけど、もうこの辺では、魔物は捕れなくなってきたから、
遠出をしてるって。
でも、あそこの森には、下等だったけど、妖魔はいっぱいいたわ。遠出しなくても、
あそこの魔物を倒せばいいのに」
「下等なモンスターじゃ、わざわざ換金はしてくれないのかな? 」
「そうかも知れないわね」
俺に視線を向けることなく、彼女は森を見続けていた。
「街が、魔物に苦しめられているから、倒してくれたらご褒美をあげる、っていうん
なら、わかるのよ。だけど、遠くの魔物を倒してまでも、金に換えてくれるなんて、
随分人が好すぎない? 魔物撲滅運動なんて、たかが領主がひとりで出来ること
でもないし。神の神託が下ったなんて騒いでる、どっかの祭司長でもあるまいし、
よっぽど正義感が強いのか、あまりにも有り余っている金を持て余しているだけなの
か、または……金を積んでまでも、魔物の死体が欲しいのか……」
「魔物の死体が欲しいだって? 」
マリスは俺を見ると、慎重に、言葉を選びながら、続けた。俺に話すことで、彼女
自身も、自分の考えを確認するみたいに。
「例えばの話よ。魔物の死体っていうのは、魔物を倒した証拠として、持って行く
ものなんだと思っていたのよ。
さっきの酒場でも言っていたけど、あちこちから、賞金稼ぎが魔物を倒して、死体
を運んでくるらしいじゃない? そんなに死体ばかりが、ここに集まってきちゃった
ら、いくらなんでも、処置が大変なんじゃないかしら。
だけど、ここの領主は、未だに魔物に賞金を懸けてるわけでしょう? 連れて来ら
れた魔物は、一体どうしてるのかしら? 」
その時、窓の外で、カサッと、何か物音がした。
「ほら、また妖魔だわ。館のこんな間近にまで来てる。いくら下等な妖魔といっても、
こんなこと、普通の人間なら耐えられないはずだわ」
「お前だって、魔族を飼ってるじゃないか。ここの領主も、お前と同じで、相当な
物好きなんじゃないか? 」
ちょっとからかってみた。
「それだけなら、いいけど」
ぼそっと、彼女は呟いた。
「例え、何か妙なことを領主がしていたとしても、今の俺たちには、時間がないんだ。
金をもらったら、今度は、クレアの憑依を解かないといけないんだからな。そっちが
優先だ」
「わかってるわ」
マリスが、少し真面目な表情で頷くと、
「ヤナの憑依を解くだって? 」
ジュニアが、目をぱちくりさせた。
「ありゃあ、大変だぜ。悪いけど、あの娘は、もう助からないかも知れないぜ」
「なんだと、おい、いい加減なこと言うなよ! 」
俺がジュニアに詰め寄ると、ヤツは怯えてマリスの後ろに隠れた。
「だって、ヤナは、女神像に取り憑いてから、神聖な力がパワーアップしてんだぜ。
だから、魔族もうかつに近付けなかったんだ。
あんな強力な巫女の魂に、取り憑かれてんのを、無理矢理引き離そうとすると、
憑依は解けても、あの娘の人格が、もとに戻るかまでは、わかんねえぜ。
ただの記憶喪失がいいとこで、下手すりゃ、廃人同様になっちまう。
可哀想になあ。せっかく、かわいい娘だったのに。ヤナさえ取り憑いてなかったら、
絶対モノにしたのになあ! だけど、巫女だからダメか」
ジュニアは、わけのわからないことを言って、暢気に笑っていたが、いきなりマリ
スが、ヤツの頭を殴った。
「いてっ! 」
ジュニアは、その場に蹲ると、「一体、俺が何をしたってんだ? 」と
言いたげに、マリスを見上げた。
「クレアは、あたしが絶対に救ってみせるわ! 廃人なんかに、させやしないんだか
ら! 」
マリスに睨まれて、ジュニアは、「ひー! 」と叫んでから、おそるおそる切り出
した。
「だ、だけどさあ、あれじゃあ、普通の人間は受け付けないぜ? 彼女と同じ巫女だ
とか、それに近い存在じゃないと……」
「だから、あたしがやるのよ。あたしの母親は巫女で、あたし自身だって、洗礼を
受けた巫女でもあるんだし、ベアトリクスの辺境では、白魔法で魔物も倒したこと
あるんだから、白魔道士でもあったのよ」
まったく、様々な経歴の持ち主だった。
マリスの白魔道士姿って、凛々しくてカッコ良かっただろうなぁ(見た目は)……と、
白い道着をまとい、戦う姿を想像し、改めて感心した。
ジュニアの方は、ぽかんと口を開けていたが――
「ウソだっ! 有り得ねえ! そんなことは、有り得ねえ! 」
思いっ切り叫んでいた。
ヤツが、マリスに心から服従しているわけではないことは、バレバレだ。
「なによ、うるさいわね。じゃあ、他に誰がやるってのよ。あんたが出来るとでも
言うの? 」
マリスも、さすがに機嫌を損ねていた。
「俺だって、ちょっとの時間なら、精神の中に入ることは可能だぜ。高位の魔族に
なるほど、霊的な部分が強いからな。多分、それくらいは、今の俺でも出来そうだ」
それくらいは、なんていうが、それだけ出来れば、たいしたもののように思える。
「だから、あのおっかない魔道士の兄ちゃんに手伝ってもらって、マリーちゃんと
一緒に、あの娘の中に入ることは出来るぜ。そうしたら、ヤナを追い出すのも、
二人がかりで出来る」
「ちょっと、待て。……『マリーちゃん』て、誰だ? 」
俺が、ぞわっとして、ジュニアに尋ねると、彼はきょとんとした顔で、こっちを
見た。
「決まってんじゃねえか。彼女のことだよ」
「ええっ!? 」
指差されたマリスも、不気味そうに、ジュニアを見ている。
「なんなんだ、その変な呼び名は! 」
「だって、俺、身も心も彼女の奴隷だもん。自分のご主人様を、かわいく呼んで、
当たり前じゃないか」
ヤツは、人差し指を立てて、にっこり、俺とマリスに微笑んでみせた。
「ま、それは、置いといて――。あんた、あたしと一緒にクレアの中に入るって言っ
てたわね。だけど、今のクレアは、神聖なものしか受け入れられないんでしょ?
魔族のあんたが入っていけるようなもんじゃ、ないんじゃないの? 」
「逆に、あまりにも邪悪なものが来れば、嫌がって出て行くこともあるんだぜ」
ジュニアは、また人差し指を立てて、サファイアの方の目を瞑ってみせた。
「ヤナには長い間、さんっっっざん世話になったからなあ。俺としても、お返しして
やんなくちゃ、気が済まないのさ」
ヤツは、開いているエメラルドの瞳を、邪悪に歪ませた。
笑っている口元には、牙のような八重歯が覗く。
ああ、やはり、こいつは魔族なんだ。
そう思っていると、部屋の扉が、重々しい音を立てて、開いた。
「お待たせ致しました。ただ今、領主様のもとへ、ご案内致します」
先程の、青白い顔の、痩せた老執事が、ゆっくりな動作で、一礼した。
いよいよ、ご対面だ。謎の領主に。
俺たちは、顔を引き締めた。