第4章1 王位継承
クラウスは息をついた。
緊張も恐れも今の彼には感じられない。不安など無い、と配下の小妖精にも断言しておいたのだ。けれど、彼の中には未だに引っかかるものがある。丁度自分の反対側に位置する第2子の席を睨みながら、彼はふと先日送り出してやった義弟の顔を思い浮かべた。
椅子に腰を下ろしたクラウス。そのすぐ後に2子であるデューン・アレースが姿を現した。クラウスより高い身長は母は違えど弟とは言い難く、黒い服を着る様は国民からも、『地獄の葬列者』とも呼ばれたことがある。もともと彼の母は南の海岸周辺で権力を振るっていたアレース家の者。血筋に問題有り、と国民は結婚に反対していた。
デューンは鋭い視線をこちらへ向け、目が合った瞬間すぐにそれを逸らした。それは逃げたのではなく、単にこれから始まる王位継承式に向けた対立の証だ。2子の視線をまともに受けて見返せるのは義兄であるクラウスだけであろう。この男の視線は何者をも恐怖の底に陥れる程の威厳がある。否、それを威厳と考えるはおかしいかもしれない。
(威厳というのはただ睨みつければ良い、というものでもないだろう)
クラウスはそう思い、視線を会場へと彷徨わせた。するとデューンの後を追うように現れた3子、ブラーフ・サルトの姿が見えてくる。後ろに従えているのは、配下の妖精だろう。3子は何かに怯えるようにあたりを見回しつつ、自分の席へ腰を下ろした。巨体に反する臆病者。その割に食い気は人一倍だと噂されている。
(王権争いから外れたか……無難な考えではあるな)
珍しく、とクラウスは付け足した。3子は何かと2子の後をついて回る。もとより、アレース家とサルト家は少なからず繋がりがあるとされていた。良い意味でも、悪い意味でも。サルト家から極秘にアンシーリィ・コートの部下をアレース家にまわしている、という噂もあった。
(リキュアという部下か……あれを見れば一目瞭然だが)
サルト家は国民の間からは信頼が薄い。だが国民からの反対を受けても国王が結婚した理由は背後にあるアンシーリィ・コートの脅威を少しでも鎮める為だ。アレース家も同様の理由。だが…後ろにどんな血筋、関係があろうとも国王は力量によって決められる。
クラウスは彷徨わせていた視線を、不在となっている4子の椅子へと向けた。ルークの生まれた頃に設置された椅子は自分よりいくつか隣の場所にある。けれど、そこには今日もその姿はない。
(……)
何を思うでもなく、クラウスは視線を戻した。高らかに鳴り響く楽器の音色と共に、国王が姿を現した。妖精王バルク・セラヴル。見事なまでの茶の髪とそこから覗く瞳は王としての威厳に満ちている。クラウスより頭半分くらいの背の違いしかないが、それでも彼の前に立つと自分より遙か天上から見下ろされている感覚を覚えてしまう。クラウスは他の兄弟の誰よりも早く頭を下げた。自分の前を通り過ぎる場合頭を下げるのは礼儀である。横目で他の2人の様子を見つめると、デューンは口元だけの笑みを浮かべて軽く会釈をし、3子のブラーフは肉だけの短い首を動かしづらそうに傾けた。
丁度中央に用意された椅子に腰を下ろすバルク王。その視線が3人の息子達、そして空席となった4子の椅子へと向かう。クラウスはその様子に密かに息を吐いた。もし、ここにルークがいたとしたら必ず王位は彼のものになっているだろう。本人がどんなにそれを拒んだとしても。
国王の側近が前へと歩み出て、1つ咳払いをした。開式の宣言に立ち会う者達の緊張がはしる。王の部下、3人の王子、そしてその部下。残るは各地方を治める者達だ。国民はこの場に居合わせることは出来ない。
クラウスはふと反対側の席に視線を向けた。その刹那、珍しく笑みを浮かべたデューンの視線とぶつかる。彼は横に従えていたリキュアに何か指示をし、音を立てないように席を外させた。
訝しげな表情をしたクラウス。その瞬間、静寂を破ってデューンは声を上げた。突如席を立った2子の姿に、周りの視線が集まる。
「お待ち下さい」
久方ぶりに聞いたその声にクラウスは一層怪訝な表情を見せた。しかしデューンはその黒髪から覗く瞳を国王に向け、『地獄の葬列者』には似合わぬ大きな声を響かせた。生来、この義弟が喋ることは殆どと言ってよいほど聞いたことはなかった。今回のように式を中断させたことも初めてなのだ。
(何をする気だ……?)
クラウスはデューンの顔を睨みつける。
「父上。父上は今回の王位継承人を、お決めになっていることと思います。私か、『兄上』であるクラウス・セルディールか……」
横目でクラウスを示したデューンはふと不気味な笑い顔を浮かべた。丁度そこに席を外していたリキュアが戻ってくる。彼女は何かを手渡すと、すぐ後ろの席に戻った。
国王もまた訝しげな目で息子を見つめている。彼にとっても、この第2子が喋るところを見るのは久方ぶりなのだろう。デューンは続ける。
「……ルーク・クロートレンか」
クラウスと国王が反応したのは同時だっただろうか。クラウスは発言することは出来なかったが、代わりに国王が口を開いた。ルークを見つけたという1子の報告は国王の耳に届いている。城を出ていった、という事実も。
「ルークは見つかったものの、城を出ていったとクラウスから報告があったのだが」
出ていった理由をクラウスは言わなかった。ただ王位を拒否した、と。まさか義兄であるデューンに恩人を捕らえられ、助けに行ったなどとは言えない。それはあまりに醜い発言であり、父である国王に裏で起こっている息子達の権力争いなど見せたくはなかった。
「はい。……ですが、彼はもう王位が継げる状態ではありません……」
意味深に話を曇らせるのは、父親であるバルクの注意を引くためだ。長年こういった場での発言を避けてきた割には芸を覚えるものだ、とクラウスは心の中で毒づいた。国王はデューンの予想通り、彼の話に食いついてきた。失踪した自分の息子。しかもそれが溺愛した4番目の后との子なら尚更だろう。
「デューン、どうゆうことだ」
この時はっきりとクラウスはデューンの笑った表情を確認した。もっともらしく見せる為に顔を下に向けた様子。こちらからなら一目で分かる。髪の間から出た口元は相手を皮肉ったようにつり上がっている。
デューンは口を開いた。その言葉に城内は騒然とした。
「我が兄、クラウス・セルディールが殺したのです。我らが弟を」
信じられない一言にクラウスはただ相手を見返すしかなかった。この空間にいる者の視線が全て自分に向けられている。クラウスはその数えきれない程の視線を浴びて、辺りを見回した。配下の者達も一斉にこちらを振り返っている。国王であるバルクさえも。
クラウスは我に返って席を立った。
「何を証拠にそんなことを言う」
驚きが怒りへと代わるのに時間はいらなかった。しっかりと相手を睨みつけ、会場の中央で2人の王子の視線が交わる。しかしそんな義兄の様子に臆することもせず、デューンは言った。
「私は配下の者を使い我が弟を捜していたのだ、クラウス・セルディール。そして彼がこの国に彷徨いこんでしまってからも、な」
デューンは余裕の表情で会場を隅から隅まで見回した。この空間にいる全てのものにまるで言い聞かせるようにルーク殺害の様子を語り始める。
「彼は数日程前、兄上であるクラウスの土地に彷徨い込んだ。あそこには崖が多いことは皆よく知っていると思う。そこから…我が弟は突き落とされたのだ」
「それの何が証拠だ!私が殺したというはっきりした確証がないだろう!」
クラウスは身を乗り出してそう叫んだ。しかしデューンはそれを無視したかのように、主張を続ける。国王は椅子に腰かけたまま、2人の様子を目を細めて見つめていた。会場にザワザワとした空気が漂い始める。
「兄上の部下が、と言った方が正しかったか。偶然近くを通りかかった私の部下が小妖精の姿を見つけてな。様子がどうもおかしいと後をつけていたのだ」
振り返ってリキュアを示した。彼女の表情は無表情ではあったが、主の視線にしっかりと頷いてみせる。部下と聞いたクラウスは瞬時に自分の後ろにいたレクファとリーファを振り返る。しかし2人は同時に首を左右に振った。
『私達そんな事してないのーっ!』
『そ、そうですよ、きっと何かの間違……』
レクファの答えを遮ってリキュアが席を立った。赤い瞳の中に余裕の表情が込められていることは小妖精とクラウスにしか見てとれなかったであろう。
「ならこれはどうだ」
短くそういったリキュアは主の席の隣に置いてあったある物を手に取り、それを広げてみせる。それはレクファの名前入りのハンカチ……どうやらルークに手渡したものらしい。クラウスは小さく舌打ちをした。信用はどうあれ、目撃者と名乗る者がいる。そして、証拠ととれる物があるのだ。今更どんな真実を述べようと、誰も信じる者はいないだろう。
隣を浮遊しているレクファを睨みつけると彼は沈んだように下へと落ちていった。慌てたリーファに持ち上げられ、椅子につく。 その様子を見つめていたデューンが今が好機と声を張り上げた。
「国王、これを踏まえて継承者のご判断を!」




