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かぐやきゅう姫 〜野球星人オオタニの軌跡〜  作者: 久能のの


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4/4

憧れるのを止めましょう

 オオタニが野球星人の星に帰るという噂は、瞬く間に世界を駆け巡りました。

 ドジャースの首脳陣は顔面蒼白となり、フリードマンは「契約不履行だ!」と叫びながらも、その目は潤んでいました。ホワイトハウスも緊急声明を発表しました。


「オオタニは地球の至宝である。断じて宇宙へ渡すわけにはいかない」


 約束の満月の夜。

 ロサンゼルスのオオタニの屋敷の周りには、人類史上類を見ない警備網が敷かれました。

 集まったのは警察や軍隊ではありません。「野球星人には野球で対抗するしかない」という結論に基づき、日米のトップ選手たちが結集したのです。

 屋根の上にはアーロン・ジャッジやマイク・トラウトといったメジャーを代表する長距離砲がバットを構えて仁王立ちし、門の前にはダルビッシュ有をはじめとする日米のエースたちが、いつでも剛速球を投げられるように肩を作って待機しました。

 まさに、「地球連合オールスターチーム」による鉄壁の布陣でした。


「オオタニさん、行かせませんよ!」


 山本由伸と佐々木朗希も、涙目でオオタニの部屋の前に立ちふさがりました。

 栗山監督は、オオタニの手を強く握りしめました。屋敷の奥では、デコピンが不安そうにクゥンと鳴いています。


 深夜、月が天頂に達したその時でした。

 突如として、夜空が真昼のように明るくなりました。

 空の彼方から、巨大な雲に乗った何かが降りてきます。人々が目を凝らすと、それは雲ではなく、巨大なドーム球場をも飲み込むほどの「超巨大宇宙船」でした。


 宇宙船から、無数のスポットライトが庭へと降り注ぎ、その光の中から、純白のユニフォームに身を包んだ「野球星人代表チーム」が姿を現しました。


 彼らのリーダーとおぼしき者が、抑揚のない声で告げました。


「地球の野球人たちよ。我々はオオタニを回収する。抵抗するというなら、我々の掟に従い、野球で決着をつけよう。だが、この狭い庭では不服だ。最高の舞台へ移動しよう」


 その言葉と共に、決戦の舞台は急遽、ロサンゼルスの聖地「ドジャー・スタジアム」へと移されました。

 上空に停泊した宇宙船のエネルギーによって、スタジアムの照明塔が一斉に点灯し、グラウンドはカクテル光線に包まれました。無人の観客席、整備された天然芝。静まり返った巨大なスタジアムに、緊張が走ります。


 受けて立つ地球連合軍。ダイヤモンドに各ポジションが散らばり、人類の存亡をかけた、銀河系最強決定戦のプレイボールがかかりました。


 試合は、一方的な展開となりました。

 野球星人たちのプレーは、あまりに完璧すぎました。

 先発の佐々木朗希が投じた百六十三キロの剛速球を、彼らは眉一つ動かさずにジャストミートしました。打球音と同時にボールは夜空へ消えていきます。

 マウンドを変わり、山本由伸が魔球のようなカーブを投げ込んでも、彼らは冷静に見極め、甘く入った失投を確実にスタンドへ運びました。

 ダルビッシュが多彩な変化球で幻惑しようとしても、彼らの眼は全てを見通していました。


 攻撃に転じても同様でした。

 ジャッジがフルスイングした打球は、計算され尽くした守備位置にいる野手の正面に飛びました。


 点差は開く一方でした。しかし、地球代表チームが困惑したのは、その点差ではありませんでした。

 野球星人たちの「態度」でした。


 ホームランを打っても、彼らはガッツポーズ一つしません。ハイタッチもしません。淡々とベースを一周し、無表情でベンチに戻るだけです。

 逆に、地球チームが必死の思いでヒットを打っても、彼らは悔しがる素振りすら見せません。ピンチになってもマウンドに集まって励まし合うこともなく、ただ淡々と処理するのです。


 スタジアムを包むのは、熱狂ではなく、冷徹な静寂でした。

 打席に入ったマイク・トラウトが、鋭い当たりを放ちましたが、これまた無表情なファインプレーに阻まれました。

 トラウトはベンチに戻りながら、虚ろな目で首を傾げました。


「おかしいな……。ヒット性の当たりを打っても、アウトになっても、何も感じない。心が震えないんだ。この虚無感……まるで、勝てない時期のエンゼルスでプレーしている時のような感覚だ……」


 その言葉に、地球の選手たちは戦慄しました。

 圧倒的な強さへの恐怖よりも、この「楽しさのない虚無」こそが、彼らの心を削っていったのです。

 勝っても負けても、そこにはドラマも感動もない。ただの数字の積み上げ。

 それが、野球星人の野球でした。


 最終回、点差は絶望的。

 地球代表チームのベンチには、重苦しい沈黙が漂っていました。


「もう、いいです」


 静寂を破ったのは、それまでベンチで戦況を見つめていたオオタニでした。

 オオタニはゆっくりと立ち上がり、バットを手にしました。


「私が打ちます」


 代打、オオタニ。

 ネクストバッターズサークルで待つことなく、彼は打席に入りました。

 マウンド上の野球星人は、無表情のまま、この日最速のボールを投じました。

 オオタニのバットが一閃しました。


 カッキィィィィィィィィン!!


 それは、今まで誰も聞いたことがないような、凄まじい炸裂音でした。

 打球は、物理法則を無視したかのような弾道で夜空を切り裂き、はるか上空に浮かぶ宇宙船の土手っ腹に直撃しました。

 特大の、場外ホームラン。

 その一撃は、冷え切った空気を粉砕し、見る者すべての魂を震わせました。


 オオタニは、ゆっくりとダイヤモンドを一周しました。そしてホームベースを踏みしめると、無表情な野球星人たちの方を向き、静かに、しかし力強く言い放ちました。


「あなたたちは強い。技術も、体力も、我々地球人を遥かに凌駕している。それは認めます。でも、あなたたちとの野球は、少しも楽しくない!」


 野球星人たちは、初めて困惑したように顔を見合わせました。


「楽しい? それは非効率ではないか?」


 オオタニは首を横に振りました。


「違います。ただ勝つだけの野球なんて、作業と同じです。そんなの、野球じゃない!」


 そしてオオタニは振り返り、視線を共に戦った地球の仲間たち、トラウトやジャッジ、由伸や朗希に向けました。


「私がこの地球で教えてもらった野球は、もっと熱く、魂が震えるものでした。WBC決勝、トラウト選手と国を背負って戦ったあの緊張感。そしてシーズン中、ジャッジ選手と互いに高め合いながら競い合った、あの熾烈なMVP争いの高揚感。ピンチでマウンドに集まり、声を掛け合った時の温もり。喜び、悔やみ、咆哮する。それこそが、私の愛した野球です」


 オオタニの言葉に、地球の選手たちは涙を流しました。

 オオタニは、栗山監督の方を向きました。


「監督。私、決めました」

「決めた? 何をだ?」

「私は、星へ帰ります」


 監督は驚いて駆け寄りました。


「な、なぜだ! 楽しくないと言ったじゃないか! なら、ここに残ればいい!」


 オオタニは微笑み、監督の手を握りました。


「だからこそ、行くのです。彼らに『野球の楽しさ』を教えるために」

「教える……?」

「はい。このまま彼らを帰せば、宇宙の野球はずっとつまらないままです。それは、野球を愛する者として我慢できません。私が星へ行き、彼らのチームメイトとなって、一緒に白球を追いかけます。彼らがホームランを打ってガッツポーズをするようになるまで、私が背中で語り、魂で伝えてきます」


 オオタニは、空中に浮かぶ野球星人たちを見上げ、決意に満ちた声で宣言しました。


「私はあなたたちの星へ行きます。ですが、あなたたちの完璧なだけの野球には染まりません」


 オオタニは真っ直ぐに彼らを見据えました。


「効率やデータだけを追い求めていては、決して超えられない壁がある。私がその壁を壊し、まだ誰も見たことのない『最高に熱い野球』の景色を、あなたたちに見せてあげましょう」


 それは、誰かに強制された「帰還」ではなく、オオタニ自身が選び取った、新たな「挑戦」への旅立ちでした。


「オオタニ……お前というやつは、どこまで野球馬鹿なんだ」


 フリードマンも、ジャッジも、由伸も、泣きながら笑いました。

 誰も、もう彼を止めることはできませんでした。彼の瞳は、すでに次の目標、宇宙一熱いチームを作るという夢に向かって輝いていたからです。


 オオタニは、懐から一つの大きな箱を取り出しました。


「これは、私からの置き土産です」


 監督が箱を開けると、そこには「ニューバランス」のロゴが入った、子供用の野球グローブが三つ入っていました。


「実は、これと同じものをすでに手配してあります。明日には、日本のすべての小学校に三つずつ届くはずです。『野球しようぜ!』というメッセージを添えて。私が宇宙でプレーしている間に、地球でも第二、第三のオオタニが育つように」


 次にオオタニは、ドジャースのユニフォームを脱ぎ、静かに畳んでフリードマンに渡しました。


「アンドリューさん、十連覇の約束、果たせずに申し訳ありません。でも、由伸と朗希がいれば大丈夫です。残りの八年は、彼らと共に夢を叶えてください」


 そして、天の羽衣ならぬ、野球星人の真っ白なユニフォームに袖を通しました。


 迎えの使者たちが、困惑しながらもオオタニのために道を開けました。

 オオタニはデコピンを抱き上げ、宇宙船から降りてきたタラップへと足をかけました。

 その背中は、メジャーリーグに挑戦した時と同じように、希望と野心に満ち溢れていました。


 ふわりと、オオタニの体が浮き上がりました。


「行ってきます、地球の皆さん! またグラウンドで会いましょうー!」


 オオタニは満面の笑みで大きく手を振りました。その笑顔は、少年のままの、屈託のない笑顔でした。


 オオタニを乗せた宇宙船は、音もなく上昇し、満月の光の中へと吸い込まれていきました。

 残された人々は、いつまでもいつまでも、夜空を見上げていました。彼らが感じたのは喪失感ではなく、いつか宇宙の彼方から、とてつもなく熱い試合のニュースが届くであろうという、確信に似た予感でした。


 その後、日本中の小学校にグローブが届けられました。

 子供たちはそのグローブでボールを追いかけ、やがてその中から、また新たな「竹」のように真っ直ぐな若者が育っていきました。

 そして今も、満月の夜になると、空からはカキーンという快音と共に、特大のホームランボールが降ってくることがあると伝えられています。

 それはきっと、オオタニが星のチームメイトたちと共に放った、歓喜の一打に違いありません。

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