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かぐやきゅう姫 〜野球星人オオタニの軌跡〜  作者: 久能のの


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5つの難題

 その頃、オオタニの元には、昼夜を分かたず海を越えたラブコールが届いておりました。

 三十ある球団の中でも、とりわけ執着心を見せ、あるいは金の力を誇示し、あるいは名門の威光を笠に着て迫りくる、五つの球団がありました。

 西海岸の雄エンゼルス、東海岸の富豪メッツ、西の名門ジャイアンツ、中西部の古豪ホワイトソックス、そして球界の盟主ヤンキースです。


 彼らの熱意は、ビジネスの常軌を逸しておりました。

 ある球団はオーナー自らが足を運び、「球団の経営権の一部を譲渡してもいい」と囁き、ある球団は「君専用の医療施設とデータ分析センターを建設する」と設計図を広げました。またある者は、分厚い契約書の束を積み上げ、「金額欄は白紙だ。好きな数字を書いてくれ」と迫りました。

 その喧騒は、静かに野球と向き合いたいと願うオオタニにとって、春の夜の蚊の羽音のように煩わしいものでした。


 見かねた栗山監督が、オオタニに声をかけました。


「どうするつもりだ、オオタニ。彼らの熱意は本物だ。だが、その瞳の奥には欲望の色も見え隠れする。お前をただの『客寄せパンダ』や『勝利の道具』としてしか見ていない者もいるかもしれん」


 オオタニは、バットの手入れをしていた手を止め、静かに顔を上げました。その表情は、マウンド上で捕手のサインを覗き込む時と同じように、冷静かつ透徹としていました。


「監督。僕は、彼らの『覚悟』を試してみたいんです」

「覚悟、か」

「はい。彼らは『君のためなら何でもする』と言います。ならば、僕が理想とする野球環境、あるいはファンが見たいと願う景色を、彼らに託してみようと思います。それを実現できる球団こそ、僕が命を燃やすにふさわしい場所でしょう」


 ある晴れた日のこと。オオタニは、五球団の代表者たちを一堂に集めました。

 GMやオーナーたちは、緊張の面持ちでオオタニの言葉を待ちます。オオタニは彼らを真っ直ぐに見据え、静かに語りかけました。


「皆様の熱意、痛いほど伝わっております。しかし、私が求めているのは契約金の額でも、待遇の良さでもありません。私の野球人生において、どうしても見てみたい『五つの景色』があります。それぞれの球団に、その一つずつを課題として差し上げましょう。もし、それを持参することができたなら、私は喜んでその球団のユニフォームに袖を通します」


 そう言ってオオタニは、それぞれの球団が抱える「急所」や「業」を突いた、世にも困難な難題を提示したのです。


 まず、西海岸のエンゼルスのGMが進み出ました。


「ミスター・オオタニ。君の二刀流を最も理解しているのは我々だ。さあ、何でも言ってくれ」


 オオタニは彼を見据え、厳格な口調で言いました。


「勝利のためには、共に戦う仲間が健やかであることが不可欠です。貴球団には、レンドンという稀代の強打者がいるはず。彼が一年間、一度も故障者リストに入ることなく、真面目にフルシーズン働き続ける姿を見せてください。名付けて『不休のレンドン』。彼を連れてきてください」


 GMの顔から血の気が引きました。それは、「死者に生き返れ」と言うに等しい難題だったからです。


 次に、圧倒的な資金力を誇るメッツのオーナーが胸を張って進み出ました。


「金で解決できることなら何でも言いたまえ。最高級の選手を何人でも揃えよう」


 オオタニは首を横に振りました。


「お金ではありません。私が欲しいのは『安心』です。貴球団は、試合終盤になるとマウンドが不安定になると聞きます。どんなにリードしていても、九回に逆転される恐怖と戦うのはごめんです。どうか、決して崩れることなく、完璧に試合を締めくくる『鉄壁の救援投手陣』を作ってきてください」


 オーナーは言葉を失いました。世界中の剛腕を金で買い集めても、なぜかメッツのユニフォームを着た瞬間に制球を乱すという怪現象に、彼自身が誰よりも頭を悩ませていたからです。


 三番目に進み出たのは、西の名門ジャイアンツの編成本部長です。


「我々は伝統と格式を重んじる。君に相応しい舞台を用意しよう」


 オオタニは少し身を乗り出して言いました。


「私は、国境を越えた野球の広がりに可能性を感じています。クリーブランドに、スティーブン・クワンという素晴らしい選手がいますね。彼のルーツを辿り、侍ジャパンの一員としてWBCに出場できるよう、『スティーブン・クワンの侍ジャパン選出証明書』を持ってきてください」


 本部長は脂汗を流しました。それは選手の獲得競争ではなく、国際政治のパワーバランスという、巨大な壁への挑戦を意味していたからです。


 四番目は、再建の最中にあるホワイトソックスの代表でした。


「我々は失うものは何もない。君のために最高のサポートチームを用意する」


 オオタニは深く溜息をつき、悲しげな瞳で言いました。


「私は、野球に集中したいのです。しかし、私の口座から勝手にお金を盗むようなパートナーはもうこりごりです。貴球団にお願いしたいのは、ただ一つ。誠実であり、賭け事をせず、私の資産に決して手を付けない『お金を盗まない通訳』を連れてきてください」


 代表は愕然としました。人間の心の中に潜む闇を見抜けという、ある意味で最も難しい人選を迫られたのです。


 最後に、球界の盟主を自負するヤンキースのGMが、傲然と進み出ました。


「我々に不可能はない。言ってみろ」


 オオタニは彼を見据えました。


「野球の正義は、正確な判定にあります。しかし、メジャーリーグの審判はあまりに多くの過ちを犯します。私が求めるのは、人間の目を持ちながら、決して誤審をしない審判です。ストライクとボールを完璧に見極め、誰もが納得する判定を下す『絶対の審判』を連れてきてください」


 GMは眉をひそめました。


(誤審をしない審判だと……? それでは、我がチームが際どい判定で得をしてきたあの『伝統の力』が使えなくなるではないか……)


 それは、ヤンキースにとって、自らの特権を捨てよと言われるに等しい、矛盾を孕んだ難題でした。


「期限は次の満月まで。皆様の吉報をお待ちしております」


 オオタニはそう言い残し、奥の間へと姿を消しました。残された五人は、呆然と顔を見合わせるほかありませんでした。

 しかし、彼らとてプロの矜持があります。「ここで引き下がっては球団の恥」と、それぞれの本拠地へと取って返し、血眼になって「宝探し」を始めたのです。


 そこから繰り広げられたのは、涙と笑いなしには語れぬ、必死の悪戦苦闘でした。


 エンゼルスのGMは、その足でレンドンの豪邸を訪ねました。


「アンソニー、頼む。今年だけでいい。全試合に出てくれ。痛くても痛くないと言ってくれ」


 GMは土下座せんばかりに頼み込みました。レンドンはソファに深々と座り、気だるげに答えました。


「ヘイ、ボス。僕だって出たいさ。でも、今日は朝起きたら小指の爪が少し伸びていてね。バランスが悪いんだ。無理をすると腰にくる」

「爪なら切ればいい!」

「いや、切ったばかりの爪は風邪を引きやすい。大事を取って十日間のリスト入りだ」


 GMは絶望しました。彼は苦肉の策として、レンドンによく似た頑丈なマイナーリーガーを見つけ出し、彼に背番号6のユニフォームを着せてオオタニの元へ連れて行きました。


「見ろ、これが不休のレンドンだ」


 しかし、オオタニはその選手が放った打球の角度を見るなり、「これはレンドンさんの弾道ではありません。彼の打球はもっと美しい」と一蹴しました。偽物はすごすごと逃げ帰りました。


 メッツのオーナーは、トレード市場を荒らし回りました。

 防御率〇・〇〇台のクローザーを三人、セットアッパーを五人、なりふり構わず獲得しました。「これで完璧だ。一点も取られるはずがない」

 しかし、いざオープン戦が始まると、鉄壁のはずの投手陣が次々と打ち込まれました。四球、暴投、そして逆転満塁ホームラン。

 オーナーは頭を抱えました。


「なぜだ! 前のチームではあんなに抑えていたのに!」


 それは、メッツというチームに憑りついた魔物の仕業か、あるいはプレッシャーのなせる業か。いずれにせよ、「鉄壁」は「砂の城」のように崩れ去り、オーナーは白旗を上げました。


 ジャイアンツの編成本部長は、あらゆる政治力を駆使してクワンの侍ジャパン入りを画策しました。書類は整い、あとは承認印をもらうだけでした。

 しかし、最後の最後で「待った」がかかりました。アメリカ代表の上層部からの圧力でした。


「おい、正気か? ただでさえ強い日本に、これ以上戦力を与えるつもりか?」

「しかし、これは本人の希望で……」

「駄目だ! クワンが入れば日本は無敵になってしまう。我々アメリカ代表が日本に勝つ可能性が万に一つもなくなってしまうじゃないか! エンタメとして成立しない!」


 クワンがいようがいまいが勝てる見込みは薄いのですが、彼らはそれを認めようとはせず、頑なに拒否しました。本部長は板挟みになり、涙を呑んで撤退しました。


 ホワイトソックスの代表は、全米中から「誠実な通訳」を募集しました。

 数千人の応募があり、その中から最も聖人のような顔をした男を選び抜きました。


「彼なら大丈夫だ。教会の日曜学校で先生をしている」


 代表は自信満々で彼をオオタニの元へ連れて行こうとしました。しかし、契約書にサインをする段になって、その男は小声で囁きました。


「ところで、オオタニ選手の口座のパスワードはいつ教えてもらえるのですか? いや、管理のために必要でして……」


 その瞬間、代表は彼を追い出しました。次の候補者も、その次の候補者も、大金を目の前にすると目がドルマークに変わりました。


「ああ、金の前では人は無力なのか」


 代表は人間の業の深さに絶望し、シカゴの風の中に消えました。


 最後にヤンキースです。GMは世界中を奔走し、いかなる圧力にも屈せず、機械のような正確さで公平な判定を下せる審判たちを複数人探し出してきました。


「これぞ『正義の審判団』だ。文句はあるまい」


 GMは自信満々で彼らをキャンプ地に連れて行き、プレシーズンマッチで実際に試合を裁かせました。

 しかし、そこで悲劇が起きました。

 これまで「名門の威光」によって、際どい判定を有利に受けることに慣れきっていたヤンキースのスター選手たちは、微塵の忖度もない公平すぎる判定に我慢ができませんでした。


「おい! 今の外角は俺のストライクゾーンではボールだろ!」

「いいえ、ルールブック通りストライクです」

「ふざけるな! 俺を誰だと思っている!」


 審判たちは冷静に、文句を言う選手たちを次々と退場処分にしました。

 試合が進むにつれ、スタメン野手のほとんどが退場し、最後にはマイナーリーグの選手まで借り出さなければならない有様となりました。

 それを見たGMは頭を抱えました。


「……正しすぎる正義は、我がチームには毒か。これではシーズンを戦う前に選手がいなくなってしまう」


 GMは静かに審判たちを解雇し、オオタニへの報告もせずに逃げ帰りました。


 こうして、季節は巡り、約束の満月が近づく頃には、五つの球団はすべて力尽き、オオタニの元を去っていきました。

 オオタニは、誰もいなくなった庭を眺め、ぽつりと呟きました。


「やはり、この地球ほしには、私の理想を叶えてくれる場所はないのでしょうか」


 その横顔には、深い孤独の影が落ちていました。

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