第42話 夜明けの湖と、私たちのニューゲーム
どれくらい、そうしていたのだろう。 冷たい、石の床の、感触も、遠くで、響いていた、剣戟の、音も、全てが、遠い、夢の中の、出来事のようだった。 ただ、私を、抱きしめる、確かな、腕の、温かさと、私の、髪に、触れる、彼の、静かな、呼吸だけが、現実だった。
「……ん……」
ゆっくりと、目を開けると、最初に、視界に、飛び込んできたのは、ひどく、疲れた、しかし、どこまでも、優しい、アクアマリンの、瞳だった。
「……アイナ様」 彼が、私の、名を、呼ぶ。 「……気が、つかれましたか」 「……レオンハルト、さま……」
私は、彼の、腕の中で、ゆっくりと、身体を、起こした。 見回すと、そこは、まだ、あの、霊廟の、最深部だった。 しかし、あれほど、禍々しく、脈打っていた、壁の、光の線は、その、色を、穏やかな、夜明けの、空のような、青色に、変え、静かに、眠りについていた。
そして、少し、離れた場所には。 アルバート王子と、クラウス団長が、まるで、燃え尽きたかのように、その場に、立ち尽くしていた。 二人の、足元には、それぞれの、剣が、力なく、転がっている。
「……終わった、のですわね」 私が、呟くと、レオンハルト様が、強く、頷いた。
最初に、動いたのは、クラウス団長だった。 彼は、ゆっくりと、こちらに、歩み寄ってきた。 その、鋼の、仮面のような、表情は、今は、ない。 ただ、深い、苦悩と、そして、一人の、騎士としての、敗北を、刻んだ、男の、顔が、そこにあった。
彼は、レオンハルト様の、目の前で、止まると、その、屈強な、身体を、折り曲げ、深々と、頭を、下げた。
「……サー・レオンハルト・アークライト」 その、声は、震えていた。 「いや、……アークライト公。我が、近衛騎士団は……いや、王国は、貴家に対し、千年もの間、許されざる、罪を、重ねてきた。……団長として、いや、一人の、騎士として、弁解の、言葉も、ない」
「……顔を、上げてください、団長」 レオンハルト様が、静かに、言った。 「あなたもまた、知らなかった。……ただ、“秩序”を、守ろうと、していただけだ」
「だが!」 「もう、いいのです」 レオンハルト様は、彼を、遮った。 「全ては、終わりました。……これからは、過去の、罪を、数えるよりも、未来の、ために、何を、すべきかを、考えるべきでは、ありませんか」
その、あまりにも、気高い、赦しの、言葉に、クラウス団長は、ただ、唇を、噛み締めることしか、できなかった。
「……レオンハルト」 次に、口を、開いたのは、アルバート王子だった。 彼は、ゆっくりと、私たちに、近づくと、その、瞳に、王族としての、初めて見る、覚悟の、色を、宿していた。 「……私は、父上にも、民にも、全てを、話す。この、王家が、犯してきた、千年の、罪を。……それが、私の、王太子としての、最初の、“償い”であり、最後の、“責任”だ」
「殿下……」 レオンハルト様が、息を、呑む。
「そして、アイナ」 彼は、私を、見た。その、瞳には、もう、嫉妬も、混乱も、なかった。 ただ、深い、尊敬の、念が、あった。 「……君は、正しかった。君が、信じた、“真実”が、彼を、そして、この、歪んだ、国を、救ったのだ。……礼を、言う」
「……いいえ」 私は、首を、横に振った。 「それは、わたくしの、力では、ありません。あなた様が、最後に、ご自身の、意志で、“真実”を、選んでくださったから。……あれこそが、殿下の、本当の、物語の、始まりでしたわ」
彼は、一瞬、驚いたように、目を見開くと、すぐに、自嘲するように、笑った。 「……そうか。そう、だな。私も、ようやく、自分の、足で、立てた、というわけか」
彼は、霊廟の、壁に、隠された、一つの、レリーフに、手を、かけた。 ゴゴゴ、と、重い、音を、立てて、壁が、開き、外へと、続く、隠し通路が、現れた。
「……行きなさい」 彼が、言った。 「もう、君たちは、何にも、縛られる、必要は、ない。王宮の、面倒な、尋問も、民衆の、好奇の、目も、もう、受ける、必要は、ない」 「殿下、しかし、我々は……」
「行け、レオンハルト!」 王子の、声が、響く。 「これ以上、私に、友を、縛らせるな。……君たちは、自由だ」
レオンハルト様は、私と、顔を、見合わせた。 そして、二人で、深く、頷いた。 私たちは、アルバート王子と、クラウス団長に、騎士として、そして、一人の、人間としての、最後の、敬礼を、送った。 そして、二度と、振り返らず、その、新しい、夜明けへと、続く、道へと、歩き出した。
†
どれくらい、歩いたろうか。 湿った、地下の、空気は、やがて、朝露の、匂いを、含んだ、新鮮な、風へと、変わった。 そして、私たちは、光の、中へと、出た。
そこは、あの、湖畔の、離宮だった。 朝日が、昇り、湖面が、まるで、金色の、鏡のように、きらきらと、輝いていた。 全ての、悪夢が、嘘だったかのような、完璧な、朝。
私たちは、あの、テラスの、椅子に、腰掛け、どちらともなく、息を、吐いた。 荷物は、もう、まとめてある。
「……私たちの、物語」 私が、ぽつり、と呟いた。 「もう、エンディングの、スタッフロールが、流れてる、頃かしら」
「……いや」 隣で、レオンハルト様が、静かに、首を、振った。 彼は、私の、手を、そっと、取った。 その、手は、もう、冷たくない。どこまでも、温かかった。
「――ここからが、私たちの、ニューゲームだ」
その、瞬間だった。 私の、手首に、いつの間にか、現れていた、簡素な、腕輪が、ちかり、と、淡い、光を、放った。 空中に、一瞬だけ、私にしか、見えない、光の、文字が、浮かび上がる。
《――To Be Continued...》 《世界の外で、もう一度、会おう》
私は、それを見て、思わず、噴き出してしまった。 「……ふふっ」 「……どうかなさいましたか?」
私は、きょとん、としている、私の、愛しい、騎士様を、見上げた。 その、瞳には、悪戯っぽい、ゲーマーの、光が、宿っていた。
「どうやら、この“ゲーム”、まだ、クリア後の、隠しダンジョンが、残っているみたいですわよ?」
レオンハルト様は、一瞬、きょとん、とした。 だが、すぐに、全てを、察したように、その、顔を、綻ばせた。 彼が、今、浮かべたのは、私が、今まで、見た、どの、笑顔よりも、穏やかで、そして、幸せそうな、笑顔だった。
「――望むところだ」 彼は、私の、手を、強く、握り返した。
「あなたと、一緒なら、どこへでも」
完




