第4話 想定外(バグ)には想定外(エクスプロイト)を
あれから数日。私の学園内での評価は、もはや取り返しのつかない領域に達していた。
『聖女の如き慈悲と、芸術家のような繊énを併せ持ち、その才能は王家にも匹敵する才媛』
……誰よ、その完璧超人。少なくとも、私じゃない。
「もう、小手先の悪事は全部無駄……」
放課後の図書室。その静寂だけが、今の私に唯一の安らぎを与えてくれていた。
私は革張りの椅子に深く身を沈め、これまでの失敗をゲーマーの視点で分析する。
敗因は明確だ。私は、この世界の『ルール』の中で戦おうとしていた。悪役令G嬢として、ヒロインに嫌がらせをする。その前提が、そもそも間違いだったのだ。
「この世界のルール――“聖属性逆流バグ”は、私の“悪意”に反応して発動する……」
ならば、答えは一つ。
私の行動原理から、“悪意”を消せばいい。
「ヒロインへの嫉妬? 王子への執着? そんな個人的な感情は捨て去る。今の私は、ただのプレイヤー。目的は、バグったゲームのエンディングに到達すること」
冷徹なまでに思考を切り替える。心がすっと軽くなるのを感じた。そうだ、これはゲーム。感傷的になっている場合じゃない。
私は書庫の奥へ向かい、一冊の古びた魔導書を手に取った。ゲーム知識によれば、この本には実用性が低いという理由で誰も使わない、古代の魔法陣が記されているはずだ。
「見つけた……『魔力指数関数的増幅術式』」
複雑怪奇なその術式は、複数の魔法陣を精密に重ね合わせることで、魔力をネズミ算式に増大させるというもの。あまりの効率の悪さと制御の難しさから、歴史の闇に葬られた禁断の魔法。
だが、RTA走者の私から見れば、それはただの“仕様の穴”だ。
「普通の攻撃じゃ、どうせ善意に書き換えられる。なら、システムの許容量を超える一撃を叩き込んで、強制的にエラーを起こしてやればいい」
悪意じゃない。これは、バグに対するハッキング。ゲーム用語で言うところの「エクスプロイト(脆弱性攻撃)」だ。
次の舞台は、魔法実技の中間試験。
私の計画を、完璧に実行できる最高のステージ。
†
試験当日。広大な魔法演習場は、独特の緊張感に包まれていた。
等間隔に設置された、魔力測定用のクリスタル・ゴーレムが鈍い光を放っている。あれを破壊し、その威力と技術点がスコアになる仕組みだ。
「アイナ! 君ならきっと、情熱的なソネットを詠うが如き、美しい魔法を見せてくれると信じているよ!」
アルバート王子が、キラキラした笑顔で近づいてくる。
私は感情を消し、ただ静かに一礼した。
「……ええ。殿下のご期待に、お応えできるよう」
その素っ気ない態度すら、彼には「集中している気高い姿」と映るらしい。実にめでたい頭だ。
「アイナ様、頑張ってください!」
純粋なエールを送ってくるのは、ヒロインのエリス。彼女のまっすぐな好意が、少しだけ胸に痛む。
(ごめんなさい、エリスさん。少し、舞台が揺れるかもしれませんわ)
心の中でだけ謝罪し、私は自分の順番を待った。
やがて、私の名前が呼ばれる。
演習場の中央に立つと、観客席からの視線が突き刺さる。期待、好奇、そして嫉妬。それら全てが、今は心地よかった。最高の舞台装置だ。
私は、ゆっくりと目を閉じた。
(――これより、シーケンスを開始)
意識を内側に集中させ、魔力を練り上げる。
普通の魔術師なら、一つの魔法陣を描くだけで精一杯だろう。だが、私は違う。
頭の中に、完璧な設計図が描かれている。
一つ目の魔法陣を足元に展開。基礎となる、安定化の陣。
二つ目を胸の前に。魔力圧縮の陣。
三つ目、四つ目、五つ目……!
指先が、まるで高速でキーボードを打つピアニストのように宙を舞う。幾重にも魔法陣が重なり合い、私の周りを衛星のように旋回し始めた。
「な……なんだ、あの魔法は!?」
「魔法陣を、同時に七つもだと……!?」
審査員たちが驚愕に目を見開く。
そうだ、驚け。これは、お前たちの知る魔法のルールを逸脱した、禁じられた技だ。
増幅され、圧縮され、極限まで高められた魔力が、私の右手に収束していく。
眩い光が、世界を白く染め上げた。
「――撃て」
私が放ったのは、もはや魔法と呼べるものではなかった。
それは、純粋な“破壊”の奔流。
一筋の白い光線が、空間そのものを灼きながらクリスタル・ゴーレムへと突き進む。
――ゴッ。
という、あまりにも小さな音だけが響いた。
次の瞬間、ゴーレムは、ない。
あった場所に、何もない。蒸発したのだ。
光線は止まらない。演習場の地面に深い溝を刻みながら直進し、最奥に設置された防御結界に激突。ガラスが割れるような甲高い音と共に、王国最高峰の魔術師たちが張った結界に、巨大な亀裂が入った。
シーン……。
演習場から、完全に音が消えた。
誰もが、目の前で起こった厄災の如き現象に、言葉を失っている。
スコアボードが、チカチカと明滅を繰り返していた。
見たこともない桁数の数字が表示され、火花を散らし、やがて黒い煙を噴き出した。
『ERROR: MEASUREMENT IMPOSSIBLE』
測定不能。
システムの、完全なキャパシティオーバー。
「……成功、ね」
私は荒い息をつきながら、勝利を確信した。
これで私の存在は、ただの「聖女候補」から「規格外の危険人物」になるはずだ。断罪ルートへ、大きく前進したに違いない。
その時だった。
「アイナ殿!」
一番に駆け寄ってきたのは、意外にも、警備のために離れて見ていたはずのレオンハルト様だった。
彼は、賞賛でも、驚愕でもない――ただひたすらに、心配そうな顔で私の腕を掴んだ。
「その魔法は無謀だ! あなたの身体にどれだけ負担がかかるか……!」
他の誰もが“現象”に驚く中、彼だけが“私”を心配してくれていた。
その真摯な瞳に、一瞬、私の心に立てたはずの壁が揺らぐ。
「Aina von Rumerのスコア……測定不能!」
審査員長の裏返った声が、演習場に木霊した。
「ただちに宮廷魔術師団へ報告! これは、我が国の歴史を揺るがす、前代未聞の事態である!」
観客席が、爆発したような騒ぎになる。
レオンハルト様に腕を掴まれたまま、私はその喧騒の中心で静かに目を閉じた。
(大丈夫。これも、チャート通り――)
いや、違う。
チャートには、こんなにも胸が痛くなるほどの、彼の温もりは、記されていなかった。




