第3話 情報戦は、かくも無慈悲なり
「……ありえない」
自室に戻った私は、ベッドに突っ伏して呻いた。
RTAチャート第二走『カフェテリア襲撃事件』は、歴史的大失敗に終わった。
私の悪評を高めるどころか、「激しい情熱を繊細な魔力コントロールで隠す、芸術家肌の聖女」という、わけのわからない称号まで手に入れてしまった。
「このままでは、卒業パーティーで断罪されるどころか、アルバート殿下と結婚させられて『国母』とか呼ばれちゃうわよ……!」
悪役令嬢にとって、それ以上のバッドエンドがあるだろうか。
いや、ない。
「直接的な攻撃が善意に変換されるなら……次は間接的な攻撃よ」
私は顔を上げた。ゲーマーの目は、まだ死んでいない。
「そう、情報戦。噂を流すのよ。これなら物理的なバグは介在しないはず!」
悪役令嬢の基本戦術その三、『根も葉もない噂の流布』。
これこそ、バグの介入できない、心理的な攻撃。
今度こそ、私の悪名を学園中に轟かせてみせる!
†
翌日の昼休み。私はリナとリラを連れ、女生徒の社交場である中庭のサロンにいた。
ターゲットであるエリスは、少し離れた席で友人たちと談笑している。よし、絶好の舞台だ。
「アイナ様、昨日の魔法、本当に素晴らしかったですわ!」
「ええ! わたくし、感動してしまいました!」
早速、リナとリラがキラキラした瞳で昨日の失態を蒸し返す。
私は扇子で顔を隠し、ため息を隠した。
「ふふ、ありがとう。けれど、あんなものはただの余興ですわ」
(余興であんな大惨事になるなら、本気を出したらどうなるのよこの世界は!)
私は声を潜め、二人だけに聞こえるように切り出した。
「それより、聞いてくださる? 最近、少し気になる噂を耳にしたの」
「「まあ!」」と、二人の注意がこちらに集中する。よし、食いついた。
私は扇子の向こうから、チラリとエリスに視線を送る。
「ヒロインのエリスさん……あの方、とても純粋で可愛らしい方ですわよね」
「はい! まるで天使のようですわ!」とリラ。
「ええ、少しそそっかしいですが、そこがまた庇護欲をそそりますわね!」とリナ。
「ええ、そう……。でも、不思議だと思わないこと?」
私は核心に触れる。
「あの方、平民の出身なのに、いつも絶妙なタイミングでアルバート殿下やレオンハルト様の前に現れるじゃなくて? まるで、計算しているかのように……」
さあ、言うがいい。「アイナ様、まさかエリスさんが殿方をたぶらかしていると?」「なんて計算高い女なの!」と。
しかし、二人の反応は私の予想の斜め上をいった。
リナが、はっと目を見開いて口元に手を当てた。
「計算……? まさか、アイナ様! それは……運命ですわ!」
「――は?」
隣でリラも、ぶんぶんと首を縦に振っている。
「そうですわ! きっとエリスさんには、わたくしたちには見えない星の導きがあるのですわ! だからこそ、殿方との運命的な出会いが繰り返される……! アイナ様は、それにいち早くお気づきになったのですね!」
(う、運命!? 私が言ってるのは下心よ! したごころ! なんでこの子たちの脳内では、私の悪意がそんなロマンチックな解釈に変換されるの!?)
「い、いえ、わたくしが言いたいのは、そういうことでは……」
焦る私をよそに、二人の妄想は加速する。
「それに、あの方の成績……平民の出とは思えないほど優秀ですわ。もしかしたら、何か不正な手段を……」
今度こそ、と思って、さらに悪意の種を蒔いてみる。
しかし、リナはうっとりとした表情で返した。
「不正な手段……! つまり、身分差を努力と才能だけで覆す、一世一代の天才だということですわね!」
「まあ素敵! 逆境に負けないヒロイン……! アイナ様は、嫉妬なさるどころか、彼女の真の価値を見抜いていらっしゃったのね! さすがですわ!」
私のこめかみに、青筋が浮かんだ。
もうだめだ。こいつら、私の言葉を都合よく解釈するフィルターでもかかっているのか。
私が頭を抱えた、その時だった。
「――素晴らしい!」
背後から、朗々とした声が響いた。
振り向くと、いつの間にいたのか、アルバート王子が感動に打ち震えた表情で立っていた。
「アイナ! 君の話、全て聞かせてもらったよ! 私はなんと浅はかだったのだろう!」
「で、殿下……?」
彼は私の手を取り、その場に膝をついた。
「私はエリス嬢を、ただ珍しいだけの平民としか見ていなかった! だが君は違う! その身分や見た目に惑わされず、彼女が持つ『運命』と『才能』という真実を見抜いていた! それこそ、未来の国母たる器の証明だ!」
「ち、違います殿下! わたくしはただ、その……!」
私の弁明は、新たな声によってかき消された。
「アイナ様……!」
見ると、そこには噂の当事者、エリスが立っていた。彼女は、潤んだ瞳で私をまっすぐに見つめている。どうやら、アルバ-ト殿下の声を聞きつけてやってきたらしい。
「わ、わたくし……皆さんが自分のことをどう思っているか、ずっと不安でした。でも……アイナ様が、わたくしの努力を認めてくださっていたなんて……!」
感極まったエリスが、私の両手を固く握った。
「ありがとうございます、アイナ様……! 本当に、ありがとうございます……!」
キラキラした感謝の視線。
うっとりとした賞賛の視線。
うっとりとした尊敬の視線。
私の周りを、温かい誤解が満たしていく。
そして、脳内に響く、無慈悲なシステムボイス。
《悪意イベント『噂の流布』を、善意イベント『才能の称賛』に強制変換……完了。ヒロイン・エリスとの友好度が30ポイント上昇。王子アルバートの好感度が20ポイント上昇しました》
友好度。好感度。
私が今、一番いらないステータスだ。
「もう……知らない……」
私は力なく呟き、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
直接攻撃も、間接攻撃も、このクソゲーの前では無意味。
ならば。
「ゲームのルールが通用しないなら……」
――ルールそのものを、壊すまで。
私の翡翠の瞳の奥で、RTA走者とは違う、別の光が静かに灯り始めていた。




