第28話 反逆者たちの、二ヶ月間の攻防
その日から、私たちの、奇妙な共同生活が始まった。
表向き、私は、例の事件の心労から、自室に引きこもる、か弱き令嬢。
レオンハルト様は、魔力の不安定さを理由に、騎士団への出仕を禁じられた、謹慎中の騎士。
そして、ヴァレリウス老は、そんな私たちを、仕方なく監督する、気難しい書庫長。
それが、学園内に広まった、私たちの、新しいプロフィールだった。
だが、真実は、全く違う。
私たちは、毎夜、禁書庫の奥にある、今はもう使われていない、古い魔法実験室に、集っていた。
そこが、私たちの、秘密の、作戦司令室だった。
「――違う、違うぞ、お嬢様!」
ヴァレリウス老の、しゃがれた怒声が、埃っぽい実験室に響き渡る。
「“魂の共振”とは、そんな、力任せに魔力をぶつけることではない! 相手の魂の“波長”に、自らのそれを、寸分の狂いもなく、合わせるのじゃ! ピアノの調律のように、繊細にな!」
「言うのは、簡単ですわね!」
私は、床に描いた、複雑な魔法陣の中心で、汗だくになりながら、言い返した。
「そもそも、わたくしの魂は、この世界の“規格外”なのですから! チューニングしようにも、基準になる音階が、違うのですわ!」
この二ヶ月間、私たちは、狂人アリスティアの日記を、解読し、そこに記された、前代未聞の「呪い移し替え(カース・トランスファー)」の術式を、再現するために、全てを捧げていた。
レオンハルト様は、来るべき魔術試合に備え、来る日も、来る日も、剣を振り続けた。
実験室の隅で、木剣を振る彼の姿は、まるで、祈りのようだ。
その剣先から放たれる、青白い魔力の光が、彼の研ぎ澄まされた闘志を、物語っていた。
彼は、もはや、悲劇の生贄ではない。
自らの運命を、自らの手で、切り拓くための、一人の、戦士だった。
ヴァレリウス老は、師となり、友となり、そして、時には、祖父のように、私たちを導いてくれた。
彼が、書庫の奥から、引っ張り出してくる、禁断の魔導書や、古代の遺物の数々がなければ、私たちの計画は、一日で、頓挫していただろう。
そして、私は――
私は、この術式の、心臓部。
“鍵”である、私自身の魂を、制御する、訓練に、明け暮れた。
それは、プレイヤーとして、ただ、画面の外から、世界を眺めていた頃とは、全く違う、苦しい、戦いだった。
†
ある夜、訓練が、終わった後のこと。
私は、疲労困憊で、床にへたり込んでいた。
何度やっても、うまくいかない。日記に書かれた、魂の共振の、ほんの、入り口にさえ、立てていない。
(……本当に、わたくしに、できるのかしら)
弱音が、心の隙間から、顔を出す。
その、瞬間だった。
すっ、と目の前に、水筒が、差し出された。
見上げると、そこには、汗だくのままの、レオンハルト様が、立っていた。
「……ありがとう、ございます」
私が、それを受け取って、飲むと、乾いた喉に、冷たい水が、染み渡った。
「……無茶は、するな」
彼は、私の隣に、どさりと、腰を下ろした。
いつの間にか、私たちは、こんな風に、当たり前のように、言葉を交わすようになっていた。
「あなた様こそ。毎日、毎日、あんなに、身体を、いじめて」
私は、彼の、剣だこで、固くなった手を見つめた。
「……怖い、ですか?」
「……何がだ」
「試合のこと、ですわ。いくら、わたくしの計画が、あるとはいえ……。一歩、間違えれば、本当に……」
命を、落とすかもしれない。
その言葉が、喉の奥に、つかえて、出てこなかった。
彼は、答えなかった。
ただ、静かに、壁にかけられた、作戦図――私たちが、二ヶ月間、必死で描き上げてきた、希望の設計図を、見つめていた。
やがて、彼は、ぽつり、と言った。
「……怖くない、と言えば、嘘になる」
その、正直な言葉に、私は、胸を、突かれた。
「だが」と、彼は、続けた。
「それ以上に、楽しみでもあるのだ」
「……え?」
彼は、初めて、穏やかな、心からの、笑顔を、私に向けた。
「私が、この呪いに、縛られてから、初めてだ。自分の意志で、自分の未来のために、戦えるのが。……そして、その隣に、あなた様のような、無茶苦茶で、最高に、頼もしい、共犯者が、いてくれるのが」
その笑顔が、あまりにも、眩しくて。
私は、何も、言えなくなった。
ただ、顔が、熱くなるのを、必死で、隠した。
†
そして、運命の日が、やってきた。
四大学園対抗魔術試合の、最終日。
空には、百年に一度の、大流星群が、降り注ぐ、その夜。
私たちは、あの、秘密の実験室に、三人で、立っていた。
壁に貼られた、作戦図。
床に置かれた、古代の遺物。
そして、私たちの、心。
全ての、準備は、整った。
「……いよいよじゃな」
ヴァレリリウス老が、感慨深げに、言った。
「儂の役目は、ここまで。あとは、若人の、あんたらに、全てを、託す」
「ええ。お任せください、師匠」
私は、にこりと、笑った。
レオンハルト様が、試合用の、真新しい、近衛騎士団の制服に、袖を通す。
その背中は、二ヶ月前とは、比べ物にならないほど、大きく、そして、頼もしかった。
「……アイナ様」
彼は、私の方へと、向き直った。
そして、騎士の、最も、丁寧な、礼をとった。
「必ず、生きて、戻ります」
「当たり前ですわ」
私は、彼の胸元の、わずかに、曲がっていた、徽章を、指先で、直してあげた。
それは、いつかの、夜会での、誓いを、なぞるような、仕草。
「あなた様には、まだ、わたくしと、踊っていただく、という、大切な、お役目が、残っておりますもの」
彼は、一瞬だけ、目を見開くと、すぐに、その顔を、綻ばせた。
「……御意に」
私たちは、見つめ合った。
もう、そこには、不安も、恐怖も、なかった。
ただ、絶対的な、信頼だけが、私たち二人を、繋いでいた。
さあ、行こう。
私たちの、運命を、そして、この世界の、理不尽な筋書き(シナリオ)を、ひっくり返しに。
最高の、ハッピーエンドを、その手で、掴み取るために。




