第27話 狂人の筋書き(シナリオ)を、覆す者たち
私の、あまりにも突飛な宣言に、書庫長の執務室は、一瞬、水を打ったように静まり返った。
レオンハルト様は、悲壮な覚悟を霧散させられたかのように、呆然と私を見ている。
ヴァレリウス老は、眉間に、深い、深い皺を刻み、何かをブツブツと呟いていた。
やがて、沈黙を破ったのは、レオンハルト様だった。
その声には、戸惑いと、そして、ほんのわずかな、縋るような響きがあった。
「……アイナ様。ですが、他に、道など……。あの日記には、あれが唯一の解だと……」
「ええ、そう書いてありましたわね。“あの狂人”は、そう信じていたのでしょう」
私は、黒い革の日記帳を、軽蔑するように、指先でトン、と弾いた。
「でも、わたくしは、信じない。だって、考えてもみて? その“解”とやらは、あまりにも、物語として、美しすぎるじゃありませんこと?」
「……美しい?」
「ええ」
私は、芝居がかった仕草で、語り始めた。
「“国を守るため、己の魂を犠牲にする、気高き騎士”、“その悲劇を成就させ、涙ながらに、彼を解放する、運命の少女”……。まるで、吟遊詩人が、酒場で歌う、英雄譚のようですわ。陳腐で、ありきたりで、そして、何よりも、面白くない!」
私の、あまりにも不遜な物言いに、ヴァレリウス老が、カッと目を見開いた。
「お嬢様! それは、我が祖先、アリスティアを、侮辱するおつもりか!」
「侮辱? とんでもない」
私は、老学者へと向き直った。
「むしろ、最高の敬意を払っていますわ。彼は、天才的な魔術師であると同時に、一流の“物語作家”だった。彼は、自分の創り出した呪いに、完璧な“悲劇”という、筋書き(エンディング)を用意した。……ですが、残念でしたわね。この物語に、わたくしという、招かれざる“読者”が、介入してしまったのですから」
私は、二人の顔を、交互に見た。
ゲーマーの、スイッチが入る。
ここからは、私の独壇場だ。
「いいですか、お二人とも。まず、敵の思考を、トレースする。アリスティアが用意した筋書き(シナリオ)は、『流星群の夜、試合の舞台で、英雄の剣が、運命の盾(レオンハルト様)を、貫く寸前』に、『鍵』が、その魂の力で、呪いを“破壊”する……というもの」
「……うむ」
「……ああ」
「でも、これって、おかしいと思わない? なぜ、わざわざ、そんな派手な舞台と、回りくどい手順が必要なのかしら。呪いを解くだけなら、もっと、静かな場所で、厳かに行えばいいはず」
私は、指を一本立てた。
「答えは、一つ。その“舞台装置”そのものに、意味があるからですわ」
私は、日記帳の、あるページを、二人に突きつけた。
そこには、儀礼剣“英雄の剣”の、精緻な設計図が描かれていた。
「この剣……!」と、レオンハルト様が声を上げる。
「ただの儀礼剣ではない。内部に、極めて、高密度の魔力回路が……」
「その通り!」
私は、にやりと笑った。
「そして、こちらのページには、アークライト家に代々伝わる、近衛騎士団副団長の鎧の設計図。こちらも、ただの鎧ではない。持ち主の生命力を、魔力に変換し、貯蔵するための、一種の“器”としての機能が、隠されている」
ヴァレリウス老の、目の色が変わった。
「……まさか。まさか、お嬢様。あんたは、気づいたというのか。我が祖先の、本当の、狙いに……」
「ええ、もちろん」
私は、最後の謎を、解き明かした。
「アリスティアは、呪いを“破壊”するつもりなど、なかったのです。そんなことをすれば、膨大な魔力が暴走し、レオンハルト様の魂ごと、消し飛ばしてしまう。彼がやろうとしたのは、呪いの“移し替え(トランスファー)”ですわ」
「……移し替え?」
「ええ。レオンハルト様という“器”から、溢れ出そうになる、呪いの奔流を、その魂が、最も弱った瞬間を狙って、より強固な“器”である、“英雄の剣”へと、移し替える。……それこそが、この儀式の、本当の正体!」
「なんと……!」
二人が、絶句する。
「そして、その“移し替え”の、最終的なスイッチを入れるのが、“鍵”である、わたくしの役目。……そういうことですわね?」
私は、日記帳に、語りかけた。
まるで、千年の時を超えて、その作者と、対話するように。
「……だとしたら」
レオンハ-ルト様が、絞り出すように、言った。
「やはり、私が、瀕死にならなければ、儀式は、始まらない、ということでは……」
「いいえ」
私は、その言葉を、強い光で、打ち消した。
「それは、アリスティアが、用意した、たった一つの、解法。でも、わたくしは、“観測者”。筋書き(ルール)の外側から、来た、人間」
私は、二人に、宣言した。
私たちの、新しい、作戦を。
「“器”から“器”へ、中身を移すのに、元の“器”を、壊す必要なんて、どこにも、ありませんわよね?」
私の瞳が、悪戯っぽく、輝く。
「もっと、スマートな、やり方があるはずよ。例えば……二つの“器”を、直接、繋いでしまえば、いい」
「……繋ぐ?」
「ええ。試合の、クライマックス。あなた様と、英雄の剣が、最も、魔力的に、高まった、その瞬間に。わたくしが、第三の力として、介入する。そして、あなた様の鎧と、相手の剣の、魔力回路を、強制的に、直結させるのです。そうすれば、呪いは、水が高い所から、低い所へ流れるように、より安定した“器”である、剣の方へと、自然に、流れ込んでいくはず!」
それは、あまりにも、大胆で、あまりにも、常識外れな、ハッキング。
悲劇の儀式を、平和的な、魔力譲渡の儀式へと、書き換えるという、神をも畏れぬ、計画。
シン、と静まり返った執務室で、やがて、ヴァレリウス老が、くつくつと、肩を震わせて、笑い出した。
そして、それは、やがて、腹を抱えての、大爆笑へと、変わった。
「……か、ははは! 面白い! 面白いぞ、お嬢様! 千年間、誰も、思いつきもしなかった、なんという、なんという、悪魔的な奇策じゃ!」
老人は、涙を拭いながら、言った。
「……気に入った! やってみようではないか、その、狂人の筋書き(シナリオ)を、さらに上回る、あんたの、最高の、筋書き(ゲーム)とやらを!」
レオンハルト様も、呆然とした顔で、私を見ていた。
やがて、その唇に、あの、ローズガーデンで、一度だけ見せた、穏やかな、微笑みが、浮かんだ。
「……敵いませぬな。あなた様には」
私たちの、反撃の、本当の、本当の、始まり。
それは、絶望の淵で、一人の少女が、放った、とんでもない「我儘」から、始まったのだ。




