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第2話 その悪意、バグにて善意にコンパイルさる

「アイナ様、先ほどは本当にお見事でしたわ!」

「ええ!まるで悲劇のヒロインを救う騎士のようでしたわ!」


 放課後のお茶会(という名の作戦会議室)で、取り巻きであるリナとリラが甲高い声で今日の「功績」を称えてくる。揃いの金髪を揺らし、うっとりと私を見つめる二人。うん、完璧な悪役令嬢の取り巻きムーブだ。


 内心で舌打ちしつつも、私は優雅に微笑んでみせる。

「当然ですわ。わたくしの前でか弱い平民が虐げられるなど、見過ごせませんもの」

(違う! 私が虐げる側だって言ってるのよ! なんで庇う側に回ってるのよ!)


 チャートは既に大幅な修正を余儀なくされている。廊下の一件で、私の評価は「冷酷な悪役令嬢候補」から「ちょっとキツいけど心優しいツンデレ聖女」というとんでもない方向へシフトしてしまった。


「このままでは断罪どころか、叙勲ルートに入ってしまう……!」


 冷や汗をかきながら、私は次の手を考える。もっと直接的で、誰にも誤解のしようがない、純度100%の悪意。

 そう、あれしかない。古典的だが効果は絶大。悪役令嬢の必修科目――『カフェテリアでのティーカップ襲撃事件』だ!


 窓の外に視線をやると、ちょうど中庭のカフェテリアにターゲットたちの姿が見えた。ヒロイン・エリス、婚約者のアルバート王子、そして――レオンハルト様。


「行きますわよ」

「「はい、アイナ様!」」


 私は扇子で口元を隠し、悪女の笑みを浮かべた。

(待ってなさい、エリス! あなたのその純白のブラウスを、アールグレイの染みで汚してさしあげますわ!)


 †


 カフェテリアに私たちが足を踏み入れると、さざめきがピタリと止んだ。

 よしよし、いい感じに畏怖されている。悪役令嬢たるもの、こうでなくては。


 私はリナとリラを引き連れ、ターゲットのテーブルへ直行した。

 優雅な足取り、完璧な角度で傾けた首、見下すような翡翠の瞳。今の私は、ゲームのアイナそのものだ。


「ごきげんよう、アルバート殿下。皆様もお揃いで」


 私が声をかけると、アルバート王子が芝居がかった仕草で立ち上がった。


「おお、アイナ! 君が来ると、まるで太陽が二つになったかのように、この場所が輝きだす。君のその燃えるような髪は、僕への情熱の現れだね?」


(出たわね、王子のバグ! 本来の彼は冷徹キャラなのに、時々こんなポエミーなロマンチストになるのよ!)


 内心でツッコミを入れつつ、私は淑女のカーテシーで応じる。「もったいないお言葉ですわ」と。

 そして、わざとらしくエリスに視線を移した。


「あら、このような席に平民の方がご一緒とは。殿下の慈悲深さには、いつも感服させられますわ」


「あ……わ、わたくしは、その……」


 怯えるエリス。完璧な流れだ。

 隣のレオンハルト様が、わずかに眉をひそめてこちらを見ている。いいぞ、もっと軽蔑してくれて構わない!


「アイナ様、エリスさんは殿下がお呼びになったのです」と、か細く反論するエリスの隣の友人。上等だ。


 私はテーブルに置かれたティーポットに手を伸ばした。

「喉が渇きましたわ。少し、お紅茶を頂いても?」


 アルバート王子がうっとりと頷く。

「もちろんだとも。君が注いでくれるのなら、それはただの紅茶ではなく、幸福の霊薬となるだろう」


(知ってる? その幸福の霊薬が、これからヒロインの頭上に降り注ぐのよ)


 私はポットを持ち上げ、わざとらしくエリスの隣へ回り込む。そして、足をもたつかせた。古典的だが、これが一番いい。


「あら、ごめんなさい。手が――」


 滑った、と言う前に、それは起こった。


 私の手から、本当にティーポットがすっぽ抜けたのだ。

 違う、違う! シミュレーションでは、中身をこぼすだけで、ポットは落とさないはず!


 宙を舞う白磁のポット。放物線を描きながら、エリスの頭上へ――!


「まずい!」


 RTA走者の反射神経が、思考より先に身体を動かした。

 指先一つで、極小の風魔法を発動。ポットの落下速度を殺し、軌道を逸らす!


 ポットはふわりと宙で静止し、傾いた注ぎ口から紅茶が滝のように流れ出した。

「あああ、紅茶が!」


 これもまずい! レオン様の制服にかかってしまう!

 咄嗟に、もう片方の手で水の魔法陣を展開。流れ落ちる紅茶の全てを、一滴残らず空中で受け止めてみせた。


 結果、カフェテリアの中庭に、世にも奇妙な光景が出現した。

 宙に浮くポットから、キラキラと輝く紅茶が流れ落ち、それが空中に浮かぶ水の球体へと吸い込まれていく。午後の光が紅茶の雫と水の球体を乱反射させ、まるでシャンデリアのように輝いていた。


 シーン……と、静まり返るカフェテリア。

 やがて、誰かの感嘆の声が響いた。


「す、すごい……なんて繊細で、美しい魔法なんだ……!」


 リナとリラが、胸に手を当てて恍惚の表情を浮かべている。

「アイナ様、まるで水と戯れる妖精のようでしたわ!」

「ええ! 粗相すらも芸術に変えてしまうなんて!」


 違う。


 エリスが目を輝かせて、空中の紅茶アートを見上げている。

「きれい……アイナ様の魔法、まるで宝石みたいです……」


 違う。


 そして、アルバート王子がバッと立ち上がり、私に手を差し伸べた。

 彼は、見たこともないほど真剣な、そして情熱的な瞳で私を見つめていた。


「アイナ……! 私は今、君の魂の輝きを見た! なんという情熱! なんという繊細さ! 粗暴にポットを投げ捨てるようで、その実、一滴の雫すら誰にも触れさせない完璧なコントロール……! それはまるで、激しい愛情と、それを隠す気高いプライドのようだ! 君の魔法は、君の心そのものだったのだね!」


 ちがーーーーーうっ!!


 私の脳内に、再びあの無慈悲なシステムボイスが響き渡った。

 《バグ補正を確認。悪意あるイベント『器物損壊』及び『傷害』を、芸術イベント『魔法披露』に強制変換……完了。王子アルバEートの好感度が10ポイント上昇しました》


「好感度が上がってどうするのよこのクソゲーがぁぁぁ!!!」


 私の心の絶叫は、もちろん誰にも届かない。

 ポットを片手に、紅茶を宙に浮かべたまま、完璧な淑女の笑みで固まる私を、カフェテリア中の賞賛の拍手が包んでいた。


 断罪までの道のりは、あまりにも、あまりにも遠い。

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