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第19話 盤上を覆す、愚者の奇策

 夜会での大騒動から一夜が明けた。

 学園は、まるで何事もなかったかのように、いつも通りの朝を迎えている。だが、その平穏な空気の下で、水面下の流れが大きく変わってしまったことを、私と、そして隣に立つ騎士だけが知っていた。


「……次の、大規模なイベントは」

 私は、自室の机の上で、前世の記憶を頼りに書き出した「攻略ノート」を広げた。それはもはや、RTAチャートではない。この世界の理不尽な運命バグを記した、予言書であり、戦術教本だ。

「二ヶ月後の、四大学園対抗魔術試合。そこで、エリスさんが選手の一人として選ばれるはず」


「二ヶ月……」

 ソファに座り、黙って私の言葉を聞いていたレオンハルト様が、低い声で呟いた。

「長すぎる。いつ、またあの現象が起こるとも限らない。それまでに、手を打たねば」


 彼の言葉に、私は頷いた。

「ええ。だから、これからは受け身ではなく、こちらから筋書き(スクリプト)に干渉していきます。バグの発生条件が『ヒロインを中心とした、大規模イベント』であるなら、こちらで、その“イベント”を擬似的に作り出せないか、と」


「……人為的に、呪いの発動を?」

 彼の声に、緊張が走る。

「危険すぎる」


「ええ、危険ですわ。でも、敵の正体を知るには、まず、その行動パターンを完全に把握する必要がある。そのために、あなた様のご協力が……」


 コン、コン。


 私たちの作戦会議を遮ったのは、固く、そして無機質なノックの音だった。

 侍女のそれではない。

 レオンハルト様が、弾かれたように立ち上がり、私の前に立ちはだかる。その手は、既に、腰の剣の柄にかかっていた。

 昨日までの「監視役」の動きではない。私を「守るべき対象」と認識した、騎士の動きだ。


「――入りなさい」

 私が静かに告げると、扉が開き、昨夜と同じ、鋼の貌がそこに現れた。

 近衛騎士団長。そして、その後ろには、数人の屈強な騎士たちと、気まずそうな顔をしたアルバート王子が控えている。


「朝早くから、失礼いたします、アイナ嬢」

 団長の、感情のない声が部屋に響く。

「昨夜の件を受け、王宮で緊急の会議が開かれました。その、決定事項をお伝えに」


 彼は、一枚の羊皮紙を広げた。

「まず、サー・レオンハルト・アークライト。貴官の謹慎処分は、本日をもって解除。ただし、王命により、北方国境警備隊への転属を命ずる。即刻、任地へ向かうように」


「――ッ!」

 レオンハルト様の息を呑む音が、背後で聞こえた。

 北方への転属。それは、事実上の「左遷」であり、「追放」だ。


 団長は、次に、冷たい視線を私に向けた。

「そして、アイナ・フォン・ルーメル嬢。あなた様は、その身に宿る“脅威”が完全に解明されるまで、王家の所有する、湖畔の離宮にて、療養していただきます。もちろん、最高の警備をつけさせていただきますので、ご安心を」


 私は、血の気が引くのを感じた。

 離宮での療養。それは、「軟禁」の言い換えに過ぎない。


(……やられた)


 私たちの嘘を、彼らは信じなかった。

 信じない上で、「呪い」を口実にして、私たち二人を、合法的に引き離すという、最悪の一手を打ってきたのだ。

 これでは、もう、何もできない。


「そ、そういうことだ、アイナ!」

 アルバート王子が、気まずそうに、しかし必死に言葉を継ぐ。

「君の、身の安全を考えてのことなのだ! しばらく、ゆっくりと休むといい!」


 騎士たちが、ゆっくりと、レオンハルト様へと歩み寄る。

 抵抗すれば、公務執行妨害、そして反逆罪だ。

 万事、休す。

 私たちの、たった一夜の共犯関係は、こうして、権力システムの前に、あっけなく潰え去るのか。


 その、絶望が、私の心を黒く塗りつぶそうとした、瞬間。

 ゲーマーとしての、私の魂が、最後の奇策バグプレイを閃いた。


「――お待ちになって!」


 私の、張り詰めた声が、部屋の全員の動きを止めた。


 私は、ゆっくりと、レオンハルト様の隣に並び立った。

 そして、団長を、王子を、まっすぐに見据えて、言った。


「そのご決定、一つだけ、致命的な見落としがございますわ」

「……何?」


「あなた様方は、あの呪いを、ただ、レオンハルト様に“憑いている”ものだと、お考えでしょう?」

 私は、わざとらしく、哀れむような笑みを浮かべた。

「違いますわ。あの呪いは、もっと、複雑で、厄介なもの。あれは……」


 私は、言葉を探すように、一度、目を伏せた。

 そして、顔を上げ、恐るべき嘘を、さも真実であるかのように、告げた。


「わたくしと、レオンハルト様。この二人が揃うことで、初めて、安定する……言わば、“対の呪い”なのですわ」

「……対の、呪いだと?」


 団長の目が、鋭く細められる。

「ええ。わたくしが彼の、彼がわたくしの、お互いの呪いを抑制し合う、いわば、枷であり、鍵。昨夜、彼が暴走しかけたのは、わたくしが、一瞬、彼から離れてしまったから。そして、わたくしが彼を鎮められたのは、わたくしが、彼の“対”だから」


 荒唐無稽。支離滅裂。

 だが、昨夜の異常事態を目撃した彼らにとって、完全には否定できない、奇妙な説得力を持つはずだ。


「馬鹿なことを!」と、団長が吐き捨てる。

「そんな与太話、信じられるか!」


「では、お試しになりますか?」


 私は、笑った。

 そして、隣に立つ、私の騎士に、小さな声で、しかし、はっきりと命じた。


「――レオンハルト様」

「……御意」


「今、ここで、あの“力”の一端を、解放なさい。わたくしという枷が外れたら、あなたがどうなるか……皆様に、お見せするのです」


 それは、あまりにも危険な、賭けだった。

 自らの身に宿るバグを、脅迫の道具として、解き放てという、狂気の命令。

 彼は、一瞬だけ、私を見た。その瞳に、一瞬の躊躇と、そして、全てを理解したという、深い信頼の色が浮かぶ。


 彼は、ゆっくりと、目を閉じた。


 次の瞬間。

 部屋の空気が、死んだ。

 彼の全身から、昨夜とは比べ物にならないほど、濃密で、冷たい魔力が、奔流のように溢れ出した。燭台の炎が、青白く揺らめき、消えかける。

 彼が開いた瞳には、もう、理性の光はなかった。

 ただ、獲物を求める、飢えた獣の光だけが、爛々と輝いていた。


 騎士たちが、総毛立ち、剣の柄に手をかける。

 団長と王子が、その凄まじいプレッシャーに、たじろいだ。


 私は、その“獣”の隣で、平然と立っていた。

 そして、絶望に染まる彼らに、最後の宣告を下す。


「さあ、どうぞ、お好きなようになさいませ。わたくしたちを引き離し、この国に、解き放たれた“神獣”を一匹、野に放ちますか?」

「それとも、このまま、わたくしという“檻”の中に、留めておきますか?」


 選択肢は、二つ。

 どちらを選んでも、待っているのは、彼らの敗北だ。


 私たちの反逆は、今、静かに、そして、確かに、始まったのだ。

 この、世界の理不尽な筋書き(ルール)そのものを、人質に取って。

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