第13話 共犯者たちの、秘密の外出
私の部屋から、あの呪われた真紅のドレスが運び出されていった。
表向きは「夜会までに、より完璧な着こなしができるよう、専門家による調整を施すため」ということになっている。もちろん、真っ赤な嘘だ。ドレスは今頃、王宮の厳重な封印庫の奥深くで、二度と日の目を見ることなく眠りについているだろう。
問題は、夜会で着るドレスが、物理的に存在しないということ。
そして、その夜会まで、あと三日しかないということだ。
「……サー・ナイト」
部屋の入り口に立つ、絶対的な監視者へと、私は向き直った。
もう、彼に駆け引きはしない。回りくどい挑発も、子供じみたゲームも終わりだ。
「あなた様に、お願いがあります」
「……何でしょう、アイナ嬢」
私は、まっすぐに彼のアクアマリンの瞳を見つめた。
「わたくしに、新しいドレスを、ご用意願えませんでしょうか」
「……それは、ルーメル家にご子息を差し向ければ、すぐに」
「いえ、そうではございません」
私は、彼の言葉を遮った。
「家の者が用意するドレスは、きっと、また“ああいう”物でしょう。ルーメル家の悪役令嬢に、ふさわしいドレスが。わたくしが着たいのは、そんな呪われた筋書き(スクリプト)ではありません」
私は、一歩、彼に近づく。
「わたくしが着たいのは、わたくし自身の物語を着るための、一着です。……そのために、あなたの力をお借りしたい」
それは、命令でも、挑発でもない。
ただの、偽りのない「お願い」だった。
彼は、長い沈黙の後、静かに口を開いた。
「……具体的には、どうしろと?」
「王都の市街に、出向きます。わたくしの知る、腕利きの仕立て屋がおりますの。そこへ、わたくしを、お連れください。……内密に」
彼の眉が、わずかにひそめられた。
「それは、勅命に背く行為です。私の任務は、学園内における、あなた様の監視。無断で市街へお連れするなど、許されませぬ」
「では、お尋ねしますが」
私は、怯まなかった。
「あなた様の任務は、陛下の命令に従うことですか? それとも、わたくしを脅威から守ることですか?」
「……それは」
「あのドレスが脅威であることは、あなた様が一番よくご存じのはず。このままでは、わたくしは夜会で着るドレスがなく、結局は、家の者が用意した第二、第三の呪い(ドレス)を身にまとうことになりますわ。それが、あなたの望むこと?」
私は、彼の魂に直接問いかける。
ローズガーデンで、彼が私に示してくれた、その魂に。
レオンハルト様は、固く、唇を結んだ。
その瞳の中で、職務への忠誠と、騎士としての誓いが、激しくせめぎ合っているのが分かった。
やがて、彼は、まるで何かを振り払うかのように、一度だけ、目を伏せた。
そして、再び顔を上げた時には、その瞳に、確かな覚悟の色が宿っていた。
「……承知、いたしました。準備を」
†
その日の午後。
私とレオンハ-ルト様は、揃って「体調不良」を訴え、学園を抜け出した。
もちろん、二人とも仮病だ。
私たちは、お互いの顔を見合わせ、どちらからともなく、ふっと笑った。生まれて初めての、共犯の笑みだった。
私たちは、揃いの旅装用のフード付きマントを羽織り、人目を忍んで王都の市街へと繰り出した。
レオンハルト様は、いつもの仰々しい近衛騎士団の鎧ではなく、動きやすい革鎧を身につけている。その姿は、騎士というより、腕利きの傭兵か冒険者のようだった。
「すごい……!」
学園の外に出るのは、転生してから初めてだった。
活気のある大通り。行き交う人々の喧騒。香ばしいパンの焼ける匂い。その全てが、新鮮で、私の心を躍らせた。
「あまり、はしゃがぬように」
隣を歩くレオンハルト様が、低い声で私を諌める。けれど、その声にはいつものような厳しさはなかった。
私たちが向かったのは、大通りから一本外れた、静かな路地裏にある、小さな仕立て屋。
店の名は、『星屑の針箱』。
ゲーム知識によれば、ここの女主人は、引退した元宮廷衣装係で、国一番の腕を持つと言われている。
カラン、とドアベルを鳴らして店に入ると、奥から、白髪の小柄な老婆が顔を出した。
老婆――マダム・エラーラは、私たちの姿を一瞥するなり、その皺くちゃの顔に、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「あらあら。これはこれは。巣を抜け出してきた小鳥さんと、その番犬さんかしらねぇ」
「……お久しぶりですわ、マダム・エラーラ」
「いらっしゃい、アイナお嬢様。相変わらず、面倒事に愛される顔をしているねぇ。それで? 今日は、どんな無理難題を、この老婆に押し付けに来たんだい?」
私は、単刀直入に言った。
「星降りの夜会で着るドレスを。二日で作っていただきたいの」
「……ほぅ?」
マダム・エラーラは、私の全身を舐めるように見ると、私の背後に立つレオンハルト様に視線を移した。
「あんたを雁字搦めにする、血塗られた赤じゃない。……もっと、別の色が欲しい、と。そういう顔だねぇ」
私は、驚いて老婆の顔を見た。
「……ええ。その通りよ」
私は、マダムが広げた、たくさんの生地見本の中から、一枚の布を選び取った。
それは、星屑を散りばめたような、どこまでも深い、夜空の色をしていた。
「――これにするわ」
私は、その生地を手に、レオンハルト様を振り返った。
似合うだろうか、と。そう、問いかけるように。
彼は、何も言わなかった。
ただ、そのアクアマリンの瞳を、ほんの少しだけ、細めた。
それが、肯定の色に見えたのは、きっと、私の願望が生んだ、都合の良い幻だ。
帰り道。夕焼けに染まる王都を、私たちは並んで歩いた。
どちらともなく、足取りは、来た時よりもずっと、ゆっくりになっていた。
「ありがとう、サー・レオンハルト。今日のこと」
「……職務を、逸脱しただけです」
「いいえ」
私は、立ち止まり、彼を見上げた。
「わたくしは、これを“共犯”と呼びたい」
彼は、答えなかった。
ただ、その唇の端が、ほんの一瞬だけ、和らいだように見えた。
気のせいかもしれない。
でも、それで十分だった。
夜会まで、あと二日。
私たちの、静かで、けれど確かな反撃の準備は、整った。




