第11話 盤外のゲーム、最初の一手
私の内に灯った、ささやかで、けれど燃えるような決意。
それは、RTA走者としての私を殺し、ただの恋する少女を覚醒させるには、十分すぎるほどの熱量を持っていた。
もう、迷わない。
私の目的は、断罪イベントの達成じゃない。星降りの夜会で、レオンハルト様の手を取り、一曲踊ること。
そのために、私は私の持てる全てを賭ける。
(けれど、どうやって……?)
私の隣には、アルバート王子という巨大すぎる障害物が存在する。
婚約者である私が、彼以外の男性と、それも夜会でダンスを踊るなど、常識的に考えて不可能だ。
真正面から挑んでも、勝ち目はない。
(ならば……)
私は、かつて自分がRTA走者だったことを思い出す。
正攻法がダメなら、裏技を使うまで。
盤上のルールで勝てないなら、盤外のゲームに引きずり込むまでだ。
†
翌日の午後。私は意を決して、アルバート王子に謁見を申し入れた。
場所は、彼が学園内で使用している、豪奢な執務室。
もちろん、私の背後には、今日も完璧な影としてレオンハルト様が控えている。
「やあ、アイナ! 君の方から会いに来てくれるなんて、今日は空から星が降るかもしれないね!」
上機嫌な王子に、私は痛ましげな表情を作り、恭しく一礼した。
「殿下……本日は、大変申し上げにくいご報告がございまして、参上いたしました」
「ほう? いったい何だい?」
私は、ちらりと自分の足元に視線を落とす。そして、ほんのわずかに、足を引きずる仕草をしてみせた。
「実は……先日のダンスの練習で、少し無理をしてしまったようでして。足首を、捻ってしまいましたの」
「な、なんだと!?」
アルバート王子が、悲鳴に近い声を上げた。
「そ、それは本当かい!? すぐに侍医を! いや、国で一番の名医をここに呼べ!」
「お心遣い、痛み入ります、殿下」
私は慌てる王子を、しとやかな仕草で制した。
「お医者様には、すでに診ていただきましたわ。幸い、軽い捻挫とのこと。歩く分には、問題ございません。ただ……」
私は、そこで言葉を切り、悲しげに瞳を伏せた。
「ただ、夜会で、殿下と激しいワルツを踊ることは、断じてならぬ、と……。特に、オープニングを飾る一曲目は、とても……」
そう。これが、私の考えた最初の一手。
『偽装捻挫』作戦だ。
アルバート王子は、私の言葉に天を仰いだ。
「おお、なんという悲劇! 私の太陽が、翼を痛めた小鳥になってしまうとは! この世のすべての悲しみが、今、この部屋に集約されたようだ!」
(よし、食いついたわね、このバグ王子!)
しかし、彼の次の言葉は、私の想定を遥かに超えていた。
「ならば、アイナ! 私も踊らない! 君が踊れないのなら、私も踊る意味などない! 夜会の間、ずっと君の手を取り、玉座で語り合おうではないか! それもまた、新しい愛の形だ!」
「――なんですって?」
思わず、素の声が出た。
(だめだめだめ! あなたが私の隣にいたら、レオン様と踊る隙がミリ秒もないじゃない!)
私は、即座に思考を切り替える。プランB、発動。
「殿下、そのお気持ち、涙が出るほど嬉しいですわ。ですが、それはなりません」
「なぜだ、アイナ!」
「考えてもごらんなさいませ。この国の王太子殿下が、建国記念の夜会で、一度も踊らない。諸外国の賓客に、我が国の不和を憶測させるだけですわ。それは、わたくしの望むところではございません」
私は、必死に説得する。
「ですから、殿下。わたくしのことは、お気になさらず。最初のダンスは、どなたか、他の方と……」
「他の者と? この私が、君以外の女性と踊るというのか! それは太陽が西から昇るのと同じくらい、ありえないことだ!」
(この石頭……!)
ならば、プランCだ。
私は、少し寂しげな微笑みを浮かべ、最後のカードを切った。
「例えば……エリスさん、などはいかがでしょう」
「エリス嬢、だと?」
「ええ。彼女は、殿下がその才能をお認めになった、特別な方。殿下が彼女と踊ることで、この国の貴族と平民の融和を、内外に示すことができるはずですわ。それこそ、未来の王妃が、王に望む、最も気高いお務めではございませんこと?」
未来の王妃、という言葉が、彼の虚栄心をくすぐったらしい。
アルバ.ート王子は、うっとりとした表情で、私の言葉を反芻した。
「……未来の王妃が、望む、務め……。なんと、なんと素晴らしい響きだろう! アイナ、君は、怪我をしてなお、国のことを考えていたのだな! 分かった! 君のその気高い心遣いに、僕も応えよう! 最初のダンスは、エリス嬢と踊ることにするよ!」
(――勝った)
私は、内心で勝利のガッツポーズをした。
最大の障害を、排除完了。あとは、夜会当日、どうやってレオンハルト様をダンスに誘うか……。
私が安堵の息をつき、部屋を辞去しようとした、その時だった。
ふと、部屋の隅に立つ、レオンハ-ルト様と、目が合った。
彼は、何も言わない。
ただ、そのアクアマリンの瞳で、まっすぐに、私を見つめていた。
その瞳には、いつものような無感情でも、ローズガーデンで見せたような温かみでもない、何か別の色が浮かんでいた。
それは、まるで、全てを――私の嘘も、策略も、その奥にある本当の目的すらも、見透かしているかのような、深く、静かな色だった。
ドクン、と心臓が跳ねる。
(……気づいて、いる?)
彼の前で、完璧な嘘を演じきったはずなのに、なぜか、丸裸にされたような感覚に襲われた。
私は、慌てて彼から視線を逸らし、足早に部屋を後にする。
偽装した足首が、彼の沈黙の視線を受けて、本当にズキリと痛んだ気がした。
盤外のゲームは、始まったばかり。
そして私は、どうやら、とんでもなく手強いプレイヤーを、敵に回してしまったらしい。




