でもしか君 ちょっと反省
「でも、それって現実的じゃないですよね」
会議室に沈黙が落ちた。重く、湿った空気が充満する。パワーポイントの画面には、後輩の吉田が提案した新規プロジェクト案が映し出されている。若さと情熱に満ちたそのプレゼンに、上司の課長も頷いていた。けれど、俺のその一言で、すべてが止まった。
「……そういう見方もありますね」
吉田が絞り出した声は、どこかしぼんでいた。
その瞬間、自分の中に小さな達成感が芽生える。
“ちゃんとリスクに気づけた俺”。
“冷静に現実を見てる俺”。
でも――
気づけば、いつもこの言葉で終わっていた。
「でも」「だけど」「しかし」。
気に入らない提案には「でも」。
少し不安を感じる話には「だけど」。
意見を出す場では「しかし」。
それを口にすることで、何かを守っていた気がした。失敗しない自分。批判されない自分。
けれど、それと引き換えに、何かを失っていたのかもしれない。
大学のゼミでもそうだった。
教授の問いかけに対して、真っ先に手を挙げては言った。
「でも、それは理想論ですよね」
誰かが語った夢を、一歩引いた視点で切って捨てる。それが、知的だと思っていた。
社会人になっても、そのクセは抜けなかった。
新しい挑戦を持ちかけられても、「だけど、前例がないですね」。
何かを任されそうになると、「しかし、リスクが大きいです」。
そうやって、何も引き受けず、何も背負わずに生きてきた。
評価は悪くない。
“慎重なやつ”“ミスをしないやつ”。
でも、いつも横目で見ていた。
チャンスを掴んで昇進していく同期たち。自信満々で提案し、時には失敗しても、それでも笑って次に進む後輩たち。
俺は――一歩も進んでいなかった。
「あいつさ、何か言うたび“でも”から入るよな」
あるとき、休憩室のドアの向こうで聞こえた声。
「否定しかしないのに、自分じゃ何も動かないんだもん」
笑い声。心臓が一拍、止まったように感じた。
声の主は、吉田だった。今朝の会議の後輩。
続いて女性社員の声が重なる。「一緒に仕事してても、前に進まないんだよね……」
その場を立ち去ったふりをして、俺は一人トイレにこもった。
――前に進まない。
その言葉が、頭にこびりついた。
「でも」「だけど」「しかし」。
それはまるで、ブレーキのような言葉だった。
人のアイデアに、前向きな提案ではなく、否定とストップばかり。
そして、自分では何も生み出していなかった。
“冷静”の皮をかぶった“臆病”。
“慎重”という名の“逃避”。
あの日の俺は、何かを変えようと思った。
思っただけで、変わらなかった。
数年後、俺は部署異動で資料作成とチェックを中心とする裏方の仕事に回された。会議にも顔を出す機会は減り、新人たちの顔と名前もわからない。
ある日、エレベーターで若い社員たちの会話が聞こえた。
「新しい営業チーム、楽しそうだったよな」
「だよな、ああいう場で提案できる人って憧れるわ」
「“でも”とか言わないもんな、あの人たち」
俺は押し黙ったまま、数字だけを追い続けた。
気づけば、誰も俺に質問をしなくなっていた。
意見も求められない。アイデアも出番がない。
「でも」を言いすぎた末路は、“誰からも期待されない男”だった。
だが――
ある日、久々に旧部署に呼ばれて会議に出た。若い社員が緊張しながら新規案を発表していた。隣で誰かが呟いた。
「でも、これ予算的に……」
そのとき、俺はなぜか反射的に口を開いた。
「それはそうかもしれない。でも、どうすれば実現できるか、逆に考えてみたら?」
周囲が驚いた顔でこちらを見る。
自分でも驚いた。
“でも”を打ち消す、“でも”を初めて使った。