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2つの壁

「理解できないこと」「できていないこと」――その二つが、いつだって自分の前に立ちはだかっていた。


 高校時代は数学だった。公式を覚えれば解けるはずの問題が、なぜか途中でわからなくなる。授業中、他の奴らは当たり前のように頷いていたけれど、俺はずっとノートの隅で思考停止していた。


 大学では英語だった。文法はそこそこ覚えていたが、実際の長文になると、主語と動詞の関係すら見失っていた。TOEICの点数は上がらず、友人が留学の話を楽しそうにしているのを、ただ黙って聞いていた。


 社会人になっても、その感覚は変わらなかった。

 配属先では、知らない専門用語が飛び交い、会議は理解の及ばないまま終わることが多かった。必死にメモを取り、帰宅してから検索しても、やっぱり「わかった気がしない」。

 自分だけ、別の言語を話しているようだった。


 「なんで、みんなわかってるんだろうな……」

 帰りの電車で、何度そう呟いたか知れない。


 だけど、時間は不思議なもので。

 少しずつ、何かが見えてくる日がある。ある日ふと、「ああ、そういうことか」と理解できる瞬間が訪れる。

 昨日まで霧の中だったものが、今日、急に輪郭を持ち始める。


 「理解できた」「それが、できた」


 その瞬間は、たしかに嬉しかった。

 長いトンネルを抜けたような感覚。

 それだけで、心の奥に小さな灯がともった気がした。


 できるようになったことが増えれば、自信がつく。

 職場で「任せたい」と言われたとき、少しだけ胸を張れた。

 プレゼンが通り、上司に褒められた帰り道、自販機で買った缶コーヒーの味は、格別だった。


 ――ああ、これが「楽しい」ってことなのかもしれない。


 そう思った。思えた。


 だが、その幸福は、長くは続かない。

 理解できるようになったと思ったら、また別の「わからない」が顔を出す。

 できるようになったと思えば、その上位の「できない」が襲いかかってくる。


 それは、まるで終わらないループのようだった。


 あるとき、仕事で新しいプロジェクトに関わることになった。

 今まで扱ったことのない分野。初めて触れる法律用語。未知の取引先。

 頭をフル回転させても、情報を整理しきれない。

 また、あの「理解できない」「できていない」という感覚が、胸に居座った。


 ――俺の人生って、これの繰り返しなんだろうか?


 ふと、そう思った。


 わからないことに出会い、それを何とか理解して、できるようになって、そしてまた次の「わからない」に出会う。

 それはまるで、山を登っても、雲の向こうにさらに高い山が見えるようなものだった。

 一つ登り切っても、終わりじゃない。次が、ある。永遠に。


 だが――


 それでも、俺は今日もまた、メモをとる。

 参考書を開く。ググる。人に聞く。試す。失敗する。

 そして、いつかまた、ひとつ理解する。その瞬間を、待っている。


 その瞬間の快感が、きっと俺の中で「楽しい」という感情になっているのだろう。

 できなかった自分が、できるようになる。

 理解できなかった自分が、「なるほど」と頷ける。


 そしてそれは、終わらない。

 終わらないからこそ、人生なのかもしれない。


 「理解できないこと」「できていないこと」

 それがあるから、俺は学び、変わり、前に進む。


 そして今日もまた、俺の中に小さな疑問が浮かぶ。

 「これはどうしてなんだろう?」

 その疑問に、また悔しさと期待が入り混じった感情が芽生える。


 ――ああ、たぶん俺の人生って、ずっとこれなんだろうな。


 でも、それでいい。

 いや、それがいいのかもしれない。

 終わりのない未完成が、きっと俺を面白くしてくれる。


 電車の窓に映る自分が、少しだけ笑っていた。

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