狸鍋
爺さまのお家は小さいけれど、中はとても綺麗にしてあった。
部屋の真ん中に囲炉裏があって、火にかけられた鉄鍋がぐつぐつと湯気を立てていた。中のお汁には昆布が入っている。いいお出汁が出ていそうだ。
春とはいえ夜はまだ寒い。有り難く狸汁をご馳走になることにしよう。
「さあさあ、その編笠を脱いでくださいよ」
爺さまにそう言われ、自分でも脱がなきゃなあと思いながらも、なかなか脱ぐことが出来なかった。
見たところ爺さまはお一人暮らしのようだ。女の子だとばれたら何か悪いことをされたりしないだろうか。いや、こんな人のよさそうな爺さまがそんなこと……。いやいや他人を簡単に信用するなと伊織兄様が……。そんなふうに逡巡していると、爺さまが言った。
「うふふ、わかっておりますよ。お武家さま、おなごの方でございましょう?」
「えっ?」
わたしは思わず声を出してしまった。
「おやおや可愛らしいお声をなさっておられる。思ったよりも若い方のようですじゃ」
「な……、なんでわかったの?」
「いくら男の格好をされていても、匂いまでは誤魔化せませんじゃ。花の蜜のような、良い匂いがしております」
ばれてたのか。
じゃ、いいか……。
わたしは編笠を脱ぎ、顔を見せた。
すると爺さまはなんだか凄く嬉しそうなお顔をなさって、わたしの顔をじろじろと眺め回しながら、言った。
「これは……柴犬のように凛々しい女の子侍さまですじゃ」
「犬に似ているとはよく言われます」
「こんな可愛らしい女の子が一人で旅を?」
「はい」
わたしは名乗った。
「わたしは雪風音丸。あやかしを退治するため、全国を旅して回っているのです。まだ、旅に出たばかりですが」
「ゆ……き……か……ぜ……?」
爺さまの顔色が変わった。
「いや……まさか……。あの有名なあやかし退治の一族? 男四人と聞いておりましたが……」
さすが兄様たちだ。こんな鄙びた農村にまで名が知れ渡っている。
わたしは気分がよくなって、ついつい大きなことを言ってしまった。
「わたしが五人目です。雪風一族の秘密兵器とでもいうべき存在……かな」
「う……お……っ」
爺さまが黙り込んでしまった。なんだかわたしのほうを警戒するようにもじもじしている。狸鍋はいつ作りはじめてくれるのだろう。
何も喋ってくれなくなったので、わたしのほうから話を振ることにした。
「ところでおじいちゃま。この先の山に出るという妖怪のことだけど……、それはどんな妖怪なの?」
「か……、鎌鼬ですじゃ」
わたしはぽんと手を叩いた。
「そやつじゃ! わたしはそやつを退治しに来たのじゃ!」
興奮して爺さまの語尾がうつってしまった。
「そやつの名前はなんというのじゃ?」
「白き鎌鼬。名前を『夏次郎』と言いますじゃ」
「夏次郎……」
かわいい名前だなと思った。
「そやつはあの山道を通れば必ず現れるのじゃ?」
「無理に語尾に『じゃ』をつけなくてもよろしいですじゃ」
そう言ってから、爺さまは教えてくれた。
「夏次郎は暑いのが苦手です。冬の間は元気いっぱいで毎日のように現れます。ぼちぼち暖かくなって来ましたので、昼間は涼しいところで眠っているかと……」
「じゃ、早朝に通れば、現れるのじゃな?」
「じゃ、じゃ」
「ようし……!」
わたしは胸を張り、拳を突き上げた。
「じゃ、明日の早朝、まだお日様が昇るより前に、ここを出発するのじゃ! この雪風音丸さまが見事鎌鼬を退治してくれるのじゃ!」
「それは助かりますじゃ」
爺さまがパチパチと拍手してくれた。
「便利がようなって、旅人も山向こうからここに訪れてくれるようになりますじゃ」
「ところでおじいちゃま、お腹空いたのじゃ!」
駄々をこねる口調でおねだりしてしまった。
「狸鍋! 狸鍋を早く作るのじゃ!」
「ひ……、ひぃっ!」
なぜか爺さまが怯える。
「ご……、ご勘弁を!」
「ただでとは言わぬ。金は払うから、早く!」
懐に入れてあった『雪風札』を一枚取り出すと、爺さまの前に差し出した。
それを見て爺さまが「ぎゃあっ!」と悲鳴をあげ、正体を現した。
ぼんっ!
狸だった。
「そそそそれはまさしく雪風一族の証『雪風札』! ごごごご勘弁を! わわわたしはまだ一度も人間を食うたことなどないゆえ……」
妖怪『化け狸』だったようだ。気がつかなかった。
狸は床に額をこすりつけて、わたしに命乞いをする。
「いえ、すみません! あなたを鍋にして食おうとは正直、考えてました! でも、まさか、雪風一族のお方とは……! どうせ私の悪だくみなどお見通しで、逆に私を狸鍋にして食おうと思っていらっしゃったのでしょうが、どうかご勘弁を!」
狸鍋は、なかったようだ……。
わたしは恨みのこもった声で、呟いた。
「お腹空いた」
「ひぃっ! ですから、ご勘弁を!」
わたしは荷物の中に手を突っ込んだ。
狸が後ろに飛びのいた。
「ぎゃあっ! な、何を取り出すおつもりで!?」
わたしは荷物の中から小さな布包みを出し、開いて見せた。中には生米が2食ぶん、入っている。旅籠でお弁当代わりに持たせてもらったものだ。
「これで雑炊を作ろう」
「ぞ……、雑炊……」
柱にしがみついていた狸が気の抜けた声を出した。
「お腹が空いているのでしょ? 一緒に食べよう」
「わ……、私を退治なさらないので?」
「わたしが斬りに参ったのは鎌鼬じゃ。狸ではない」
狸が安心したように笑った。狸が笑うのを初めて見た。
「ありがとうございます! 見逃してくださる上に食べ物まで……! 何とお礼を言ったらいいか……!」
「よいよい。それより大根の葉でもないかな? 具がないとさすがに寂しいよ」
「ありますとも!」
用意してあったようだ。……って、あれ? もしかして、わたしのお肉と大根の葉っぱでお鍋にしようとしてたのかな?
まあ、いいや。
お腹が空きすぎて難しいことは考えられないから。