ホリイ・ベルの水晶玉
音丸さまが出立なさると、笛吹丸さまは途端に元気がなくなった。
しょげ返ったような声で、あたしに言う。
「ホリイ・ベル。……オトの様子を追い続けることは出来るか? 出来るよな?」
あたしは胸を張り、バカにすんなとばかりに鼻で笑う。
「あたしを誰だと思ってるのかな? あなたの魔力の源、緑の精霊ホリイ・ベルさまですよ? そんな簡単な魔法、使えないわけがありませんよっ」
「見せてくれ。ずっと見ていないと心配で何も手につかなくなりそうだ」
「水晶玉を使いましょう」
「あれか。いつも文机の上に置いてある、あの透き通った大きな玉のことだな?」
早速自室に戻ると、笛吹丸さまは文机の前に座った。
文机の上には小さな紫色の座布団。その上に、とすんと置かれた水晶玉。
あたしは音丸さまのお姿を思い浮かべながら、それに触れた。
水晶玉の中に音丸さまの現在のご様子が映し出され、笛吹丸さまが「おおっ」と声をあげた。
音丸さまは駕籠の中で、刀とお喋りなさってた。
腰から鞘ごとはずした刀を両手で持ち、話しかけてらっしゃる、そのお声も水晶玉の中から聞こえてくる。
「君のことは『春くん』と呼ぼう。これからよろしくね、春くん」
「か」
それを聞いた笛吹丸さまが身をよじる。
「かわいいっ……! なんてかわゆいのだ! さすがは我が妹よ!」
音丸さまが駕籠に乗ってらっしゃるのを、笛吹丸さまはずっと見つめてた。こんな単調なものを、よく飽きないもんだ。
たぶん側にいるのがこのあたしじゃなかったら、きっと興味のないふりをしてらっしゃったに違いないわ。チラチラと水晶玉を、たまに見るだけにして。
いや、そもそも気になる水晶玉の映像なんか消してしまったかも。
素直じゃないんだから。
あたしは五年前、笛吹丸さまが14歳、音丸さまが10歳の時からしか知らないけど、それでも傍から見て恥ずかしいほどにお兄ちゃまが妹ちゃんを可愛がってらっしゃるのがわかる。
それでいて人前では厳しく公平な長兄を演じてるものだから笑っちゃう。
「オト〜、オト〜、頑張れ」
拳を握りしめて妹を応援してる。妹、駕籠の中で居眠りしてるのに、ばかみたい。
くすくす、ばかみたい。
一日走り続けて、音丸さまを乗せたお駕籠はやがて、旧街道に入った。
「笛吹丸さま」
うたた寝をしてらっしゃるマスターのお顔のまわりを飛び回り、あたしは起こしてあげた。
「音丸さまが宿場町に着きましたよ」
「そ、そうか」
眠いお目々をこすり、笛吹丸さまが水晶玉を覗き込む。
「ようやく着いたか。ここにて一泊し、明日には鎌鼬の出る山へ入るのだな」
水晶玉の中で音丸さまが駕籠から降りた。
ぐいっと伸びをされ、駕籠かきの二人にぺこりとお礼を言う。
「御苦労さま。ここからはひとりで歩いて行きます」
「気をつけてな!」
「頑張れよ!」
「ありがとう、おっちゃんたち!」
武士らしくないというか、威厳なさすぎっていうか……。まぁ、元は農民の子だからな、音丸さまは。気さくで、人懐っこい。
元気に手を振って駕籠かきの二人と別れると、希望と不安をいっぺんに表したようなお顔をお日様に向けて、前へ歩き出された。
「だ……、大丈夫だろうか、オトは」
笛吹丸さまが情けないお声を出す。
「が……、頑張れ。兄がここから見ておるぞ」