浜名湖へ
お城の上のほうの階に通された。
「わしが駿府城主、徳川◯◯じゃ」
◯◯のところはよく聞き取れなかったが、お殿様がわたしたちを待っていた。
蘭様を先頭に、わたしたち五人は頭を畳に擦りつけるぐらい低くお辞儀をしてから、顔を上げた。
「華夢蘭にございます」
蘭様が堂々とした居ずまいで、透き通る声をお出しになった。
「後ろにおりますのは我が華夢家一同と、雪風の音丸。このたびは駿府城主様にお目通り叶いまして、誠に嬉しゅうございます」
「わしのほうこそ嬉しいぞい」
お殿様が鼻の下を伸ばした。
「これはかわいい退魔師がいっぱいじゃ」
又利郎さんのことは見えていないようだ。
お殿様から改めて『あの件』のことを聞いた。
浜名湖の中から何か細くて長いものが出現し、それがつるりと体内に入り込んだ人間が、何やら『絶倫』という状態になっているらしい。
その状態になった人間は悪いことの限りを尽くし、全裸になって踊り出し、他藩に知られたらとんでもない恥をさらすことになってしまうようなことになっているらしい。
「お任せくださいませ」
蘭様が、頼もしく言った。
「藩の憂鬱、すぐに私どもが取り除いてみせましょうぞ」
謁見の間を出ると、蘭様がわたしに声をかけてくださった。
「さっきのことはどうか許してほしい、音丸殿。あやかしは人を騙すもの。その鎌鼬もそうだと思って退けようとしたのですが……どうやら本当にあなたに懐いているようですね」
あの後、夏次郎くんはしばらく怯えていた。抱きしめるわたしの手から抜け出そうとしたり、助けを求めるように胸にしがみついたりを繰り返していた。
天花さんも和歌ちゃんも、きわみちゃんも又利郎さんまで泣き出してしまって、みんなで夏次郎くんの周りに集まって謝った。すぐに夏次郎くんは殺されかけたことも忘れたように、いつもの平和なお顔に戻ってくれた。
蘭様は『特別にそのあやかしの生存を許します』と仰っていたが、お言葉とお顔が何だか違ってた。お口では厳しいことをおっしゃいながら、夏次郎くんを見る蘭様のお顔はこう言ってた。『可愛い可愛いなんて可愛いの、可愛い可愛い可愛い可愛い』
蘭様は約束してくれた。
もう夏次郎くんを討とうとしたりはしないことを。それでわたしもすべてを笑って許すことにした。それどころか蘭様のことが好きになってしまった。
「ちょっと……抱かせてもらってもよろしいかしら?」
「もちろんですよ」
わたしは何を疑うこともなく、夏次郎くんを差し出した。
「仲良くなってくださいね」
蘭様は夏次郎くんと顔を向き合わせると、ただの女の子のようになり、笑ってくれた。
抱き上げた夏次郎くんに後ろを向かせたり、お尻のほうから眺めたり、色々しながら、ため息混じりの声で仰る。
「本物の獣之耳……。やっぱ、たまらん!」
夏次郎くんの耳は、こぐまさんのように丸くて白い頭にちょこんと乗っかっている。
確かにかわいい。いい耳だ。蘭様はそれを舐めるように見つめると、今にも口の中に入れてしまいそうなほどの笑顔を浮かべ、かわいいお声をあげられた。
「ひぃ〜……! これはホンマたまらん! 食べたいわ! 食べてひとつになりたいわ!」
華夢家の四人がそんな蘭様をじっと見つめてた。初めて見るもののように自分を見つめている妹や弟にハッと気づくと、蘭様はおもむろにわたしに夏次郎くんを返し、咳払いをすると、威厳のあるお声で仰った。
「みんなでこれから浜名湖へ行きますよ? いいですね?」
いつもの蘭様に戻られた。呆気にとられていた妹弟たちも元に戻り、「はい!」と声を揃える。
「それにしても細くて長いあやかしって、どんなんだろうね?」
天花さんが言った。
「蘭姉、見当はついてるのかい?」
「おそらく宇宙人とかいうものでしょう」
蘭様は即答された。
「今、雪風の笛吹丸殿も調査をなさっておられるところです」
「やっぱり……宇宙人」
わたしの隣できわみちゃんが小さな声を漏らした。
「今回も私……、役立たずだ」
「大丈夫だよ、きわみちゃん」
わたしは励ました。
「火事場のクソ力って言うでしょ? いざという時になったらきっと、宇宙人相手でも能力が発動するよ」
「ところで聞いていい?」
和歌ちゃんが、隣の天花さんに言った。
「『ぜつりん』って何?」
「そうそう!」
わたしも身を乗り出した。
「わたしもそれが意味わからなかったんです。教えてください、お姉さん」
「お子ちゃまは知らなくていいことだよ」
天花さんは、教えてくれなかった。でもなんだかワクワクするような顔をしている。
「ふふ……。どんな破廉恥な殿方にお会いできるのかしらね。今から楽しみだわ」
それでなんとなく、わかった。
助平な女の人が喜ぶようなことだということが。
「とりあえず私……、もっと修行しないと」
きわみちゃんがずっと呟いている。
「宇宙人相手でも戦えるようにならなければ……っ!」
なんとなく自分が恥ずかしくなった。
わたしはなんにもせず、みんなに守られてばかりだ。
今回のこの件でも、華夢家の人が全員揃っていることに安心したりしている。みんなに頼りきるつもりでいる。
一人前の退魔師になる夢なんて、程遠いように思えてきた。
「きわみちゃんは凄いよ。努力、克服、成長……。どんどん強くなれる人だよ」
きわみちゃんに向かって言ってるつもりだったが、なんだか独り言みたいになってしまった。
「わたしは守られてばかりだ……。もしわたしが物語の主人公だったら、読んでる人みんな、こんな主人公嫌いだって言うに決まってる」
それを聞いて、横から又利郎さんが言った。
「ふふ……。ぽこちんは気づいてないのかい?」
いきなり話しかけられたので、『何を?』と聞くつもりで「にゃにを?」と言ってしまった。
「きみはすごい力を持っている。他の誰にも真似できない、すごい力をね」
そう言って又利郎さんは、とても恐ろしい顔で優しく笑ってくれた。




