華夢蘭
御駕籠の簾が上がり、中から蘭様が姿をお見せになった。
貴族──という感じだ。物凄い品格がおありになる。
そして何よりお美しい。華々しい橙色のお着物をお召しになって、桃色の長い髪の毛をさらさらと風になびかせる、その凛々しい立ち姿は、まるでさっき見た夕日に染まる桜の木だ。
扇子でお顔の下半分を隠されながら、涼しげなまなざしをわたしにまっすぐ向け、ゆっくりと近づいてこられた。
「雪風音丸殿ですね?」
扇子を口元から外されると、思った通りの凄い美人だ。口元にも恐ろしいほどの品格が漂ってらっしゃる。
凛とした美しいお声をかけられて、わたしは背筋を伸ばし、ぺこりと頭を下げた。
「音丸です。お久しぶりです、蘭様」
「ほんに、お久しぶりですね」
蘭様のお目が、優しく笑ってくださった。
「これはよう背も伸びられて……。前にお会いした時にはまだ子犬のようでしたのにね」
そうだった。思い出した。
わたしが犬に似ていると、初めて仰ったのは、蘭様だった。
京都の華夢家を笛兄と訪れた時にそう言われ、それを笛兄が江戸に帰ってから言いふらしたのだった。それから兄様たちはみんな、わたしのことを『犬に似ている』とからかうようになったのだ。
まぁ、迷惑ということはなく、あれから兄様たちからさらに可愛がられるようになった気がするので、気にしているわけではないが。
「あなたにお土産を持ってきましたよ」
そう言いながら、蘭様の手が伸びてきた。
その手には不思議なものが握られていた。わたしの首元に向かって伸びてくる。
夏次郎くんに触れるかと思われたその手は、そこから上へ上がると、わたしの頭に触れた。
ぽんと、何かを乗せられた。
「思った通り。ようお似合いですよ」
そう仰って、ふふふとお笑いになる。
わたしの頭の上には柴犬のお耳がつけられていた。
蘭様が『獣之耳』が大好きだというお噂は、きわみちゃんから聞いていたのでべつに驚かなかった。
蘭様は次々と色んな獣之耳を取り出されると、みんなに配った。
「あなたたちのぶんも持ってきましたよ。さぁ、みんなでつけなさい」
天花さんにはキツネの耳だった。
「ふふ……。女狐がもっと女狐っぽくなりましたよ」
「わぁ……。あたい、これでもっと殿方に人気出るかな?」
和歌ちゃんにはうさぎの耳だ。
「和歌にはやっぱり長いお耳が似合いますよ」
「わーい、わーい! かわいいお耳だ!」
きわみちゃんにはくまさんの耳だった。
「きわみは力持ちでかわいいくまさんにおなりなさい」
「あ……、ありがとうございます。蘭様」
なんだ……。
気難しい人だと聞くから身構えてしまった。
とても気さくで、お優しい方じゃないか。
「ら……、蘭姉」
又利郎さんが横から聞いた。
「お、俺には?」
「又利郎にはありません」
蘭様が冷たく仰った。
「おまえに『獣之耳』をつけるわけにはいきませんよ」
そう言いながら、お手に茶色い猫耳を持ってらっしゃる。
確かに又利郎さんのあの顔には、猫耳が似合うだろうなと思えた。
「ところで音丸殿」
蘭様が、わたしのほうを振り向いた。
「その首に巻いているのは鎌鼬ですね?」
ぴょこっと夏次郎くんが顔を出した。
「わー! 夏くんだ!」
和歌ちゃんが飛び跳ねる。
「また会えたねえ」
天花さんもにっこり笑う。
わたしは蘭様に紹介した。
「ええ。とってもかわいいんですよ! 名前を夏次郎くんといいます」
「だめですよ、音丸殿」
蘭様の声音が厳しくなった。
「名門退魔師の一族の者が、あやかしと仲良くなどしてはなりません」
天花さんと和歌ちゃんがぴくんと身を震わせ、黙り込んだ。
「あっ。大丈夫ですよ。夏次郎くんはいい妖怪ですから」
わたしはそう言って、二人に同意を求めたけど、天花さんも和歌ちゃんも下を向いて何も言ってくれない。
「鎌鼬はいたずら妖怪です。座敷わらしなどのように『善いあやかし』ではありませんよ」
蘭様のお声が、一層厳しくなった。
「今すぐ、殺しなさい」
わたしは夏次郎くんを肩の上から下ろし、守るように抱きしめた。
助けを求めてきわみちゃんを見るが、彼女も固まったように俯いている。
又利郎さんのほうを振り返った。彼もまた、諦めたように後ろを向いていた。
華夢のきょうだいは、誰もこの姉には逆らえないのだと知った。
「この子はわたしのことを何度も助けてくれたんです」
蘭様にわかってもらうしかなかった。
「大好きなんです! きっとこの子のことを知れば、蘭様も……!」
蘭様が、すうっとその手を前に出した。その途端、わたしの体の自由が失われた。
「これは一人前の退魔師となるための、あなたに与える課題になります」
冷たい目でわたしを捕らえながら、蘭様がまた口元に扇子を当てる。
「聞けばあなたはまだ一体も妖怪を討ってはいないらしいではないですか」
夏次郎くんを守って抱きしめるわたしの手が、勝手に動き出した。
「あなた自身の手でその妖怪を殺すのです。そのカマイタチをあなた自身の手で殺すことで、容赦を知らぬ退魔師としての第一歩を経験するのです」
蘭様が『人を操る』とは聞いたことがあった。それをまさか、自分の体で知ることになるとは。
わたしの体は意思に反して勝手に動き出し、抱いていた夏次郎くんを胸から引き剥がすと、その首に両手をかけた。
「絞め殺しなさい」
「い……、いやだっ!」
そう言いながら、わたしの両手に力がこもる。
「いやですっ……! 夏次郎くんは……わたしの友達ですっ!」
わたしに殺されそうになっていることにようやく気がついた夏次郎くんが、驚いた顔をして、わたしを見ている。
「夏次郎くんっ!」
わたしは泣き叫んだ。
「わたしを剥きなさい! きっと……それでわたし、止まるから! 止まらなかったら傷つけていいから! 自分を守って!」
夏次郎くんが、諦めたように目を閉じてしまった。
わたしに首を締められながら、抵抗するように全身に入れていた力を解き、だらんと垂れ下がった。
「夏次郎くん!」
完全に全身の力を抜いてしまった。運命をわたしに預けている。頭はかくんと後ろに倒れ、急所の喉元をわたしにさらけ出している。わたしの手には、さらに力が込められた。
「やめて! 姉様!」
ようやく和歌ちゃんが叫んでくれた。
「お願い! 夏くんを殺さないで!」
「なんで……!?」
唯一自由に動く口を震わせて、わたしは叫んだ。
「どうしてわたしを剥かないのよっ!? 夏次郎くん!?」
夏次郎くんの体に再び力がこもった。
それは抵抗する力ではなく、破裂する前の風船がはちきれそうになる時のような、苦しそうなもがきだった。
わたしの手が、止まった。
急いで抱きしめると、夏次郎くんはカハッと息を大きく吐き、わたしの胸にしがみついた。
「鎌鼬よ……」
蘭様が、お声を震わせた。
「それほどまでにあなた……、音丸殿を……」
その冷たい目に、優しい光が戻ってきた。




