きわみの修行
わたしは久々の畳に寝転び、頬ずりし、笑った。
「ああ……。よい畳じゃ、よい畳じゃ」
青々とした畳。最近野宿が多くてずっと夢に見ていたほどの畳だった。
バリバリバリ! と破壊音のようなものがしたので、見ると夏次郎くんが気持ちよさそうに畳で爪を研いでいる。慌てて止めさせて、代わりに爪研ぎになるようなものを探した。
「こ、これで……」
又利郎さんが口を大きく開けるとそこからへちまのたわしを吐いてくれた。
この人の口からは色んなものが出てくる。便利だ。
夏次郎くんはへちまが気に入ったようで、抱きついてジャカジャカと爪を研ぎはじめた。
「ありがとう、マッちゃん」
「あ……、ああ……」
又利郎さんがこんな立派なお城の一室に座っているのを見ると、なんだかへんな感じがする。
野生の化物……じゃなくて獣が人の家にいるような感じだ。この人はやっぱり腐葉土の上が似合う。
それにしてもさっきはびっくりした。
又利郎さんの素顔が、まさか、あんな……
「音丸さん」
きわみちゃんが真剣な顔をして、言った。
「私、今のままでは宇宙人に対して何も出来ない子です」
確かにそうだ。
樹海では伊織兄様に口を吸われてずっと失神していたし、芦ノ湖では全裸でずっと空に浮かんでいた。
「考えたんです。私……、華夢家の三女としてお役に立ちたい……! だから……」
「きわみんはそのままでいいよ」
又利郎さんが口を挟んだ。
「か、かわいいんだから。……それだけで価値がある」
「うんうん」
わたしも同意した。
「でも……、いっつもその地味な稽古着姿なの、どうにかしようよ。もっと華のあるお着物にしたらどうだろう」
「ま、真っ赤な振り袖とかどうだろう」
「いいね、マッちゃん。髪飾りで後ろにくくって、馬のしっぽみたいな総髪にするのも……」
「いい加減にしてくださいっ!」
きわみちゃんの眉が、吊り上がった。
「私は退魔の剣士ですよっ! 女の子の楽しみなど、とうに捨てておりますっ!」
「わ……、和歌ちゃんはあんなにお洒落をしているよ」
又利郎さんが、へらっと笑った。
「かわいい、かわいい……女の子になろうよ」
「うん。きわみちゃんはかわいいんだからさ、もっとお洒落するべき!」
わたしも、にこっと笑った。
「妖怪相手でないと強さが発揮できないのは仕方がないんだからさ」
「それを克服します!」
きわみちゃんは意地でも地味な稽古着をやめないようだ。一本気な子だ。
「だから……音丸さん! 夏次郎くんを貸してください!」
「え……? 夏くんを?」
夢中でへちまと戯れていた夏次郎くんが動きを止めて『えっ?』という顔をこちらに向けた。
お城の裏山をお借りすることになった。ここならきわみちゃんが木刀を振り降ろしても、お城が倒れるようなことはないだろう。
わたしは肩の上から夏次郎くんを地面に下ろすと、きわみちゃんに聞いた。
「どうするの?」
「覚えてますか? 音丸さん」
木刀を手に持ちながら、彼女は言った。
「こぶたさん相手に私、暴走しましたよね?」
「ああ……、うん」
樹海で会ったこぶたさんが、大きな鬼に化けてみせた時、きわみちゃんは暴走して樹海の森を地響きとともに揺らしたのだった。
「でも……こぶたさんは妖怪ではありませんでした。からくり人形だったのでしょう?」
「あっ」
そうだ。
あの時、きわみちゃんは、妖怪じゃないものを相手に暴走し、鬼のごとき怪力を発揮したのだった。
「考えていたんです。なぜ、あの時、私は妖怪ではないからくり人形を相手に暴走できたのか……と」
「本当だね。なんでだったの?」
「夏次郎くんです」
きわみちゃんは夏くんを見つめて、ふふっと笑った。
「あの時、私は確かに『かわいい妖気』を感じていました。それをこぶたさんから感じ取っていると勘違いしていた。でも、あれは夏次郎くんの妖気だったんです」
「なるほど……」
わたしは聞いた。
「で?」
「思い込みの力で発動できたんですよ。こぶたさんが妖怪だと思い込んでいたから、夏次郎くんの妖気を吸って、私はこぶたさんを攻撃したんです。夏次郎くんではなく」
「で?」
きわみちゃんが木刀で、地面にバツ印を書いた。
「夏次郎くんの妖気を感じて、しかし夏次郎くんではなく、このバツ印に木刀を打ち込む修行をしたいと思うのです」
目が燃えている。
「この修行を極めれば、夏次郎くんでなくても誰か妖怪さんが側にいてくれれば、私は宇宙人にもこの豪剣を打ち込むことが出来るはずです!」
「な……、なるほど!」
「協力してくれますか!?」
彼女の迫力に気圧され、わたしは思わず片方の拳を振り上げて、応援するように、しかし弱々しい声を出した。
「お……、おー!」
「それで、もし私が夏次郎くんに襲いかかったら、遠慮なく剥いてください!」
「ええっ!?」
「それで私の暴走は止まります! 覚悟は出来ています! いいですね、夏くん!?」
夏次郎くんが真剣な顔で、こくんとうなずいた。
「では……、行きますっ!」
きわみちゃんが黙った。
怖い顔をして、地面のバツ印を睨んでいる。どうやら頭の中に宇宙人を描いているようだ。
ざわざわと、彼女の髪が逆立ちはじめた。
……来る!
「妖魔、撲滅!」
きわみちゃんが木刀を振り上げた。
青空高く、跳び上がる。
まるで赤鬼の金棒のように巨大な攻撃力をまとったその木刀が、夏次郎くんを襲う。
夏次郎くんが、ぶわっと膨れ上がった。
木刀を振り上げた格好のまま、白い風に巻きつかれ、きわみちゃんの稽古着が粉々になって吹き飛んだ。
産まれたままの白い姿をさらして高い空中にくるくる回る彼女を見て、思わずわたしは叫び声をあげた。
「きわみちゃん!」




