初めての戦い
「あらら……。あらららら」
女王蟻ちゃんは頭の触覚を交互に動かして、小馬鹿にするようにわたしを見つめながら、笑った。
「あのお兄ちゃんとだったら楽しいバトルができそうだったのに……。お姉ちゃん、相当、弱そう」
馬鹿にされた。
馬鹿にされたまま黙ってはいられない。
わたしは名門退魔師の一家、雪風一族の一員、雪風ぽこ丸……じゃなくて、雪風音丸なのだ!
笛吹丸兄様からは一族の宝刀『春才天児』を預かった者なのだぞ!
わたしの全身の神経が、猫のように逆立つ。怖いものを前にして、その緊張に、自分を大きくして見せる猫のように。いやこれは怖がっているんじゃないぞ。武者震いってやつだ。
刀の切っ先を敵に向け、威嚇する。相手は相当強いらしいが、かわいい女の子だ。あのつるつるの肌を傷つけてしまったらどうしよう。出来ればわたしの迫力にびびって逃げてくれないかな。
「ぽこ!」
後ろから伊織兄様の声が飛んできた。
「おまえなら大丈夫だと思うが、相手の見た目に騙されるなよ? その女児、先にも言った通り、相当出来る!」
そんな相当お強い相手を、わたしの初めての戦いの相手に押しつけるのは、どういうおつもりで?
そう聞きたかったけれど、口が動かなかった。痺れたみたいに動かない。自分の体じゃないみたい。
チラリと振り向いてみると、伊織兄様はきわみちゃんの口を吸った後のようで、きわみちゃんが恍惚とした笑いを浮かべながら動かなくなっている。次に兄様は又利郎さんの肩を抱くと、躊躇なくその口をお吸いになった。なんだかその光景が思ってた気持ち悪いものと違って、なんだかとても綺麗だったので、お陰でわたしはちょっと落ち着いた。
「あらら。あのお兄ちゃん、男色?」
女王蟻ちゃんが小馬鹿にするように、綺麗なものを、言葉で汚した。
「きもちわるーい。ばかみたい」
「ふう……」
わたしは呼吸を整え、飛んだ。
「行きますっ! サバガ!」
今生之助兄さん直伝の剣法『サバガ』。使うのは今が初めてだけど、きっと強い。わたしは全力で飛び、全力で飛びかかり、全力で剣を振り下ろした。容赦していてはこちらが殺される。殺すつもりで、打ち込んだ。
バシャアッ!
女の子の体が、バラバラになった。
「きゃあああっ!?」
わたしは思わず怖がり、絶叫していた。
女の子は粉々になり、黒くなった。わたしの剣が強すぎて、思いがけずバラバラにしてしまったのかと思ったが、違った。
バラバラに砕けたその一粒一粒が、うじゃうじゃと動いていた。別々の意思を持ちながら、一つの意志の元に統率されているようなそれらは、よく見ると……いやよく見るまでもなく、蟻の大群だった。
「いっくよー! お姉ちゃん!」
どこからともなく女の子のあかるくも殺気のこもった声が響き、蟻たちが四方八方から、わたしを殺しに飛びかかってくる。
どうしよう、これ。夏次郎くんに頼るしか!?
しかしその夏次郎くんも、ちょっと怖がっているようだ。あるいは気持ち悪がってるようだ。しまった、そういえば夏次郎くん、気持ち悪いものが苦手だった。
「紫伝川坊流……」
耳元で、伊織兄様のお声がした。
「百花繚乱」
紫色の桔梗の花が、咲き乱れたようだった。
その花の尖った切っ先がくるくる回り、隙間もないほどに乱れ踊り、蟻の大群を蹴散らした。
蟻はひとところにかたまると、再び女の子の姿になり、文句を言った。
「もーっ! お兄ちゃん! その子に任せるんじゃなかったのぉっ!? 楽しく殺すとこだったんだから、邪魔しないでよっ!」
蟻がかわいい女の子の姿に戻ると、兄様はぴたりと刀を止めた。
「ぽこ……」
わたしに仰る。
「見たよな? あれはかわいい女の子に見えるが、その実無数の蟻が形作っているひとつの姿だ」
「ありがとうございますっ! 兄様!」
わたしは助けていただいたことに涙を流しながら感謝を述べた。
「そんな情けない言葉はどうでもいい。おまえは守られる幼兒ではない。へっぽことはいえ剣士だろう。何が何でも今は勝つことのみを考えろ、アホ」
「あ……、アホ?」
「とりあえず……。ああバラバラになるのでは、おまえのへっぽこ剣法ではどうにもなるまい」
「ど……、どうすれば?」
わたしを後ろから抱きかかえる兄様に、泣きつきたかった。
「どうすれば勝てるのでしょうか、兄様っ?」
「偉いね、ぽこ」
兄様が急にお優しくなった。
「あくまで自分が戦って勝つその心意気、さすがは私の妹だ。私に頼りきって私に戦いを任せようとするなら放っておくつもりだった」
女王蟻ちゃんはまたひとつ、懐から衣のついた鶏肉を取り出して食べながら、わたしと兄様の会話が終わるのを待っていてくれている。
「どうすれば勝てますかっ?」
わたしは兄様のお言葉を待った。
「おまえに勝つのは無理だ」
あっさり言われた。
「しかしおまえには強力な武器がついておるではないか」
「強力な……武器?」
「その、カマイタチくんの風の力を、その『春才天児』にまとわせ、放つのだ」
わたしの肩の上で、夏次郎くんが『えっ?』というように兄様を見た。
「風の力を利用して切り刻め」
兄様が、わたしの背から離れた。
「初めての試練、見事乗り越えてみせろ。私はもう手助けはしない」
なるほど。倒し方はわかった。
けれど、そんなこと、やったことなど、もちろん、なかった。
春才天児くんに、夏次郎くんの力を、まとわせる?
鞘から抜いて手に持ったままの春くんを、ちらりと見た。
なんだかとても嫌そうな顔をして、ぶすくれたように刀身がへにゃりと垂れ下がっているように見えた。




