こぶたさんの死は突然に
「ず……、ずっと下へ降りたって仕方がないじゃないですか」
わたしは後ずさった。
「上へ戻りまーす!」
駆け出そうとすると、足を掴まれた。
悲鳴をあげかけたが、見ると掴んでいたのは又利郎さんではなく、こぶたさんだった。
「わしを置いて行かんでくれ」
哀願するような目で見られた。
「わしもこの気持ち悪い御仁とふたりきりは嫌じゃ」
ちょっと又利郎さんが可哀想になった。
「だ、だめだよ」
又利郎さんは傷ついた様子もなく、なんだかわたしに迫ってくる。
「だめだよ、ぽこちゃんは、ぼくと一緒にいないと」
逃げ出したかったけど、足をこぶたさんに掴まれている。
夏次郎くんに助けを求めてみた。
襟巻きの中からとぼけた顔を出すと、夏次郎くんはぴょんと飛んだ。
ぽすっ。
又利郎さんの胸に飛び込んだ。
「アハハ……。か、かわいい」
長い前髪の奥の目を大きく開いて、又利郎さんが大喜びしてる。
「いおりんと、俺も同じ。俺も、この世を『かわいい』で埋め尽くしたいよ」
それならまず、あなたがかわいくなってください、と言いかけて、口をつぐんだ。さすがに失礼だよな。
彼はほんとうに、かわいいの正反対だ。彼と比べたらミミズでさえかわいく思える。
でも夏次郎くんは又利郎さんのことが大好きみたいだ。くっくっく、と機嫌よさそうな声を出して、彼のねちょついたてのひらに頭をなすりつけている。
気が知れない。
わたしはかなり不機嫌になった。
「返してください」
夏次郎くんを奪い取った。
「この子はわたしのかわいい相棒なんですからっ」
ぴくん、と夏次郎くんの耳が動いた。
素速い動作で廊下の先を見つめる。
「な……、何かいるの? 夏くん」
不安になって夏次郎くんの細い体をもふっと抱きしめた。
又利郎さんが腰の巨大手裏剣に手をかけ、廊下の先をじとっと睨む。
その時だった。
「怖いよぉ〜! 嬢ちゃん、抱いてくれ」
そう言いながら、こぶたさんがわたしの胸に飛びついてきた。
飛びついてきたこぶたさんの首が、胴体から離れて飛ぶのを、わたしは見た。
見ると、又利郎さんがこちらを向きながら、手に持った巨大手裏剣を腰に収めようとしているところだった。
こぶたさんの首が、ごろんと音を立てて廊下に転がった。
又利郎さんの黒い手裏剣からは、黒い血が滴っていた。
わたしは悲鳴をあげた。
又利郎さんが、わたしに襲いかかってきたところで、意識が途切れた。
悪夢にうなされながら目を覚ますと、至近距離に又利郎さんの顔があった。
悲鳴をあげようとしたが、声が出なかった。なぜだか体も動かせない。
又利郎さんが、わたしの顔をまっすぐ見ながら、言った。
「ぽこちゃん……。苦しんでる顔も、かわいかった」
力を振り絞ると、なんとか首を横に振ってイヤイヤすることが出来た。それしか出来なかった。
わけがわからなかった。又利郎さんが何かしたのだろうか? 彼がこぶたさんの首を斬ったのは覚えている。
夏次郎くんに心の中で助けを求めたが、よく見ると又利郎さんの首に、襟巻きになって抱きついていた。呑気に笑ったような顔だけ覗かせている。
なんだか周囲が薄暗い。どう感じても銀色の廊下の続く銀色の世界ではなかった。背中には岩と土の感触があった。
「な……、なにを……」
ようやく声が出せた。
「なにを……した!」
すると長い前髪の奥の又利郎さんの大きな目が、悲しそうになった。
「したのは……僕じゃないよ」
「こぶたさんを……斬ったよな!?」
「う……、うん……」
やっぱり斬ったんだ!
「なぜ斬ったーーっ!?」
涙を流しながら声を振り絞ると、
「いおりんに頼まれてた」
又利郎さんが意外なことを言った。
「ぽこちゃん、騙されやすいから、守ってやってくれって」
意味がわからなかった。
大体、わたしが体を動かせないのは、なぜだ。麻痺したように、感覚もところどころしかない。
又利郎さんが教えてくれた。
「あのこぶたさん……、からくり人形だ。宇宙人の密偵だったのかも」
なんだろう。自己弁護だろうか。それこそわたしを騙しているのだろうか。
「か……、からだ、動かないでしょ? こぶたさんの胸から突き出した針に……刺されたんだ。たぶん、毒が塗ってあった」
わたしは何も言わず、睨みつけた。又利郎さんとかわいいこぶたさんなら、当然こぶたさんを信じる。
「こ……、これ……。飲む?」
又利郎さんがそう言いながら、プッと口から臭そうな玉を吐き出した。
「解毒剤……。気持ち悪いかもしれないけど」
わたしは全力で頭を横に振った。
「飲んだほうが、いい。そして真実をその目で見て」
又利郎さんの指が、わたしの唇に触れ、無理やり開かそうとしてきた。
わたしは歯を食いしばって抵抗しようとしたけど、麻痺したように力が入らない。
臭い玉を口の中に入れられてしまった。
「ぎゃあああああ!」
あっという間に麻痺が解け、体が跳ね起きた。
周囲を見ると、薄暗い洞窟の中のようだ。
すぐ側に、こぶたさんの真っ二つにされた亡骸が転がっていた。
「こぶたさん!」
這って近寄って見ると、こぶたさんの体の断面が見えた。
中はからくりになっていた。
「銀色の世界も、こぶたさんを斬ったら解けた。たぶん、こぶたさんが、僕らに幻を見せていた」
ざわ……、ざわ、ざわ。
洞窟の奥の暗がりから、嫌な音が聞こえてきた。
無数の虫がこちらへやって来るような──
「ようやく戦闘のようだ」
又利郎さんが、腰の巨大手裏剣を外し、音のする方向を向いた。
「ぽこちんは、僕が守る」
その首からは襟巻きがほどけ、夏次郎くんが地面に降り立った。




