青木ヶ原樹海の戦い
ずっどおぉぉん!
青木ヶ原樹海にきわみちゃんの木刀の轟音が鳴り響いた。
「ひいぃぃっ!? 何をする!」
赤鬼に化けていたこぶたさんは瞬時に小さくなって、飛び退いていた。
木の葉が飛び散り、巨大隕石でも落ちたような大穴が、地面に空いた。
「……はっ?」
きわみちゃんが正気を取り戻した。こぶたさんがかわいい姿に戻ったからだった。
「私……。また……っ」
抱き寄せて、よしよししてあげた。仕方ない、妖気を感じると鬼よりも強くなってしまう能力なんだから。自分じゃどうしようもないんだから。せめて正気を失わなければなとは思うけど……。
何かの気配にわたしは気づいた。
きわみちゃんが地面に空けた大穴を見ると、その下で大騒ぎしてるやつらがいる。
アリさんにも見えるけど、それにしてはでかい。地面の下に銀色の廊下のようなものがあって、黒い外骨格の、人間大の何かがいっぱいそこにいて、そいつらが太陽の光を浴びて大慌てで逃げ惑っていた。
「あれは……何?」
きわみちゃんに聞いてみた。
「なんでしょう……」
きわみちゃんが正気だから、妖怪ではないようだ。でも人間でもない。
と、いうことは、また宇宙人か?
どうしよう。怖いから逃げようか……。それとも勇敢に攻め入ってみようか……。
そう思っていると、背後で地響きがした。
ずずうぅぅぅん……
振り返るとそこに巨大な昆虫のようなものがいた。真っ黒な、背中にホリィ・ベルみたいな透明の羽根の生えた、羽根アリの化け物みたいなのが……二本足で立っていた。
「はひゃ!?」
思わずきわみちゃんと抱き合った。
「きょん、きょむ」
意外に風雅な美声で、なんかそんなことを言った。
「いらいで、いにか」
意味はわからないけど、すごく怒ってるみたいだ。
すごく怖い。
すごく怖いけど、ここで立ち向かわなければ退魔師とはいえない。
「戦うよっ、きわみちゃん!」
わたしは腰の斬魔刀『春才天児』を抜いた。
きわみちゃんも木刀を構えたけど弱々しい。やはり相手は妖怪ではないようだ。
「そん、きょきょむ!」
そんな大声をあげると、そいつが鎧みたいな腕を振り下ろしてきた。
「わーっ!」
こぶたさんが逃げ出したので、それに続いて逃げようとしたけど、戦おうとしたぶん、一瞬遅かった。
鎧みたいな腕が、わたしときわみちゃんの上に──
それを払う鉄の音がした。
液体だった。ねばねばした黒い液体が、地面の下から湧いて出て、座布団ぐらいの大きさの黒い手裏剣で、相手の腕を弾き返していた。
顔を覆った指のあいだからそれを確認すると、わたしは思わずその気持ち悪さに泣きそうになってしまった。
きわみちゃんが叫ぶ。
「又利郎兄様!」
「こ、こここ」
華夢又利郎さんは人間の姿に固まると、すごく気持ち悪い声を出した。
「こ……こつばん」
「みひらりや!」
巨大昆虫が驚いたような声をあげる。
「きょむん! くろりや!」
とても気持ち悪いもの同士の戦いが始まった。
でも又利郎さんは凄い。背丈が倍以上もある巨大昆虫に対して、引けを取ってなかった。
動き方は両方昆虫の幽霊みたいで気持ち悪いけど、頼もしい。このひとに任せていたら安心という気がする。
そういえば夏次郎くんは……? と思って見ると、襟巻きから顔だけを出して、じっと又利郎さんの戦いを見守っていた。『あのひとが来たから安心だ』というように。
「くぅむん!」
巨大昆虫が、その背中の羽根を広げて飛び上がった。
「ききこ」
又利郎さんも、黒い羽根が生えたナナフシみたいになって飛び上がった。
凄い速さで、空中での戦いが始まった。なぜ人間が飛べるんだろう。やっぱり又利郎さんは、どう考えても人間じゃない。
「かしろ!」
威嚇するような声をあげ、巨大昆虫が両腕を振り下ろす。
「ああっ」
まともにその攻撃を又利郎さんが受けてしまった。
落ちてくる。
敵のほうが少し強かったようだ。
又利郎さんが背中から地面に落ちた。叩きつけられた。でも痛くはなさそうだった。
黒い液体になって衝撃を吸収すると、又利郎さんの体がうねうねとうねり始める。アレをやる気だ! 見たくないので、わたしは咄嗟に目を塞いだ。隣できわみちゃんも目を塞いでいた。
「だっは!」
見てないからわからないけど、そんな声が聞こえたから、又利郎さんがアレをやったようだった。
「きょむうっ!」
巨大昆虫の苦悶する声が聞こえた。
地響きが鳴り渡った。目を開いてみると、巨大昆虫が地面に仰向けに倒れ、ぴくぴくと四肢を痙攣させている。
勝ったんだ! 勝ったんだ、又利郎さんが! そう思いながらもわたしはどうしても彼のほうを見られなかった。たぶん相当気持ち悪いことになっているので。
「もほん」
歌舞伎役者みたいな、そんな声が聞こえた。
「いィーよォーっ、ぽん」
もうひとつ、違う声が森に響いた。
見ると、さっきのと同じ姿をした巨大昆虫が二体、二本足でこちらへ別方向から近づいてくるのが見えた。
絶望だ……。
さっきの一体だけでも苦労して倒したのに……。
その時、森の中空に、扉が開いた。
その中から、藤色の着物に身を包んだ美しい人が、宝石のような緑色の長剣を手に持ち、ゆっくりと姿を現した。
「なんだか面倒なことになっているようだね?」
伊織兄様は樹海の土に朱色の下駄の一本歯を着けると、その長い髪を風に揺らした。
「伊織様!」
きわみちゃんの声が桃色になった。




