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次兄 危能丸様は素直じゃない

危能丸あぶのうまる兄様は何を教えてくれるのですか?」


 わたしは布団の上に正座して、兄様のお言葉を待った。


 次兄の危能丸あぶのうまる兄様は、剣はあまりお強くはない。

 兄様の最強の武器は『言霊ことだま』だ。ただし、口から出した言葉が現実化してしまうとか、そういう危ないものではない。

 呪符に言霊を込め、それを貼りつけたものに様々な作用をもたらす。つまりは呪術師である。


 わたしはへっぽこ丸なので、剣の他には何も使えない。

 わたしよりも剣の弱い危能丸あぶのうまる兄様が、わたしに何を教えてくださるというのだろう?


「ウム」

 さんざんもったいつけてから、兄様は仰った。

「逃げ方だ」


「逃げ方……」


「旅の途中、どうしても、おまえには勝ち目のないあやかしに出会うこともあるだろう。そういう時は逃げるしかねぇ。そんな時の、うまい逃げ方を教えてやる」


「わたしは逃げませんよ」

 ちょっと顔がムキーってなってしまったかもしれない。

「背中を見せるのは武士の恥です!」


「うぬぼれんじゃねぇぞ、このへっぽこ丸が」

 そう言うと、兄様はわたしの額に、それは素早くおふだをくっつけた。


「あっ?」

 動けない。どうやら動きを縛るおふだのようだ。


「ほら。こんなにスキだらけだろうが」


 すぐにおふだを剥がしてくれたので、動けるようになった。

 焦った……。この兄様の前で動けなくなるのはどんな辱めを受ける意味になるのかと、焦った。

 今宵の危能丸あぶのうまる兄様はなんだかいつもと違う。いつも意地悪な兄様が、なんだかお優しい。


「いいか? 逃げるのは決して恥ずかしいことなんかじゃねぇ」

 いつものニヤニヤ笑いではなく、鼻でおわらいになるでもなく、真剣な顔をまっすぐわたしに向けて、兄様は仰った。

「逃げるのも勇気だ。強いあやかしに出会ったら、戦うな。逃げろ。命を守ることだけを考えろ」


「お言葉ですが兄様。先程はわたしが死のうが『どうでもいい』と仰いましたよね? 使い物にならないまま帰って来るぐらいなら死んだほうがよい、と」


「死んだほうがいいなんて言ってねぇぞ」


「『どうでもいい』は仰いました」


「まあ、いい」


「あ、誤魔化した!」


「とりあえず今から俺はおまえを攻撃する」


「い……、いきなりですね」


「立て」


「立ちました」


「俺の攻撃から逃げてみろ」


「逃げます」


 胡座をかいてらした危能丸あぶのうまる兄様も立ち上がり、狼のような目つきでわたしをお睨みになる。


 中腰になり、わたしの隙を窺っている。


「俺を鎌鼬カマイタチだと思え」


「はい」


「鎌鼬は素速いぞ?」


「はい」


 はいと返事をした「い」に被せるように、兄様はわたしに飛びかかっていた。

 しかしわたしも剣士のはしくれ。この程度の攻撃、かわせないわけが──


 だきっ。


 思い切り抱きつかれた。真正面から、絡め取るように。

 あまりに強く抱きしめられたので、わたしは声も出せなかった。


「いつも意地悪ばかり言って、すまなかったな」

 わたしの耳元で、兄様が聞いたこともないような優しい声で仰る。

「おまえのことは皆と同じく、可愛い妹だと思っている。頼むから、生きて帰れ」


 そうか……。


 いつも憎まれ口しかお叩きにならないが、危能丸あぶのうまる兄様も、わたしのことを心配してくださっているのだ。


 ぽろりと涙が出た。


 嫌なお兄様だなんて思っていて、ごめんなさい。


 わたしをお離しになると、兄様のお顔が真っ赤になっていた。

 照れ隠しのようにぎろりとお睨みになると、鼻をポリポリとお掻きになりながら、仰る。


「ガラにもねぇこと言っちまったな……。まぁ、本心だ」


「ふふっ」

 思わず笑ってしまった。

「意外とお可愛いところがおありだったのですね」


「とにかく……逃げることは恥じゃねぇ。死んじまったら強くなることは出来ねぇんだ。強くなってから再戦すればいい。わかったな?」


「そんなに強いあやかしがいるのですね?」

 わたしはゴクリと唾を飲んだ。


「いや、それほど強いのはいないはずだ」


「は?」


「俺ら四人が強いのはあらかた退治して回ったからな。残ってるのはチャチいイタズラ妖怪ぐらいだろう」


「は? それなら……」


 危能丸あぶのうまる兄様がいつものように、大きく鼻でお嗤いになった。見下すような目でわたしを見、仰った。


「おまえみてぇなへっぽこにとっちゃ、ただのイタズラ妖怪でも強敵だから、無理せず逃げろって言ってんだよ」


 出た!


 いつもの憎まれ口!


 やっぱり危能丸あぶのうまる兄様は嫌な兄様だ!


「じゃあな、明日のためにゆっくり休んどけよ」

 襖を開けると、ニヤニヤ笑いを残して、出て行く際に、言い残された。

「それにしてもおまえ、意外にムネあんな」


 ピシャンと襖が閉じられる。


 も……、もしかして、助平なことをするために、わたしを抱きしめられたのだろうか?


 感動的なことを言われて涙まで流したのに、あの台詞を仰っいる間、じっとわたしの胸の感触を楽しんでおられたのだろうか?


 一人悔しがっていると、また襖が開いた。


 見ると、少しだけ開いた襖の隙間から、伊織兄様のお美しい顔が、無表情にわたしを見ておられた。




   

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