ほんとうの敵は……
「うっ……、うっ……」
きわみちゃんが泣いている。
湖畔の泥の上に座り込んで。泥を全身に塗りたくった姿で。
「大丈夫。靄がかかってたから、大丈夫だよ。きっと」
わたしはそう言ってあげたけど、たぶん見られた。いや、確実に見られてた。
上空で止まったまま夏次郎くんに全裸に剥かれ、きわみちゃんはしばらくの間その恥ずかしい姿を空に晒し続けていた。危能丸兄様が「ゆっくり降りろ」と命じるまで。
それを兄様はなかなか命じなかった。「うひょー」とか「絶景かな」とか嬉しそうに言いながら、きわみちゃんを真下から鑑賞してた。
今、兄様は己の助平な行為などまるでなかったかのように真面目な顔をして、泥の上に正座させた紫色の小さなおじさんを訊問している。
「……つまり、あれか」
危能丸兄様は聞いた。
「おまえら『宇宙人』とやらは、この日本を征服しようとしているというわけか」
「征服などと……人聞きが悪い」
紫色のおじさんは答えた。
「かつての『あやかし』がしていたことを、我々が取って代わろうというだけのことですがな」
「人間を威かし、口から出た魂げっ気を喰らう……ということかい?」
「そうですやん」
「オレたち雪風一族が強いあやかしを一掃してしまったから、張り合うものがいなくなり、魂げっ気を独り占めできると踏んだ……と。そういうことかい」
「そげですやん」
「……しかし、それならなぜ、あんなにもちもちしたものを供物として捧げさせたんだい?」
「……うっ? それは……」
おじさんの顔色が変わり、黒くなった。
「その……。ぼくが一人で……食べようと思って……」
「かつてオレたちが戦った妖怪たちも、確かに《たま》げっ気を食べていた」
兄様は紫色のおじさんの頭をがしっと掴むと、声を大きくした。
「ただそれだけなら、オレたちのような退魔師が必要とされることもなかったんだぜ? なぜ、オレたちのようなものが産まれたと思う?」
わたしには答えがわかったので、横から言った。
「人々を苦しめ、悪いことをする妖怪が、たくさんいたからですよね」
「そうだ」
兄様がうなずく。
「やつらは人間を支配しようとしたんだ。人の上に立ち、恐怖で抑圧し、持ち物を奪い、貧困や飢餓で苦しめた。時の権力者に取り憑き、社会を混乱に陥れ、甘い汁を吸っていた。『かつてのあやかしがしていたことを、取って代わろう』というのは、そういうことだぞ?」
紫色のおじさんが、悪い心を見抜かれたように横を向いた。
「おまえら『宇宙人』……。果たして烏合の衆か、それとも組織化された軍隊のようなものなのか……」
兄様がおじさんの頭をまた掴んで前を向かせた。
「おまえらを率いている総大将みたいなのは、いるのかい?」
「ぼっ……、ぼくら、バラバラに動いてるだけだから!」
おじさんがあからさまに挙動不審になった。
「総大将なんかいないから! ぼくら魂げっ気が食べたくて地球にやってきただけだから!」
「ふぅん……。おい、ぽこ!」
急に呼ばれたので、「へい!?」と、へんな返事をしてしまった。
すると兄様がとても素敵なことを仰る。
「その供え物……。もちもちしたやつ、全部食っていいぞ」
「ほんとうですかーっ!?」
嬉しさに飛び上がりかけた。
「ほら、きわみちゃん! あれ食べてもいいんだって! 一緒に食べよう!」
泣いていたきわみちゃんが顔を上げ、よだれを垂らした。
大丈夫。素っ裸だけど、泥まみれになって隠してるから、動いても大丈夫。
「待ってくだせえーっ!」
宇宙人のおじさんが大声を出した。
「それは……大事な……!」
「んー? なんだよ?」
兄様が意地悪な声を出す。
「てめー一人じゃねェのか? 宇宙人はそれぞれバラバラにイタズラしてるんだろ? この供え物も、てめーが一人で食うために、神龍にわざわざ化けて、捧げさせたんだろ?」
難しい話はどうでもよかった。わたしは目をつけていた三色団子を取ると、遠慮なくがぶりと食いついた。
「おいしーっ!」
ほっぺたが落ちそうだった。きわみちゃんもあんころ餅をホクホクした顔で頬張っている。
「あーーーっ!」
おじさんの顔が赤くなった。怒ったというよりは絶望した顔だ。
「スペースドラゴン様に……殺される」
「なんだって?」
兄様が聞き逃すはずがなかった。
「すぺーすどらごん様? そいつがてめーの上役かい」
そこからの二人の会話は、わたしは聞いてなかった。大人の会話は難しい。なんだか色んな固有名詞が出てたけど、そんなたくさんのこと覚えられる頭は持っておらん。
「あ……あたしもいいかい?」
そう言いながら二口女さんも寄ってきて、女三人でもちもちしたものを食べてニッコニコした。
「くくっ?」
そう言いながら夏次郎くんも顔を出してきた。興味をもったようで、白いお団子をペロペロ舐めようとする。
「だめだよ。そんな細い体でもちもちしたものなんて食べたら、喉に詰まっちゃうよ」
やめさせようとしたけど、がっつりお団子にひっついて離れないので、好きにさせてあげた。どうやら夏くんは、白いものなら何でも好きなようだ。




