毒竜の使い
お風呂を上がり、三人で箱根の宿場町を歩いた。
きわみちゃんは地味な稽古着姿だけど、湯上がりのうなじからは色鮮やかな香りがぷんぷん漂うようだった。
何より地味な格好をしてるのに、かわいい。
危能丸兄様がわたしの肩越しに、ずっとチラチラ横目で見ている気持ちもまぁ、わかってあげられる。
夏次郎くんはまた襟巻きに化けて、わたしの首に巻きついている。
兄様がきわみちゃんをチラチラ見るのを、自分が見られてるのかと勘違いして、何度ももふもふの中から顔を出して、文句を言いたげに兄様を睨んでる。
兄様はといえばきわみちゃんに夢中なようで、夏次郎くんのことなんか視界にも入れてないようだ。
ところでわたしたちは遊んでぶらぶらしているわけではない。
毒竜の使いが出現するという場所を、これから視察に行くのだ。
芦ノ湖は思っていたより大きかった。
遠くから富士のお山が霞みながら見下ろしている。
そろそろ日は落ちようとしていて、湖面の光には橙の色が混じりはじめていた。
「あそこに祠があるでしょう?」
きわみちゃんがそれを指差した。
「もうすぐ、町の人たちがあそこに、色んなもちもちしたものを持ってやってくるはずです」
「祠がもっちもちしたもので溢れ返るんだね?」
うなずきながら、わたしは少しぐらいそれ、つまみ食いしちゃってもいいのかな? と考えていた。
「なるほど……」
危能丸兄様もうなずいた。
「しかし、使いの女とやらは、そんなに大量のもちもちしたものをどうやって持ち帰るんだ?」
きわみちゃんが答える。
「見た人はいないそうです。使いの女が現れるまではみんなが見ているらしいですが、その女がみんなを追っ払ってしまうそうなので……」
わたしは推理したことを口にしてみた。
「大八車でも引いてくるのかな?」
「おいおい」
兄様が呆れた声を出す。
「発想が現実的すぎる。てめーはガキなんだからもっと夢のある発想をしろ」
「もっ……、もうガキではないですよっ!」とだけ答えておいた。
「とりあえず……どうします? あぶ様」
「オレに聞くなよ、きわみ。てめーらの修行だ。てめーらで考えろ」
「草むらに隠れてじっと見とこうか」
わたしがそう言うと、
「うーん……音丸さん。まだ春の草は背が低いですよ? 見つからないですかね」
と、きわみちゃんが答える。
「大丈夫だよ。わたしら背が低いから……。あ、いや。きわみちゃんは結構スラッと背が高いか……」
「何よりあぶ様が……」
うん。危能丸兄様は細身だけど、兄様たちの中で一番背が高い。一緒にいたらすぐに見つかってしまいそうだ。
「あぶ様……、ほんとうに、背が高いですね」
そう言って兄様を見上げるきわみちゃんの目がなんか潤んでる。もしかして、きわみちゃん……?
和歌ちゃんの言ってたことを思い出してしまった。うちの四人のお兄様と、華夢家の四人の娘さん──誰と誰がお似合いか。
きわみちゃんに危能丸兄様は、なんだか危ない感じがする。真面目で人見知りなきわみちゃんと、チャランポランですぐ他人をバカにする危能丸兄様では、なんだか釣り合わない。純真で騙されやすそうなので、嘘つきの伊織兄様もダメだ。
今生之助兄様と無邪気に「サバガ!」とか言いながら戯れてるのが一番似合ってる気がする。二人とも剣術バカだし……。まぁ、華夢きわみちゃんはそんなバカがつくほど素直な女の子だ。
「灯台下暗し」
危能丸兄様が唐突に、初めて聞くことばを言った。
「そのもののすぐ近くが意外と盲点になる。隠れて待つべき場所をおまえらに教えてやろう」
わたしたちは、祠のすぐ裏に隠れることになった。
「こ……こんなにもちもちしたもののすぐ側でいいんでしょうか?」
わたしが不安を顔いっぱいに表して聞くと、危能丸兄様がのほほんと答える。
「まさかこんな近くに誰かが隠れてるとは考えないもんよ。背のたけぇオレでもここならしゃがんでりゃ隠れられるし、何よりいざという時にすぐ敵に飛びかかれる」
「……さすが、あぶ様」
きわみちゃんの顔が熱でもあるかのように赤い。
「おっ。来たぞ?」
兄様がそう言って視線を向けた方向を見ると、町の人たちが第八車に荷物を載せてやってきていた。
米俵でいうとどれくらいだろうか。三分の一? いや四分の一ぐらいかな?
思ったより少ない。でも、お赤飯にお団子、お餅におはぎ……。大皿に盛られたその魅力的なもちもちしたものたちが、掛け紙を透かして見えている。
だめだ……。
よだれよ、止まれ。
わたしだって、もちもちしたものには目がないのだ。
「よし、みんなで持ってここに置くだぞ」
「せーのっ」
大皿を祠の中に設置すると、町の人たちは帰っていった。わたしたちにはちっとも気がついていなかった。
「な? 気づかれねェもんだろ?」
得意げにそういう兄様を、きわみちゃんが甘やかす。
「すごい! あぶ様! 兵術の勉強になりますっ!」
あんまりおだてるとこの人、調子に乗るからわたしは黙っていた。
それから半刻ほど待っただろうか。
日は沈み、水面に浮かぶ光は月の白に変わっていた。
暇なので、わたしときわみちゃんは小声でお喋りをしていた。
「緊張するね」
わたしが言うと、きわみちゃんもうなずく。
「でも、あぶ様がいるから心強いですよっ」
「この人見てるだけだから。わたしたちだけで何とかするんだよ?」
「あっ……。そう考えると確かに……緊張しますね。でも、大丈夫です」
「根拠あり?」
「はい! じつはうちの又利郎兄様も今、こっちへ向かってらっしゃるのです!」
「げっ……!」
わたしの脳裏に華夢又利郎さんの、おぞましいその姿が浮かんだ。
あのひと、気持ち悪いのだ。出来ればお会いしたくないんだが……。
「又利郎か……」
危能丸兄様が横から口を挟んで、
「アイツ、相変わらず気持ち悪いのか?」
からかうようにお嗤いになった。
「気持ち悪くなどありませんっ!」
おっと。きわみちゃんが危能丸兄様に反抗だ。
「又利郎兄様のこと、みんながそう仰いますけど、私は好きなんです! ああ見えて、とても心優しいお兄ちゃんなんですよっ!」
知らなかった。
あのひとのこと、慕ってる妹も、いたんだ……。
わたしには気が知れなかった。
とりあえず目にしてしまったら気持ち悪いので、早く毒竜の使いさんに出てきてもらわなければ。
ああ……。頭に描いただけで気持ち悪い。
気持ち悪さを紛らわすため、わたしはつい、お供えのもちもちしたものたちに目を向けてしまった。
ああ……
あの三色だんご、すごくおいしそう……。
その時、水音が聞こえた。
危能丸兄様がわたしたちに注意を喚起する。
「息を殺せ。気配を殺して、見るんだ」
湖の中から、真っ黒な長髪を重たそうに揺らしながら、白い女が上がってきた。




