魂げっ気
夏次郎くんは空の彼方へ風になって飛んで行ったまま、帰らなかった。
……寂しいけど、これでいいんだよね。
彼は自由な鎌鼬なんだから。わたしが彼の力を借りたいからって、束縛しちゃいけない。
でも、寂しいなぁ……。
漁師のお兄さんは陸に帰ると、早速シオカラさんを見世物小屋へ連れて行った。
お兄さんの知り合いだという見世物小屋の主人は汗臭い人で、紹介されたシオカラさんを見ると、太っちょな体を犬みたいにをブルブルッとさせて、汗を周囲に撒き散らしながら驚いた。
驚いた主人の口から魂げっ気がぽんと飛び出したので、シオカラさんは喜んで突進し、それを食べた。ちょっと直視していられないほど気持ちの悪い光景だったけど、これにて一件落着したようだ。
『世にも奇妙なウミウシ人間』の看板を掲げると、興味を惹かれた人たちがたくさん、シオカラさんを見にやって来た。
主人がご機嫌な声で宣伝する。
「はいはい、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 世にも奇妙なウミウシ人間だ! 見て気持ち悪がれること間違いなしだよ! こんなに気持ちの悪いものはこの世に他にない! 紫色の体をした軟体人間さ! 口からピューと紫色の液体を吐くよ! サァさ、寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい!」
藁のれんを潜ると薄暗い空間に蝋燭が灯されていて、その奥に檻がある。
檻の中を覗き込むと、むこうを向いて座っていたシオカラさんがゆっくりと振り返る。
「ヒヒヒヒヒ!」
「うわあああ!」
「キャアアアア!」
魂消たお客さんの口から魂げっ気が飛び出て、シオカラさんが喜んでそれを食べる。
気持ち悪いものを見たがる人は意外なぐらい多いようで、シオカラさんはあっという間に見世物小屋の花形になってしまったようだ。
よかった。みんなが幸せな結末に辿り着いたようだ。
「みんなじゃないよー!」
和歌ちゃんが、駄々をこねるように言った。
「結局あたしもぽこも、初めてのバケモノ退治にならなかったじゃん!」
わたしは明るく笑って、答えた。
「いいじゃないですか。誰も傷つかなかったんだから、それが一番ですよ」
「ぽこって……」
じっとりとした目をして、和歌ちゃんに言われた。
「あやかし退治に向いてないんじゃないの?」
「なっ……、なぜですか!?」
「バケモノが幸せになって喜んでるしさ。カマイタチなんかと仲良くしてたし。それに、びびってたのかもしれないけど、バケモノを目の前にして、刀を抜かなかったじゃん」
「抜かなかったんじゃなくて、抜けなかったんですよ」
「そんなわけないじゃん」
「ほんとうですよ。ほら、抜いてみてください」
わたしが差し出した刀の柄を、和歌ちゃんが掴む。
「抜けたらみたらし団子、おごりね?」
小馬鹿にするようにそう言いながら、和歌ちゃんが刀を抜こうとした。
「ぬ……抜けないよ、これ!?」
「でしょう?」
「こんな抜けない刀差してて何の役に立つのよ? ばっかじゃないの? あやかし退治する気ないの?」
「抜けたんですよ。少なくとも船に乗る前に確認した限りでは……」
わたしも再び抜こうと柄を引っ張ってみたが、春才天児くんはまるで鞘の中で踏ん張っているように、びくとも動かない。
「雪風一族に伝わる名刀なんです。それだけに、何か抜ける時と抜けない時がある理由があるのかもしれません」
「ふーん……。ま、どうでもいいけど」
和歌ちゃんはビシッとわたしを指差すと、言った。
「言っとくけど最初にあやかしを倒すのはあたしなんだからね!」
船の上での和歌ちゃんのへっぽこぶりを思い出して、つい吹き出しそうになってしまったが、我慢して、わたしは話を変えた。
「さぁ、天花さんと今生之助兄さんのところへ戻りましょう。……っていうか二人とも、まだあのへんにいるのかな?」
「町に戻ればお姉ちゃんが見つけてくれるよ。お姉ちゃん、目も鼻もいいんだから」
町に戻ると、和歌ちゃんの言った通り、どこからともなく天花さんがわたしたちを見つけて駆け寄って来た。一人だった。
「お疲れさん。ずっとあんたらの活躍見てたよ」
そう言ってプッと笑う。どうやら恥ずかしい戦いぶりまで見られてたようだ。
「……って、どこからどうやって見てらっしゃったんですか?」
わたしが聞くと、天花さんは何やら意地悪な笑みを浮かべ、教えてくれた。
「あたいの能力だからね、内緒だよ。アンタは雪風一族だから、いわばあたいの敵。敵に能力をばらすような愚かな真似はしないよ」
わかった。遠見だ。天花さんの能力は、すごく遠くのものまでよく見えるんだ。なるほどな。
「ところで今生之助兄さんは?」
「出て来た扉ですぐに戻って行っちゃったよ。泣きながらね。かわいかったぁ」
夏次郎くんがいなくなっちゃったことだし、いてくれてもよかったのにな。よく風呂上がりに全裸で廊下を歩いておられるから裸も見慣れてるし。
「そっちこそ、夏くんはどうしたのさ? 空に飛んでっちゃうところまでは見てたけど」
「ああ、彼は……」
自由な風だから、と言おうとしたわたしの肩の上に、ぽすん! と何かが空から落ちて来て、のっかった。もふもふとした柔らかいものだ。
和歌ちゃんとわたしが同時に声を上げた。
「あ、夏くんだ」
「夏次郎くん!」
ポケッとしたかわいい顔で、夏次郎くんが和歌ちゃんと天花さんを順番に見回し、最後にわたしのほっぺたに接吻をしてくれた。
「その子、強いよね?」
和歌ちゃんが言い出した。
「今生之助様をあんなにしちゃうぐらいだし……。そんな強い相棒と一緒だと修行の旅になんないでしょ? あたしにちょうだい! あたしが夏くん育てる!」
しかし夏次郎くんはわたしの首にしっかり巻きつくと、わたしと一緒に行きたい意思表示をする。
「あらあら懐かれてるのねえ」
天花さんがクスクスと笑う。
「これからどこへ行くんだい? 今度こそあやかし退治できるといいね」
「この町で情報を集めて、次に行くところを決めようと思っています」
天花さんにそう言って頭をぺこりと下げた。
彼女のことを色情狂だとか、わたしは思い違いをしていたようだ。話してみると結構話しやすい、面倒見もいい人だったとわかった。
「それならきわみを訪ねてみるといいわ」
天花さんが言った。
「あの子、今、箱根にいるわよ。あの子もあやかしを追ってるの。協力してあげてよ」
「きわみちゃんが……」
わたしはひとつ年上なのに同い年みたいな女の子、華夢きわみちゃんの顔を思い浮かべた。
真面目で、人見知りで、修行が趣味みたいな頑張り屋さんだ。彼女となら、無駄に張り合ったりすることもなく、確かに力を合わせて初めてのあやかし退治が出来そうだと思った。
「ねえーっ! 夏くん、あたしにちょうだい!」
横から飛びかかって来た和歌ちゃんをかわした時、震動で刀がキン! と音を立てた。
「あ……、あれっ?」
腰の『春才天児』を見ると、鞘の中から少しだけ浮いている。
柄を握ってみると、鞘から簡単に抜けた。
「あれだけ頑なに抜けなかったのに……」
首をひねるわたしの肩の上で、夏次郎くんがどうでもよさそうなあくびをした。