城下町、小田原
山道を下りきると、狸のおじいちゃまに聞いていた通り、茶店があった。
「よし、夏次郎くん。あそこで一休みしよう」
わたしがそう言うと、まるで言葉が通じたみたいに、白いもふもふの襟巻きに化けている夏次郎くんが顔を上げた。ぽん! と白いイタチの姿に戻る。
「おじさん、お団子と、山羊のお乳を常温で!」
注文するとすぐに、お皿に乗った三色団子とお茶がひとつと、お椀に入った山羊のお乳が出てきた。
わたしはお団子に目がない。躍る手つきで串を持つと、もっちもちのそれにガブリとかぶりつき、むっちゅ〜んと弾力のあるそれをいただいた。自然に笑顔になる。
夏次郎くんも山羊のお乳に目がないようだ。まっしぐらに頭をお椀に突っ込むと、樹液に吸いつくかぶとむしのように、ペロペロと夢中で飲みはじめた。
「おいしいね」
わたしがそう言うと、まるでうなずくような動きをしながら、夏次郎くんはお乳をペロペロし続ける。
「ありがとうね、夏次郎くん。助けてくれて」
お茶の入った湯呑みを手に、わたしは言った。
「ここでお別れだね。山まで戻るの大変かな? 遠いところまでつきあわせちゃってごめんね?」
夏次郎くんは夢中でお乳を飲んでいる。
「これから小田原の城下町に行ってみようと思うんだけど……、遠いなあ」
わたしの呟きを耳にして、後ろから店主のおじさんが話しかけてきた。
「小田原までは一日半はかかりますぜ。ここからさらに山を下って、海のそばまで行かねぇとなんねぇ」
「ありがとう、おじさん。お代はこれで足りるかな?」
わたしが雪風札を出すと、おじさんの表情が神様か仏さまを見るように変わる。
「雪風一族の方でしたか!」
奥から色紙を持ち出してきた。
「こいつにお名前を頂戴してもよごさんすか? お店に飾らせていただきやす! 有名人のご来店なんて滅多にねぇもんで」
調子に乗って筆で『雪風音丸』の名前をそこに記すと、有名人みたいな態度で店主に渡した。いいよね? だってこれからわたし、有名人になるんだもんね?
夏次郎くんがお乳を飲み終えて、顔を上げた。
わたしの顔をじっと見てくる。
「よし、じゃあ、お別れだね」
ニコニコしながらちっちゃいその頭を撫でてあげると、夏次郎くんがわたしの袖にかぷっと噛みついた。
「別れたくないの? かわいいなあ……」
夏次郎くんの白い毛が逆立った。怒ってるのかと思ったけど、そうじゃないようだ。何か、力を使おうとしている感じ……。
その時、急に何もない空間に扉が現れて、それが開いた。
中から出てきたのは、稽古着姿の今生之助兄さん……に見えた。たぶん、そうだった。
兄さんに声をかけられる暇も、こちらからかける暇もなく、わたしは、飛んでいた。
ひゅるるるんっ!
「わあーーっ!?」
思わず目を閉じて一叫びして、その目を開けてみると、周りは町だった。わたしは一瞬にして山を下りたところの茶店から移動して、賑やかな城下町の辻に立っていた。
どうやら飛びながらぐるんぐるん回ったようだ。目が……世界が回っている。道は綺麗にまっすぐ作られているのがわかったが、歩くと右へ右へ行ってしまうので、世界の回転が収まるまで壁に掴まって待った。
「すみません……。ここは、どこですか?」
歩いてきた浴衣姿のおばさんに聞くと、教えてくれた。
「あら、かわいい女の子のお侍さん。何をとぼけちゃってんの! ここは城下町小田原ですよ」
思わず口から言葉が漏れてしまった。
「は……、早っ!」
活気のある明るい町だった。少し遠くのほうには海が見えている。黒い大きな船が浮かんでいるのが見えた。ペリー来航だろうか。←ツッコむとこ
夏次郎くんはどこだろう? 探すまでもなく、わたしの袖にぶら下がって遊んでいた。
「あなたがわたしをここまで風にして飛ばして、送ってくれたの?」
聞いたけど、人間の言葉はやっぱりわからないようだ。ただボケーッとかわいい顔をしている。
「ありがとう」
きゅっと抱きしめると、ちょっとだけ嫌そうに抵抗された。
しかし、さっき、確かに何もないところに扉が出現し、今生之助兄さんがそこから現れたはずだ。あれは何だったんだろう?
まぁ、いいや。わたしの目的はあやかしを退治すること。今はそれを頑張るだけだ。
道行く人に聞いてみた。
「あのっ。ここらへんにあやかしはいませんか?」
返ってくる言葉は皆、同じようなものだった。
「あやかしは雪風様と華夢様たちがみんな退治してくださったよ」
「酒呑童子は足柄山の金太郎様がとっくの昔に退治してくれてるしな」
「もう妖怪なんてどこにもいないよ。平和なもんさ」
「あのっ……。どんなへっぽこな妖怪でもいいんです。わたし、なんでもいいからあやかしを退治するために旅をしているんです」
「座敷わらしぐらいならまだ、いるかもなぁ」
「でもあれはいい妖怪だから、退治しちゃいけねぇ」
「あ、そうだ。海に出ればまだいるかもしれねぇぜ?」
「海に……」
そのおじさんが言うには、漁に出かけた漁船が最近よく嫌なものを海で見るのだそうだ。
命をとられた者はいないが、見た者によると、それはとてもとても嫌なものなんだそうだ。
甘味処を見つけて足を止め、醤油団子を食べながら遠くの海を眺めていると、急に後ろから声をかけられた。
「ぽこ!」
小田原に知り合いはいないはずだ。女の子の声だった。振り向いてみると、知った顔が意地悪そうに笑っていた。
「あ。やっぱりへっぽこ丸だ! こんなところで会うなんて、奇遇ね!」
明るい黄色の羽織に石竹色の袴。綺麗に結った髪にかんざしを挿し、その下に見知ったその顔があった。
「和歌じゃないか」
びっくりしてしまった。
雪風一族と肩を並べる退魔師一族、華夢一族の末っ子、わたしと同い年の華夢和歌の姿だった。
「ん?」
何か気になる匂いでもするのか、顔を合わせるなり和歌が鼻をくんくんさせはじめた。
「なんか……。あやかしの匂いがするんだけど」
はっとして、わたしは首に巻いている白い襟巻きに手をやった。そういえば首に鎌鼬を巻いているのだった。忘れてた。