へっぽこ丸、十五になります
時は、EDO。
元号は、知らん。
頭が悪いから覚えていないのだ。現在の将軍様のお名前も存じておらん。
武家に育った者は、武さえ出来れば良いとわたしは思っている。文武両道などオソマ食らえだ。
わたしの名は雪風ぽこ丸。いや本名は『音丸』なのだが、笛兄以外の皆からそう呼ばれている。理由はあとで語ることにしよう。表に出る時はいつも男のなりをしているが、性別は一応、女の子でござる。
明日はわたしの晴れの日。今日はその前日だが、屋敷の一番広い部屋に四人の兄様たちが皆集まって、わたしの十五の誕生日を祝ってくれた。もちろん子供の誕生日を祝うようにではない。我々雪風一族にとって、十五になったということは、旅立ちの時が来たことを意味するのだ。
笛兄が威厳ある佇まいで、わたしにお申しつけになった。
「オトよ。おまえは明日で十五になる。一族のしきたり、わかっておるな? 生まれ育ったこの屋敷を出て、旅に出る時が来たのだ」
「はい!」
わたしは元気よく答えた。
「明朝よりわたしはひとり、修行の旅に出てまいります! どうか、わたしの成長をご期待ください!」
「ぽこぉ〜!」
三兄の今生之助兄さんがわたしに抱きつこうとしたので、足で止めた。
「兄ちゃんは心配だぞぉ〜! ひとりで大丈夫かぁ〜?」
いつもながら頑丈だ。蹴ってもびくともしない。
「フン。一人でなければ修行にならぬ」
次兄の危能丸兄様が鼻で嗤う。
「我々皆、この試練を乗り越えて来たのだ。ぽこが死のうがどうでもいい。肝心なのは、ちゃんと使い物になるぐらい一人前になって帰って来れるかどうか、それだけだ」
伊織兄様はいつものように何も仰らず、目を閉じて皆の話を静かに聞いていらっしゃった。
「ぽこ! ぽこ!」
今生之助兄さんがしつこくわたしを抱きしめようとしてくる。
「心配だ! 心配だ!」
「はっ……、離せ! しつこい!」
わたしは何発も蹴りを入れるが、肉体派の今生之助兄さんはめっちゃ固い。
「やめよ、今生之助。危能丸の言うとおりだ」
長兄の笛吹丸兄様がバカを止めてくれた。
「我々も十五の時に各々一人で旅に出たのだ。雪風一族というもの、それぐらいの試練は乗り越えねばならん」
「はい!」
ハキハキとわたしは答えた。
「お任せください! きっと立派な剣士になって帰って来てみせますから!」
「ウム」
笛兄は長兄らしい威厳を美しいお顔に湛えていらっしゃる。八歳の頃から十一年、わたしのことを猫可愛がりしてくださった兄様だ。内心お辛く思ってらっしゃることだろう。心配するように、わたしに聞いてくださった。
「……して、旅の端緒とする地は決めているのか?」
わたしは正直に答えた。
「はい! テキトーに風任せ運任せで行こうと思っております!」
笛兄様のお声が震えた。
「だ、だめだぞ、そんなの。よし、俺が決めてやろう」
「フン」
危能丸兄様が鼻でお嗤いになった。
「俺たちの時は兄者はまったくそんな心配、しなかったよな?」
「仕方がないであろう、危能丸。オトは末っ子だし、何より女子なのだ」
そう仰ると笛兄は、懐から地図を取り出して、わたしにお見せになった。
「ここだ。武蔵国のこの山に、おまえの初めての相手に持ってこいの相手がおる」
今生之助兄さんが、笛兄を冷やかすように、横から言った。
「ハハハ! 兄者も厳しい顔をして、ほんとはぽこのことが心配でたまらないんだな? 子煩悩ならぬ、妹煩悩だな!」
バカ兄は無視してわたしは笛兄に聞いた。
「どんなあやかしです?」
「鎌鼬じゃ」
「鎌鼬……」
我々『雪風一族』はあやかし退治の名門一族。
ライバルの『華夢一族』と並び、日本全国の妖怪を退治して回っている。
兄様たちは皆、日本中に名が知れ渡っている有名人だ。
わたしはまだ駆け出し。これからの人だ。
自分の名を日本中に知らしめるため、雪風一族に『雪風音丸』の名前を連ねるために、己を鍛える旅に出るのだ。
ワクワクする!
去年は兄様たちについて日本中を旅して回った。各自単独で別の地に赴くので、いつも何れかとの二人旅だった。
どの兄様も流石の腕前であられたが、特にやはり長兄笛吹丸様のお仕事はあまりにお見事だった。
刀を一切使わずに、西洋で学んで来た『魔法』というものを使い、鮮やかに妖怪を退けるそのお姿は、背中から眺めていてうっとりとするものがあった。
わたしもあんな美しい退魔師になりたいと、強く思った。
いや、なるのだ。
この旅で、わたしは美しき退魔師になってみせる!
「……して、鎌鼬とは、どのような妖怪でござりますか?」
わたしがそう質問すると、横で危能丸兄様が正座したまま畳ですべってズッコケた。
起き上がって『そんなことも知らんのか』と言いたげなお顔だ。仕方がないでしょう、駆け出しなんだから。
「鎌鼬とは小さなイタチの姿をした妖怪のこと」
笛兄が教えてくださった。
「鋭い風に姿を変え、旅人の衣服を切り刻むだけのイタズラ妖怪だ」
「服を剥かれるのか!?」
今生之助兄さんが声をあげた。どうやら彼も鎌鼬を知らなかったようだ。さすがわたしのバカ仲間。
「いやだ! ぽこが剥かれるなんて我慢できない!」
駄々っ子のように抱きつこうとして来たので、また蹴っ飛ばした。
「いや剥かれませんよ、何を言ってるんですか! これでもわたしは雪風一族。見誤らないでください」
いつものように兄妹喧嘩をするわたしたちをニコニコ眺めながら、笛兄が言った。
「まぁ、最悪でも服を剥かれるだけで済むということだ。ただし、油断をして敗北すれば裸に剥かれる。それが嫌ならば、勝て」
「もちろんですとも! 勝ってみせますよっ!」
「フン」
危能丸兄様はよく鼻でお嗤いになる。
「そのイタチ一匹を倒したところでいい気になるんじゃねぇぞ? どんな妖怪でも倒せるぐらい立派になって帰って来たら『ぽこ』と呼ぶのをやめてやる。ちゃんと『音丸』と呼んでやろう」
「わかりました」
嬉しいお言葉だった。
「それまではわたしは『へっぽこ丸』で構いません。どうかへっぽこの『ぽこ』とお呼びください」
危能丸兄様が頼もしいものを見るように、笑った。
「おう、わかった。ぽこ」
今生之助兄さんがわたしを心配するあまり顔をグショグショにしながら、また抱きつこうとしてくる。
「ぽこー! 剥かれないでくれぇー!」
「ぽこ……。くすっ」
伊織兄様が、本日初めて声をお出しになった。
兄様たちがそうお呼びになる通り、わたしはへっぽこだ。剣の腕前はまぁまぁな自信はあるが、稽古試合で今生之助兄さんに一度も勝ったことがない。
まぁ今生之助兄さんは体力バカの純粋剣士なので仕方がないが、伊織兄様にすら一度も勝てたことがないのだ。伊織兄様は華奢な見た目で、わたしより女らしいといえるほどに女性的で淑やかな方なのだが、剣の腕前はなかなかのものがある。
とはいえ今生之助兄さんとは違って剣一筋のお方ではない。わたしでも勝てそうな見込みはある。隙がおありになるのだ。しかし、いつもその隙をついて、わたしが勝ったと確信した次の瞬間、するりと絹をすべるように、わたしの木刀はかわされ、伊織兄様の竹刀がわたしの背中を打っている。
伊織兄様に一度でも勝てるまで『へっぽこ丸』の名を甘んじて受けようと心に決めていた。しかし、一度も勝てないまま旅に出ることになってしまった。
「そう寂しそうな顔をするな」
笛兄が厳粛な表情を優しく崩され、わたしに微笑みかけてくださる。
「我らもおまえが屋敷からいなくなるのは太陽が消えたように寂しいのだ」
わたしが寂しそうな顔になってしまったらしいのは、伊織兄様に勝てないまま旅に出ることを悔しく思ったからだったのだが、笛兄に誤解されてしまった。
まぁ、確かに、兄様たちとしばしの間、会えなくなるのも確かに寂しくはある。でも、それ以上に旅へのワクワクするような期待がわたしの胸を占めていた。
「俺たちは知っての通り、それぞれあやかしを倒すため、全国を旅して回っている」
笛兄がわたしを慰めるように、仰った。
「いつかどこかで出会うこともあろう。その時のお前の成長、楽しみにしているぞ」
「ハイ! 兄様!」
兄様を心配させないよう、凛々しく、武士らしく頭を下げた。
「それではお休みなさいませ」
成長する気マンマンのわたしに横からツッコミが入った。危能丸兄様だ。
「成長するんならまずはそのガキみてぇな寝間着から何とかしやがれ」
「あっ……」
自分の着ている服を思わず見た。赤い千鳥格子のお着物は、確かに子供っぽい。
でも明日は縹色の羽織に黒の袴で旅に出るのだ。
今日までは、屋敷の中でだけは、十五の女の子でいさせてほしい。