老後に長野を選んだのは、無線にとっては、とてもよかった
長野はガソリンや水が高くて夏暑くて冬寒いので淡路島に逃げようかと昨年まで計画していました
国民保険に入り、年金受け取りの手続きの日取りが決まりました。
令和四年四月四日、支所に行って国民保険加入の手続きをしました。
その後年金受け取りの手続きの日取りを電話で打ちあせせ、4月20日誕生日にしました。
後は、その手続き後貰える金額がサラリーより低くてガッカリするわけですが
持ち家、車やおもちゃは現物があるので、食費と光熱費で裕福仕送り学生並みの生活ができるはずです。
ここで区切って評価すると、そもそも60歳定年のころの厚生年金なので、払った分は回収できます。
人生100年とか言って75歳受け取りまでできてしまったのは、騙しと言えます。
例えば、国の借金が国民一人あたり一千万近いと言った騙しと同じです。
そうといえば、そうと言える。けれども、日銀は日本円札を印刷して国債の償還に充てられるわけで
国民が借金したわけではないし、インクと紙代で返せる借金です。
さて、それを年金に置き換えてみると、私の世代は施設に入る、いわゆるボケる前の自由時間を過ごすのに
十分な年金が受け取れます。
私の世代は、と区切るのは、国の借金、つまりは政府の借金ですが、これは印刷すればするほど円の価値が
下がってしまうわけで、例えば生きていくために必要なエネルギーとか食料を、これまでのように輸入できない
という現実があります。
一時的な小麦、米不足とか停電があるかもしれませんが、幸い敷地でじゃがいもを作ることができ
電源の要らないダルマストーブとか、ガソリン発電機とか、はたまたデミオディーゼルとか布団の敷けるアクティバンがあるので、戦火のウクライナの人のようにはならないです。
それで一時はしのげたとして、先々ボケた時に入ることのできる施設が今ひとつという意見もあるでしょう。
これは教員年金満額の父を見て、ゲージに入った鳥のようで気の毒でした。レアですが空気を注射されたカテゴリです。
各自のテレビですのでチャンネル権もあり、10畳を越えるワンルームで、バストイレつきで掃除と入浴をしてもらえる。家族に看取られるよりも、はるかに快適ですが、あの父が脱獄しなかったのが不思議でたまりません。
つまり、80歳過ぎたらお金は紙屑でしかありません。父も、あれほど買い漁っていた本を買わなくなりテレビも見ていませんでした。
ただ生きている、それは誰しもそうかもしれませんが、それは平和であればこそです。
父は、やりたいことが無くなった結果、その施設のボス争いに参加したそうで、結果勝ち取ったと聞きます。
ある意味情けない。
持ちすぎるとそういうことになるのか、足りなければ分け合う倫理も無くしたのかわかりませんが
今のウクライナを見ていると
数百年かけて作った都市を1ヶ月でぶっ壊し
生き延びても帰る家無し。
作るのは忍耐や工夫や時間が要りますが、ぶっ壊すのは引き金一つ。
これが暴力というものか、戦争というものかというのを長生きしてみることができたので、
ただ生きているのも無駄ではありません。
今年の長野の冬は格段寒くて長かったので、まるで試練のようでしたが、本日やっと庭の梅が咲きました。
丸くてかわいい花です。
それと同時に60歳になり、働かずして食えて、しかも陸続きであれば好きなとこへ好きなだけいける。
従事者免許のとおりの局免許ももらえそうだし、行けないよその国は無線で存在を確認することができるところまできました。
ここで失敗する人は、車で児童の列に突っ込むとか、そういうやつなんでしょうね。
期待していた海外旅行はできなくなりましたが、それ以上にびっくりしたのは歯はあるんですが
店で出される麺類等の硬さに胃がもたれるという消化機能の低下で、硬いものをかじるのが好きだったのに
食べ物の興味まで取り上げられた感じです。
長野は冬寒くて夏暑いですが、例えば今日なんか日本で1番暑いですが、代わりにJST14:00から
21Mhzでヨーロッパが2時間ほどひらけます。JJ0WAJの半年はDXCC換算でJP3EXEの10年に匹敵している計算になりました。
トレードオフとして、これほど老後に有効に働く地理はありません。
ところが、暑いのも寒いのも経験してしまえば当たり前、暖房費は半年で6万円ほど
代わりに無線でヨーロッパがガンガン入るので、あと10年は極楽に思えるようになりました。
その後は知らんけど