進化したセル
それは細胞なので、固有の名前や、彼や彼女等と性差による名称はつけられず、ただそれであった。それが持ち合わせているものは自分のからだと感覚だけだった。
それは小魚はおろか、ミジンコなど雑多なプランクトンが摂取するゴミのような食べ物より、さらに何万分の一も小さかった。そのため、普段ならどんなに些細で小さな栄養でも見逃さない自然界の生き物でさえ、それの存在はそもそも認知していなかった。彼らからすれば、それはどうでもいいものであった。
それはただ川の流れに流されるがままだった。ただ少しの自発的な動きさえ、それに求めるのは酷なものと言えた。ときに川の中央の本流に乗り、たまに逸れて岸辺の石のあいだ、土や砂、泥のなか等に水流をあてに分け入った。
それは水流の激しいところでは、もみくちゃにされながらも生命はいつだって維持できていたし、ときには川の増水が極端になる季節までの何ヵ月も岸辺の自然物の合間にとらわれたままだった。しかし、確実にそれは川を下っていった。
流れに巻き込まれたりすると、それはその流される感覚を感じていた。岸の止水域に入ると、ただ自分が流されなくなる感覚だけを同様に感じた。感じる以上のことはそれにはできなかった。
とあるきっかけがあり、それは意識を持ち始めた。
そのきっかけはそれが大きな魚の群れに巻き込まれたときだった。相当な間隔で泳いでいた群れの魚の一匹、また一匹とぶつかってはね流されたのだが、それはどの魚にも同化することがなく、しばらくしたら群れは消えた。それは、またひとつ残されて流れていった。
そのとき、それは自分は自分である。他のどの存在とも混じらないのだ、と気がついた。
本流に囚われると、それの意識は確実に流れを感じ、認識してもてあそばれた。岸辺に留まる必要にかられると、意識は止水を同様に感じて認識した。以前からと同じく、何ヵ月でも流れに乗れなかった。
しかし、それは文句や不満を言わなかった。感覚と意識だけでは、まだ考えることはできなかったからだった。
それはまだ考えることができなかった。自分を取り巻く様々な環境を、自分にとってどうかと評価できなかった。なので、流されるがままに変わりないのだが、やはりそれは確実に流される自己というものを認識して流れていた。
あくる日、それは感情を持った。
きっかけは岸辺に生えている、直立した水生植物の群れのそばを流れていたときだった。その中に、それの見たことのない生き物が立っていた。
白い肉食性の水鳥だった。首を曲げては水中にくちばしを突っ込み、魚やおたまじゃくしを取ったり取れなかったりしていた。
くちばしが水中に大きな水音を立ててついばまれると、それを巨大な波がいくつもそれを襲った。といっても、どんな川の生き物も栄養と認識しないほど、小さいそれにとっての大きな波だった。水鳥にとっては日常の、いちいち構うことのない行動の、気にもしない余波だった。
だが、それは非常に恐怖した。それが声にして何かを叫んだり、乱れに乱れた心のなかで考えや言葉が矢継ぎ早に出てきたわけではない。ただ恐怖の感情がそれの意識を満たしていた。そもそも、それはそんな波以上の流れはいくらでも経験してきたはずだった。
もともとそれは、自然界に放出されたとほぼ同時に消えてなくなる、痕跡はなにも残らなくなるとても小さなもののひとつにすぎなかった。だが一応生きているので、大きな動物の行動のいちいちに恐怖を抱くのは自然であった。
それからのそれの日常は変わった。夏の日に暑さにうだっているときに、冷たい支流の水が流れ込んでいるところにありつけたときなどは、それの感情は喜びでいっぱいであった。
逆にこれまでのように岸辺にとらわれると、今度は退屈の感情が心を満たした。以前は何ヵ月でも文句も言わずに自然の変化を待つのみであったが、今はもはや十日ほどで退屈の感情でいっぱいになった。次第に、退屈は不満へと変わっていった。
だが、喜びは感情を得てから味わった時間のなかではわずかで、いちばんの時間を占めていたのは退屈、及び恐怖だった。好ましくないのは断然後者のほうだった。
自身がいつものように速い流れに乗るたびに、それは恐怖した。自分のからだが他の生き物と比べてはるかに弱いことは感覚からわかりきっていた。加えて感情も得た。なので、これまでになかった、流れで自分の細胞膜が破れる恐怖をそれは感じ始めるようになった。
また、以前はなにげなく通過しているのを見ていた大小の魚はおろか、ちらちらと、岸辺の近くを泳いでいたプランクトンでさえも恐れるようになった。彼らの一挙一動が自分を補食するためのものではないかと、果てない恐怖の対象になった。日々が怖くてたまらなかった。
「かれこれどのくらい漂っているだろう」
それは突如こう思い始めて、そのとき突然、自分が少し前から思考を持っていたことに気がついた。
思考は頭のなかで、言葉を使って行われるので、それは思考と同時に言葉を獲得したのだった。それには声帯がなかったため、発声はできなかったが、ともあれ、自分の考えというものが身に付いたのだった。
最初は思考と言葉の獲得に感慨を抱いていたそれだった。しかし、何日かすると、次第に自分が生きていることはあり得ないことだと知った。
発端は魚が水性の虫を食う場面を見たことだった。魚は川底の石の隙間を、執拗に口で物色しながら移動して、ようやく細長い虫をくわえて飲み込んだ。
これまで何度も目撃してきた魚の食事の場面のはずだったが、思考を得たそれには巨大な疑問が浮かび上がった。
「同じ生き物であるわたしはなぜあれをしていない。そしてなぜ生きているんだ」
自分が生きていることは、これまで得てきたものですでにわかっていた。しかし、他の同類がしていたりできていることを、それは何もできていなかった。
魚よりもずっと自分に近いだろうと思っていた、プランクトンでさえも自分の意思で動くことはできた。それはできずに周囲になされるがままだったのが、とても腹立たしく、嫉妬の感情さえ起こした。
と同時に、自分の由来が気になり始めた。次第に気になるどころではなく、どんどんと思考の速度が増して正体不明の恐怖にまで大きくなった。
それは自身が細胞であることをもはやわかっていた。「細胞」という単語は知らなかった。だが全ての生きている他者、ミジンコ、虫、魚、鳥、さらには植物でさえも、自身と同じものが幾重にも集まって構成されているのだ、というのも思考を得てから造作もなくわかった。
ではたったひとつ独立している自分はなんなのか。その疑問が恐怖の根源だった。
小魚が大きな魚に食われたときに、何枚か飛び散った鱗。その一枚一枚を構成している何億のうちのひとつが、自分なのだろうか。
または、水鳥が水辺でエサを探しているうちに、排泄した糞に含まれていた、鳥の一かけらのなかの一粒がそれなのだろうか。
いくら思考を重ねて考えても、答えは出なかった。そもそも大きな恐怖と焦りの中に全ての自分のものを支配されているそれに、冷静な考えはできなかった。
状況を悲惨だとしか思うことができず、加え、ずっとこのままなのかという未来への不安なども思考がもたらしたので、それの持っている全てのものは恐慌状態と言えた。とても被害的になっていた。
「…この強い流れはこのあとすぐにわたしを破るかもしれない。いままで大丈夫だったからこれからも、なんてことはないんだ」
それの近くに大きな鯉が泳いできた。
「あっ! あの魚はどんなものも吸い込んで食べてしまうやつだ!」
鯉は恐れおののくそれの近くを泳ぎ過ぎていった。
「助かった! …でも、わたしを見過ごしてくれたんだろうか。いやあり得ない! 魚は食べるものがあればすぐに食いつくはずだ。そもそも魚はそこまで高度に考えることはできない! きっとたまたま気づかなかっただけだ」
それは水の力で流れから逸れた。それを含んだ流れは若干、岸に寄りつつあった。それはまだ囚われていないのに、うんざりし始めた。
「…また石のあいだなんぞに捕まったら、今度は昼と夜を何回過ごせばいいんだ? それとも水が減ってしまって干上がってしまうかもしれない。いままで水が増えてわたしがすくわれる前にそうならなかったのは、きっと運がよかっただけに違いない」
渇き死ぬとはどんなに苦痛だろうと、それが未知の恐怖を基に考えているそこに、小魚の群れが迫った。たいした数ではないのだが、現実をうまく処理できない状態のそれには、ことのほか多く見えた。
「あああ! 小魚の大群が向かってきている!あの中の一匹がわたしに気づいて食うかもしれない。気づかなくても、たまたまある一匹の口に入り込むかも、怖い!怖い怖い怖い!」
今まで少しもなかった精神の混沌がそれの常になった。
そんなことが続くと、それは発狂した。考えが全くまとまらず、記憶の維持が困難になり、認識もおかしくなった。
小魚がそばを通りすぎるだけで、見たことのない巨大な生き物が自分を今から食おうとしている幻視を見た。大きな魚や水鳥では、大きなパニックのあとの3日か4日ほど、発狂した以後のいつにも増して支離滅裂な状態にショックのあまり陥った。その間にまた大きな生き物を見ると、日数が加算された。
「わたしのからだは動かない。ではなぜわたし以外の生き物がみんな動けるのかというのは、つまりわたしは生き物だからだ!」
「あの夜の空に浮かんでいて丸くなったり、細くなったりする、曇りの日にたまに見ることのできなくなるものはなんだろう? …そうか! あれは水の増減に関与しているんだ! ということはどういうことだ?」
「岸辺に咲く悦びは花々の交尾の結果! わたしもその快楽にあずかれるはずだ!」
「」
こんな中で、それが岸に囚われると、これは幸い、水からあがった世界をついに見てみようと、動こうとするがこれまでと同じで動けない。そのときのそれは、自分の限界を再認識して、心の中で泣いてわめき散らした。しばらくして収まったあと、さきほどの激情はすっかり忘れ、また陸にあがろうとしてできずに泣きわめき散らす。これを動けない間は、一日数十回繰り返した。
それはもう自我を保てていなかったが、絶えず怖がり、幻覚を体験し、心のなかで泣きわめき、むちゃくちゃな考えをした。その間にもどんどんと流されていき、最後は海の塩水に耐えきれずに、誰も表現できない苦しみのなかで死んだ。こうしてそれの一生は終わった。
犬と人間を比べると、犬のほうが将来の憂いも深い考えもなく生きていて、明らかに彼らのほうがストレスはない、と本で見たのでこの作品の基礎にしました。