場面12 お約束はペットボトル
少女の方は朝に教会で挨拶したアンナだった。その隣にはアフリカ系を思わせる肌の色をした老人が居た。
「はじめまして。ワシの名前はイージルド。ここナブーポル村で神父をしております。」
新之助が神父の服を見ると、ボロボロながらも着ているローブのようなものは確かに宗教色を感じる仕立てになっているのが見て取れた。
また、手には何か毛むくじゃらの物体を持っていたが、今はとにかく挨拶を返そうと新之助は応えた。
「ご丁寧にありがとうございます。私は藤田新之助と申します。ただの公務員でして――どうしてここに居るかもよくわかっていません。」
「はい、お困りのようだとアンナ――この子から聞きました。それと…結構な物を頂いたようで、これはそのお礼です。」
神父は自分の腕を持ち上げると、縄で括られてぶら下がる獣を見せた。その腕は見た目の年齢に似つかわしくない逞しさだった。
「え?これはウサギ?」
神父は食料として持ってきたが、新之助にとって解体されていない獣は遺骸でしかなく、お礼という言葉に紐づけが出来なかった。
「ありがとうございますー!これはあたしが頂きますねー。立ち話も何ですから、よかったらあちらにどうぞー」
戸惑う父をよそに、芽衣子は神父からウサギを受け取り、神父とアンナと新之助の3人をガーデンテーブルに誘導すると、誠司に耳打ちをした。
「なんでもいいから飲み物でも持ってきて。」
「居間に来てもらった方が良くないか?」
客人なら家に通すのが筋と考えた誠司は疑問を返した。
「向こうも警戒してるみたいだし、それに足元を見てごらんなさいな。じゃよろしくー。」
納屋に向かう芽衣子の背中を見送った誠司は二人の足元を見ると、雨上がりに舗装されていない道を歩いてきたのもあり、泥だらけになっていた。
このまま土足厳禁の日本家屋に上がらせるのは考えものだし、教会も靴を脱がずに中へ入ったから、ここは土足文化なのだろうと誠司も思い至って納得した。
「じゃあ何か取ってくるよ。」
誠司は新之助に告げて玄関に向かうと、後ろから「こちらにどうぞ」という新之助の声が聞こえたので、安心して任せる事にした。
「飲み物は何が有ったかな。」
冷凍庫内の食糧が溶けかかっていた事から、冷蔵庫に冷気を期待できない以上、食糧庫代わりに使っていた小部屋から持ってきても同じだろうと考えて誠司はそちらに向かった。
現在の藤田家は全員が買い物嫌いだったので、誠司が2、3か月に一度、支店名に倉庫を冠する外資系小売り店へまとめ買いに行っており、つい最近買いに行ったばかりで品数だけは多かった。
「しかし前回は冷凍物を買わなくて正解だったなぁ。」
誠司は食糧庫に設置された冷凍専用庫を開けて確認すると、中には調子の乗って買った牛肉の塊とピザが入っているのみだった。
「おお、こっちはまだ凍ってるな。さすがマイナス60度の冷凍庫様だわな。」
牛肉はまだ凍っていたので誠司は安心して扉を閉めると、今度は棚を眺めた。
「ダイエットコークに、ダイエットジンジャー。なんだメイ姉リクエストのジュース缶ばっかりじゃないか。炭酸は避けた方が無難だよなぁ。」
ぬるい炭酸ほど不味いものは無いし、何より炭酸ジュースがこの世界の文化として有ると思えなかった誠司は俯くと、ダンボール箱が目に入った。
「お?そっか、ミネラルウォーターが有ったか。」
棚の最下部には災害用として購入していた2リットルのペットボトル入りの水が箱に入ったまま鎮座していた。
「ミネラルウォーター!君に決めた!」
しゃがんでダンボールを開けると1本取り出し、念のため賞味期限を確認すると、まだ半年は先だった。
「よし、あとはコップを4個でいいかな。」
ペットボトルを小脇に抱えた誠司は台所に向かい、ガラスのコップを4つ重ねて持つと、玄関を通って庭先のガーデンテーブルに向かった。
テーブルには神父とアンナ、新之助と芽衣子が座っていた。
「はい、なので我々の意思で来たのではなく、何故こちら、えっと――「ナブーポル村です」――ええ、ナブーポル村に来たのかも分からないのです。」
神父と新之助が会話していたので、誠司は邪魔にならないように無言でテーブルにコップを置き、キャップを開けて水を注ぐと、誠司の持ち方が悪かったのかペットボトルはベコベコと音を立ててへこんだ。
「これはこれは。お気遣いありがとうございま――こ、これは?!」
誠司の手元を見て驚愕する神父だったが、誠司は何か粗相をしてしまったのでは?と焦り、神父に質問した。
「すいません。俺、何かやっちゃいましたか?」
「ブフッ!げほげほっ!」
誠司の質問を聞いた芽衣子は飲みかけていた水を吹き出し、むせた。そんな芽衣子を見て新之助が諫める。
「こら!お客様の前だぞ!何してるんだ!」
「だって誠司が!『何かやっちゃいました?』って、アッハッハッハ!――お約束をやっちゃうんだもの!」
腹を抱えて苦しそうに大爆笑する芽衣子に言われて、お約束をキレイに踏襲してしまった誠司は恥じ入った。
「だって、持ってきたのは普通の水だし…。そんなつもりは。」
「いえ、水ではなく、こちらの容器です。なんですかこれは!ガラスかと思えば割れる事なく、へこんでも形が元に戻る!そしてこの周りに貼られた絵の精工なこと!どこかの山だと一目で分かる!」
興奮しながら不思議そうにペットボトルと触る神父だったが、誠司は「そっちか」と後悔しながら説明をしようとして、芽衣子に遮られた。
「立ち話も何だけど、悪いな誠司!このガーデンチェアは4人用なんだ。お前はキャンプチェアでも持って来いよー。こっちはもう一個のお約束を済ませちゃうからさー。」
ネコ型ロボットが登場するアニメのお金持ちキャラをモノマネしつつ、顎で指示する芽衣子の言葉に、誠司は大人しく従った。
「という訳でお父さんはスマホ出して。はい、これはペットボトルとスマホというもので――」
説明を始めた芽衣子の声を背中で聞きながら誠司は納屋に向かった。
納屋は母屋として使っていたらしいが、誠司が物心ついた頃にはトラクターや車を入れる車庫兼、倉庫といった利用をされていた。
1階の床部分は取り除かれていた。大きな物といえば父の軽トラックと、誠司の原付バイクだ。
バイクの横を通り抜けて奥に行こうとして、入口近くの何かに触れてモノが床に落ちる音がした。
何かと思った誠司が見ると、そこには神父が手土産として持ってきたウサギが落ちていた。
その耳を縛った縄にはS字フックがついていたので、芽衣子が壁に掛けていたのだろうと誠司には分かった。
「うわぁ。ほんとにウサギだ。こんなのどうやって食うんだよ――ん?」
フックに触れて持ち上げると誠司は違和感を感じた。
2匹のうち、1匹の首元が一部ハゲていて、そこには痣のようなモノが有るのが誠司には見えた。
「…皮膚病か?まぁ野生なら、いつも綺麗って訳にもいかないか」
さして気にせず誠司は元あった場所にウサギを戻し、そのまま納屋の奥に行くと、キャンプ用具をまとめている所から折りたたみ式の椅子を取り出すと、キャスター付きのBBQコンロが目に入った。
「そっか、どうせダメになるなら冷凍庫の肉は晩飯に食うか。」
誠司は一緒に置いてあったBBQコンロに炭を適当に流し入れ、着火剤などを放り込んだ。そのままコンロを転がしつつ、反対の腕には椅子を抱え、庭に戻ろうとすると父の怒号が聞こえた。
「この村の住人はあなた方だけ?!それはどういう事ですか!」
誠司は急いで庭に戻ったが、途中で脇に抱えた椅子がウサギに当たり、近くにあった閉じ掛けのダンボール箱に落ちた。
来た時は落下音に気付けたが、今度はBBQコンロのキャスターが回転してキュルキュルと鳴る音に上書きされ、誠司は気付かずに去ってしまった。